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24 女王ヴァルメスの誤算

 アスラルに手を引かれ、シレーネは階段を上がった。

 シーツの人は、この粗末な屋敷のもっとも深い場所の、二階に安置されたようだ。

 まるで玉座の間に向かうようだと、シレーネは可笑しくなりながらも、頬を緊張させ続けた。


 二階の奥の扉が開く。

 アスラルは、鎧を鳴らして跪いた。

 シレーネも従う。ヘルムこそ脱いでいるが、鎧は着たままである。


「よく来ましたね、アスラル。よく来れましたね、シレーネ」


 シレーネは、その声に聞き覚えがなかった。

 聞き知った女王の声ではない。

 だが、発言の内容そのものは、女王だった。

 サリーがシーツの人と呼んだ通り、全身を白い布に覆われていた。


「陛下、よくご無事で」

「無事ではない。よく知っているはずよ。アスラルの手をとっている、その娘なら」

「シレーネが?」

「陛下、私の力が及ばず、お助けできなかったことは残念です」


 シレーネが口火を切った。女王であるヴァルメスを討伐したのは、シレーネ本人である。

 だが、それを認めるわけにはいかない。


「そうじゃな」


 女王が応じた。シレーネは、さらに畳み掛けた。


「封じられた陛下が、わずか3年でお戻りになったのは何故ですか? この国を、あるべき姿に戻すためではないのですか?」

「いや。余はただ……いや、そうじゃな。余は、アスラルを王にするために戻ったのじゃ」


「陛下、何をおっしゃいます。俺は陛下にお仕えするために、死者の山に巣食う大蛇に挑んだのです」

「アスラル。そなたの心遣いは嬉しく思う。余も、アスラルを1人にはしない。そなたが収めるべき国を、滅ぼしてはならぬ。立つのじゃアスラル。我が手を取れ」


 シーツに包まれたまま、女王が立ち上がった。

 全身を包んでいたシーツがめくれる。


「……あっ……」


 立ち上がり、頭部を包んでいた布がずれた。

 シレーネは、悲鳴を飲み込んだ。

 露わになった女王ヴァルメスの顔は、傷ひとつない、シレーネそのものだった。


「シレーネ?」


 アスラルが、シレーネの手を掴んだまま振り返る。

 アスラルはヘルムを外していない。はっきりとは、女王の新しい顔を見ていない。


「アスラル、私を信じて」

「シレーネ、何を?」


 戸惑うアスラルの手を離し、シレーネは膝をついた姿勢から、大きく踏み出した。

 床が抜けるほど強く踏み込み、ずっと握っていた剣を振り払った。

 女王ヴァルメスの体を覆っていたシーツが、全て落ちる。

 美しく、なによりも美しい裸体が、シレーネとアスラルの前に晒される。


 シレーネの剣が、美しい裸体に吸い込まれる。

 鮮血が舞った。

 手応えがあった。


 シレーネはそう確信した。

 だが、全裸の女王は倒れなかった。

 視界が揺らぐ。

 シレーネは、自分が床に這いつくばっていることに気がついた。


「……アスラル、どうして?」


 シレーネを昏倒させられる存在など、1人しかいない。

 其の者は、シレーネの背後にいたのだ。


「シレーネ、落ち着いてくれ。陛下だ。姿は変わったかもしれない。だけど、女王陛下なんだ」

「……わかっているわよ」

「ならば、余と知りながら、殺そうとしたのか?」


 シレーネは見た。

 アスラルの背後から、青く輝く鋼鉄の鎧に体をすり寄せる、女王ヴァルメスの姿を。

 アスラル自身は鎧越しである。何も感じてはいないかもしれない。

 だが、全裸でまとわりつく女王の姿は、あまりにも官能的だった。


「アスラル……お願い……」


 シレーネは、アスラルに初めて、懇願した。

 何をしてほしかったのかは、自分でもわからなかった。

 だが、アスラルは答えた。


「わかっている」


 アスラルは、横倒しに倒れ、意識も朦朧としているシレーネを助け起こした。


「陛下、シレーネとの結婚をお許しください」


 シレーネは驚いた。シレーネの姿を奪った女王と、その女王を殺そうとしたシレーネを前に、アスラルという男はシレーネとの結婚を持ち出したのだ。

 当初からそれが目的だったとはいえ、あまりにも豪胆すぎる。

 女王も意外だったのだろう。ぽかんと口を開けたのが見えた。

 言葉を選び、かすかに笑いながら言った。


「これから、国王になる男の結婚であれば……軽々には決められぬ。それに、この女の行いは、余に対する叛逆である。アスラルはどう捉える?」

「錯乱していたとはいえ、許しがたい暴挙です。俺が共に寄り添い、罪を償わせます」

「ふむ。アスラル……下がれ。まずは余が言って聞かせる」

「はっ」


 アスラルがかしずいたまま、シレーネに視線を向けた。


「アスラル、ありがとう。私なら大丈夫よ」


 アスラルは小さく頷き、退出した。

 二人きりになり、女王ヴァルメスが口を開いた。


「美しかろう? さすが、宮廷の華と呼ばれた女子よな」


 一糸すら纏わない裸体は、鍛えられ、磨き上げられた完璧な肉体美を誇っている。

 シレーネが血を吐くような訓練の成果として勝ち取った容姿だ。


「なんの真似? 私が憎いなら、殺せばいいでしょう」


 シレーネは吐き捨て、再び剣をとった。

 アスラルが席を外した。シレーネにとっては遠慮する必要がなくなったということであり、女王ヴァルメスがシレーネを脅威だと感じていない証拠でもある。

 ヴァルメスが口を開ける。にたりと、口角が上がる。

 シレーネの顔で、こんなにも卑猥な笑みを浮かべられるのかと、シレーネは戦慄した。


「『憎い』かと? そうさな……お前とカーネルのお陰で、かの肉体を失い、死者の山に封印された。だが、余は感謝すらしておるよ。アスラルは、シレーネを妻にと望んだ。つまり、余のことじゃ」

「あなたではないわ!」


 シレーネは、剣を握った手に力を込めた。だが、動くことができなかった。

 動きを封じられていたのではない。


「今はな。じゃが、時間の問題じゃ。そなたもそう思うじゃろう?」


 ヴァルメスが問いかけたのは、シレーネではなかった。

 視線がシレーネから外れ、部屋の片隅に投げかけられた。

 シレーネは、そこに血まみれの肉体が転がっていることに気づいた。

 体を起こした。

 瀕死だったドーレル・フラムだ。


「全ては、御心のままに」

「ドーレル、あなた……」


 シレーネは、ドーレルの首元に、青いバラの刺青が浮き上がっているのを見た。


「命はとりとめ、力も増した。じゃが、アスラルのようにはいかん。余の傀儡としてしか、役に立たん。外にアスラルがおる。安心させて参れ」

「はっ」


 ドーレルは立ち上がり、部屋を出て行った。


「女王、あなたにアスラルは渡さない。今のでわかった。あなたは、アスラルを理解していない」

「ほう? ならば、そなたはアスラルを理解しているのか?」

「ええ。あなたより、ずっとね」


「ならば、わかろう。アスラルに必要なのは、顔の半分を焼け焦げた、醜い女ではない」

「アスラルは、綺麗だと言ったわ」

「名誉の負傷だと思っておるからじゃろう。だが実際は、自らの主君を殺めた、裏切りの刻印じゃ。誰よりも醜い。その醜さに、いずれアスラルも気づく」


「そんなこと……ない……」

「わかっておろう? ただの逃亡者になるか、この国を治めるかじゃ。簒奪者どもがこの地に押し寄せてくる。必要なのは、姑息な知恵者ではない。神の力じゃ」


「アスラルは、負けないわ」

「余がおればな」

「私が勝たせる」


「そなたでは無理じゃ。シレーネよ、今そなたを殺せば、アスラルは余すらも許すまい。今は殺さぬ。アスラルが王になるのを見届けさせてやろう。その後で、失せるがよい」

「もう一度言うわ。あなたは、アスラルを理解していない」

「証明してみせよ」


 シレーネの顔で、女王ヴァルメスが笑う。

 シレーネは歯ぎしりをしながら、部屋を退出した。

 頭の中で、ヴァルメスの言葉が渦巻いた。


 自分は、アスラルにふさわしくない。

 三年前から、そう思ってきたのはシレーネ自身だ。

 拳を握りしめながら、ヴァルメスの部屋を後にした。


 階段を降り、居間に出た。

 居間に入ったところで、丸いものが天井近くまで跳ね上がるのを見た。重い音と衝撃が、床を震わせた。


「ドーレル?」


 シレーネの足元に転がったのは、猛虎騎士団ドーレル・フラムの首だった。


「シレーネか。陛下はどうした?」

「お元気よ。寝直したいみたい」

「そうか」


 アスラルは、剣の血を振り払い、腰に戻した。

 首を失った死体がゆっくりと崩れ落ちる。まるで、自分が死んだことを理解していないかのようだった、


「アスラル、ドーレルはどうしたの?」

「休ませた。もう戻れないことぐらい、俺にもわかる。このまま奴隷のように戦い続けるより、眠ってくれた方がいい」


 アスラルは、ドーレルの死体には見向きもしなかった。

 シレーネは、落ち窪んだ気持ちに、活力が湧き上がるのを感じた。

 目の前の凄惨な光景は別にして、やはり女王はアスラルを理解していないと確信した。


「アスラル、これから簒奪者の群れがこの地に詰め寄せる。そう陛下は仰ったわ」

「ならば、間違いなくそうなるのだろうな」

「少し、稽古をつけてくれない? 体が鈍っているのよ」

「ああ。わかった」


 シレーネと同時に、アスラルが剣を抜く。


 シレーネはあえて、左側を隠す仮面を捨て、最強の騎士アスラルに切りかかった。

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