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18 長旅の後

 雪の中で凍りつきそうになった体を無理やり動かし、シレーネはドーレルとともに納屋の入り口に回った。

 巨漢が立ちふさがったが、その脇にいた少年に蹴られ、すくみ上っていた。


「シレーネ様ですね。ドーレル様から聞いています。残念ですが、アスラル様にはお会いできません」


 小柄な少年は言った。まだ十代の半ばごろだろう。大男が怯えている理由はわからないが、シレーネには関係のないことだった。


「アスラルがいるのは確認している。私がアスラルに会えない理由はないわ」

「俺が尋ねた時は、アスラルがいるとは言わなかっただろう」

「シレーネ様に嘘はつけません。ドーレル様とは違います」

「知り合いなの?」


 シレーネのことも知っている少年は何者なのかと、シレーネは尋ねた。納屋の中を仕切っているなら、無視もできない。


「この子はコランソン、俺が騎士になったため、アスラル様の新しい従者となった者です」

「そう。でも、私は会うわ」

「アスラル様が望みません」

「私が望んでいるのよ」


 シレーネが前に進んだ。アスラルが、シレーネと会うことを拒絶するはずがない。シレーネはそう確信していた。

 コランソンが押しとどめようとする。

 シレーネは、華奢に見える腕をかわし、コランソンの体勢を崩して床に叩きつけた。


「バリグル、とめろ」

「おう」


 掛け声だけは勇ましかったが、大男はシレーネの拳を受けて床に沈んだ。


「コランソン、どうして邪魔をするんだ? アスラル様に何があった?」


 納屋に入ったシレーネの背後で、ドーレルが尋ねていた。

 納屋の中は、雪に埋もれていたシレーネには、快適な暖かさに感じられた。

 納屋なので暖炉はない。


 ただの土間に囲炉裏があり、薪が燃えている。

 凍りつきそうになったシレーネには暖かく感じたが、実際には寒々とした場所だ。

 入ってすぐに、二階に登る粗末な階段があった。


「アスラル様は負傷して、休んでおられます」

「なら、余計に人が必要だろう」

「村長の娘、サリーがさっき、食料を持って上がったんです。アスラル様だって男ですから、邪魔をしては叱られます」

「コランソン、シレーネ様に聞かれているぞ」


 シレーネは、ヘルムを脱いだ。

 左側を仮面で隠した顔で振り向く。


「ドーレル、心配ないわ。アスラルが、私以外の女に興味を持つはずがないもの」

「でも、今までは部屋にも入れなかったんです。扉が開く音がして……サリーが中に入って行ったんです」

「コランソン、黙れ」


 シレーネの視線の先で、ドーレルが少年の口を塞いでいた。


「大丈夫よ。もしアスラルが裏切ったら……私が始末するから」

「だから、シレーネ様は……」


 コランソンが何を言いかけたのか、シレーネは聞かなかった。

 階段を上がる。

 二階の扉が見えた。

 扉が閉まったところだった。

 閉じた扉の前に、茶色い髪を背後に束ねた若い女が立っていた。


 手に、空になった籠を持っている。

 シレーネが、村長の家からつけてきた女だ。

 サリーというのだと、コランソンから聞いた。


 サリーがシレーネに気づいた。

 シレーネが階段を上がり、二階の通路ですれ違う。

 シレーネは、サリーの肩を掴んで壁に押し付けた。


「な、なんですか?」


 鼻を近づけ、匂いを嗅いだ。

 アスラルに少しでも触れていれば、嗅ぎ分ける自信があった。

 臭わない。

 シレーネは確信した。


「命拾いしたわね」


 シレーネはサリーを解放し、粗末な納屋の粗末な扉を開け、暗闇に横たわる貴人の姿を求めた。


 ※


 たしかに暗い。だが、闇の中に沈む鮮やかな赤い髪は、シレーネの目に月の光のように焼きついた。

 眠っているのかもしれない。

 怪我をしていると言っていた。

 起こしては可哀想だ。怪我の痛みを堪えて、ようやく睡眠にいざなわれたのかもしれない。


 シレーネは、足音を殺して静かに近づいた。

 積み上げた藁の上にいる人影は動かない。

 人が乗り、沈み込むことで、通常のベッドと同じ高さになっていた。


 シレーネが近づき、ベッドを回り込む。

 赤い髪に、白い肌、整った顔立ちの青年が、静かに寝息を立てていた。

 闇の中でも、白い肌がいつもより更に白く、血色が悪いことが見て取れる。

 ベッドの上に、食料と清潔な布が置かれていた。


 サリーからアスラルの匂いはしなかった。ベッドの上に置いて去ったのだろう。

 シレーネは、ベッドがわりの藁の上から、あえて食料と布を床の上に移した。自分が乗るつもりだったからだ。

 アスラルだと確信したシレーネは、ヘルムを外したまま覗き込んだ。


 怪我をしているらしい。

 いつもの鎧を脱いでいることが、アスラルにしてみれば異常なことでもある。

 服の上からでは、傷の様子はわからなかった。


 シレーネは、白い頬に触れた。

 突然、手首を取られた。


「えっ?」

「シレーネ、来てくれたんだな」


 アスラルの目が開いていた。

 赤味がかった青い瞳が、まっすぐにシレーネを貫いた。


「気づいていたの?」

「シレーネの足音は独特だ。気づかないはずがない」

「足音の違いなんて……アスラルにしかわからないわ」

「シレーネ、すまない」


 突然謝罪したアスラルに、シレーネは背筋が凍りついた。

 シレーネは、ただアスラルに会いたくて旅をしてきたのだ。

 謝られる。つまり、アスラルはシレーネとした三年前の約束を守れなかったのではないかと勘ぐったのだ。


「……嫌よ。アスラル、今更……」

「俺は、しくじった。女王を救えなかった」


 シレーネの胃の腑に落ちた、冷たく重いものが溶解した。

 よくはない。アスラルが負けたなど、信じられない。

 だが、アスラルが浮気をして、シレーネとの結婚を反故にしようとしているのではないとだけわかれば、今のシレーネには十分だった。


「大丈夫、私がついているわ。次は成功する。私が作戦を立てるわ」

「ありがとう。なら、安心だ。後は、カーネルが来てくれれば……」

「ええ。そうね。怪我をしているのでしょう。安心して休んで。私は、ここにいるわ」

「ああ、ありがとう」


 アスラルは、半覚醒の状態だったのだろう。

 シレーネが手を握ると、暖かく力強い手で握り返し、瞳を閉ざした。

 シレーネが望んだ言葉ではなかった。

 だが、アスラルはシレーネを求めている。それだけで十分、報われたような気がしていた。


 シレーネは、夜が開けるまで、アスラルの手を握ったまま離さなかった。

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