12 最果ての宿屋
乳母ミモレの孫娘として接してきたマリカの出生については、ついに知ることができないまま、シレーネは馬車に揺られた。
王都を出て、進路を北に向ける。
カーネルが災厄の邪神ヴァルメスについて語ったことから推察した。
北の国フォレストは、大陸の国々からは北の大国だと思われている。
さらに北には万年雪に覆われた連山が立ち並び、容易には進入できない。
シレーネは、一年中溶けることのない雪を頂いた山々のどこかに、邪神ヴァルメスが眠っているのだと確信していた。
乳母ミモレは高齢だ。しかも慣れない御者だ。長時間続けさせるわけにはいかない。
シレーネは、ミモレと交代に御者を勤め、ミモレが御者台に座るときには馬車の中で体を休めた。
長期間監禁され、食事を制限されていたシレーネの体は、極端に弱っていた。
戦えば騎士団を壊滅させる自信はあるが、簡単ではないだろう。
シレーネが馬車の中で手足の感覚を確かめている時、御者台からミモレが覗いた。
「お嬢様、街道の最果ての宿場町が見えてきました」
シレーネは顔をあげて窓から外を見る。
舗装も行き届かない荒れた街道の先に、数件の家が固まって建っているのが見て取れた。
「最果ての宿場町ってどういうこと? 確か、北の山中に縄張りを持つ騎士団がいたはずよ。大熊騎士団と呼ばれていたかしら」
「ええ。私もそれは聞いております。でも、あの連中は体ばかり大きくて荒くれた連中とかで、北の山の中に厄介払いされたんじゃなかったですか?」
「ミモレはそういう風に聞いているの?」
「ええ。シレーネお嬢様は違うのですか?」
シレーネは、大熊騎士団の騎士たちとは面識がなかった。
だが、人間相手の戦争ではなく、巨大な魔物の討伐の任務に際して、アスラルが何度か招集をかけたことは知っていた。
確かに巨大な体躯の騎士が多く、そのために全身を覆う鎧も作れず、乗れる馬も存在しないのだと言われている。
だが、アスラルの話からは、気のいい愉快な男たちだとシレーネは思っていた。
北に配置されたのは、不毛の大地を開墾し、食料の自給率をわずかでもあげようというカーネルの策だと聞かされていた。
カーネルの策であれば、実際には厄介払いをしたのかもしれない。
「それに、あの町で街道は途切れているはずでございますよ。地図にも道はありませんし……大熊騎士団とかいう人たちは、山の中に獣のように暮らしているのですか?」
「本当だわ。道がないわね」
シレーネは、馬車の中で付近の地図を確認した。
王都を回り込み、北に向かう道は、現在シレーネがいる場所で途切れている。
さらに北には山の印があり、地図で見る限り、集落もなさそうだ。
「でも、アスラルの招集に応じたこともあるのだもの。どこかで生きているはずよ。アスラルが邪神に挑むのなら、大熊騎士団の力を借りるのではないかしら」
「私からしたら、アスラルの坊ちゃんも、荒くれ者ですけどね」
「ミモレ、聞こえているわよ」
「し、失礼しました」
ミモレは慌てて自分の口を塞いだ。
宿場町が近づいてくる。
「アスラルが北に向かったのなら、誰かが見ているかもしれないわね。ここで泊まりましょう。ミモレ、ここまででいいわ。乗合馬車を捕まえて、王都に戻りなさい」
「お嬢様……私は、最後までお供する覚悟です」
馬車から身を乗り出したシレーネに向かい、ミモレが声を枯らした。
シワだらけの頬に触れ、シレーネは言った。
「お父様とお母様に、親不孝な娘の最後の姿を伝えて。私が何を言っても、心配しかさせないでしょうけど。ただ……生きていることを知らせて欲しいの」
「では、私はお嬢様が生きているとお伝えします。私が嘘つきにならないと、お約束ください」
「可能なかぎりね」
シレーネは言うと、ミモレの指に自分の指を絡めた。
自ら御者台に移り、ミモレを馬車の中に戻す。
シレーネが手綱を取ると、カムオウが嬉しそうにいなないた。
※
シレーネを御者台に乗せたまま、巨大馬カムオウが曳く馬車が、最果ての町の寂しい道を通る。
人影がないわけではない。
だが、馬車を見ると避けるように建物の中に入ってしまう。
最果ての街に、旅人は少ないのだろう。
馬車を避けるのは、生きるのに厳しい土地ではありえないことだ。
人々は馬車を避けたのではない。
全身を布で覆った、シレーネを避けたのだ。
「お嬢様、やはり私が代わりましょう。このままでは、情報を集めると言っても、誰とも話せませんでしょう」
背後から、馬車の窓を開けてミモレが話しかけてきた。
シレーネは首を振る。
「別に、道端の子どもたちから話を聞こうとは思っていないわ。私のことをどれだけの重病人だと思っても、建物は逃げられないわ」
シレーネは言うと、旅籠の看板が下がった、町の中では立派な建物に馬車をつけた。
シレーネは御者台から動かない。
馬車の中からミモレが荷物を持って降りる。
旅籠の中から、少年が出てきた。まだ若いが、働いているのだろう。
一瞬だけシレーネに視線を向けて怯えた表情をしたが、ミモレが逃さず、腕を掴んで囁いた。
「今日、泊まるところを探しているんだけどね」
「そ、その人もかい?」
少年は、御者台のシレーネを指差した。
貴族を平民が指差したりすれば、それだけで罪に問われかねない。
ミモレは素早くその指を下げさせ、言った。
「ええ。当然です」
「この町には、宿屋はうちだけだよ。でも、その人は……」
「ミモレ、交渉は任せようと思ったけど、このままではラチがあかないわ」
シレーネは言うと、御者台から飛び降りた。
少年が腰を抜かす。シレーネに近寄られたための拒絶反応だ。
シレーネはミモレの持つ荷物を奪うようにとり、少年には目もくれずに旅籠に入った。
入り口の扉を開けると、受付のカウンターと、食堂が目に入った。
受付にはいかつい男が座っていたが、シレーネを見ると目つき鋭く睨んだだけで、何も言わなかった。
シレーネの視線は、食堂の奥に向かっていた。
カウンター席になっている食堂の奥に、体格のいい男が座っていた。
シレーネが入ってきたことにも気づかないようで、ただカップを傾けている。
完全武装ではないが、一部武装したままの男に、シレーネは騎士団の者だと見当をつけた。
騎士の男に、この店の従業員だろうか、粗末な服の前掛けつきの女がしなだれかかっていた。
若作りはしているが、シレーネよりはだいぶ年上に見える。
他の客は、シレーネが入ってきたことを知ると、避けるように顔を背けた。
声を荒げるような者はいない。静かな宿だった。
シレーネが近づく。
騎士の男に話しかけていた給仕の女が、シレーネに気づく。
シレーネを見た瞬間、怒声を発した。
「病気持ちが何の用だい! この店は、そんな店じゃない! とっとと出て行きな!」
シレーネは、ミモレから奪った荷物を持ち上げた。
「お金はあるのよ」
「金の問題じゃねぇ! あんたみたいなのが泊まったって知れたら、この店は潰れちまうって言っているんだ!」
「知られはしないわ。それに、潰れない」
「そんなはずがあるかい!」
「あるのよ」
シレーネは言うと、大きな巾着袋の口を開け、中身を床にばらまいた。
大量の銀貨が床を埋める。
「この店を借りきる。全員出て行きなさい」
シレーネが言うと、他の客たちは転がった銀貨を拾って逃げるように出て行った。
「こ、こんなことをして……」
「それでも私を泊められないというなら、この宿を買い取るわ。ミモレ」
「お嬢様、この程度の旅籠を買い取るのは造作もありませんが、無駄遣いでございますよ。価値なんかあるものですか」
「このババア……」
悪態をつこうとした女の脇を抜け、シレーネは奥にいた騎士の男に近づいた。
「あなたもよ」
「俺はいい。あんたが泊まっていても、構わない」
「そうは行かないわ。この盾の紋章、猛虎騎士団の者ね」
「ああ。騎士団の見分けがつくってことは、あんた、貴族か?」
「こんなところで何をしているの? アスラルはどこ?」
「アスラル? あんた……何者だ?」
アスラルの名が出た途端、騎士は腰をあげた。
シレーネは、初めて見た男だった。
だが、知っていた。知っている男だと確信した。
「言え! アスラルをどうするつもりだ?」
騎士が立ち上がる。
シレーネに手を伸ばした。
伸ばされた腕を取り、シレーネは捻った。
騎士の男が回転し、頭から床に落ちた。
「あ、あんた……」
「ドーレル・フラムね。アスラルを一人にして、何をしているの?」
「まさか、シレーネ様?」
「おいおい、あんた騎士だろう。そんな病人に、簡単にやられるなよ」
相変わらず口汚く罵った女を置いて、シレーネは騎士ドーレルを立たせた。
ミモレが銀貨を山に積み、宿の受付で手続きをしているのが見えた。




