表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/26

11 王都を抜けて

 伯爵令嬢シレーネは、誰にも見咎められることなく王宮を抜け出した。

 それほど難しいことではなかった。

 カーネルが人払いをしていたのかもしれないが、肉体も精神も限界に達していたシレーネの五感は研ぎ澄まされていた。かすかな足音、話し声を聞き漏らさず、人がいない場所を的確に探し当てた。


 全身にシーツを巻きつけた病的に細い体を持ちながら、シレーネの運動能力も落ちていなかったのである。

 王宮を抜け出て、自宅である伯爵家に向かってよいものかどうか、シレーネは迷った。


 シレーネが戻れば、両親は喜ぶかもしれない。

 だが、逆に迷惑もかけてしまうだろう。

 ひょっとして、親不孝の娘として追い出されるかもしれない。


 それならば、人知れず王都を抜け出した方がいいのではないだろうか。

 シレーネが迷っていると、視界の隅で小さな老婆が手招いているのに気がついた。

 小柄で、頭髪は白く、簡素だが質の良い服を纏っている。


 シレーネは地面を蹴った。

 小柄な人物の目の前で立ち止まる。


「ミモレ、私……」

「お嬢様がご無事でようございました。さあ、こちらに。準備はできてございます」


 シレーネに何も言わせず、乳母であったミモレは手をとって背を向けた。

 なんの準備ができているのだろうか。

 仮にミモレが近衛騎士団にシレーネを売り渡そうとも、シレーネは恨まなかっただろう。


 シレーネのために、マリカが死んだ。

 もし、ミモレがシレーネを売って、対価を手にして満足するのだとしたら、シレーネにとってもはむしろ救われるかもしれない。

 だが、ミモレはシレーネを裏切らなかった。

 ミモレに手を引かれて街角を曲がると、目の前で巨大な馬が、馬車に繋がれていた。


「これは……カムオウ?」


 シレーネには、見慣れていた馬だった。

 伯爵家に献上された、体格が大きく激しい気性で知られる品種の馬で、シレーネが騎士団に入ったことを知った出入りの商人が献上したものだ。

 馬の中で最も巨大に成長するため、大柄な騎士に重用されるが、騎士としては小柄なシレーネが乗ることで、侮られない効果もある。


「はい。このカムオウ……決してシレーネお嬢様以外には懐きませんでしたのに、今日だけはなぜか自分から厩を出て、私に馬車を繋げと……」

「言ったの?」

「いえ。馬車を繋いでも、抵抗しなかったのです。いつもならあり得ないのですが」


 おそらく、カーネルの差し金だとシレーネは感じた。

 カーネルが、ミモレにシレーネが今日脱出すると告げたのだろう。

 だが、カムオウがシレーネ以外の指示に従わないのは事実だ。


 そのカムオウが、小さくはあるが馬車に繋がれている。

 本来は二頭以上で引く馬車だが、カムオウが大きくて二頭繋ぐ場所がないため、カムオウ一頭で馬車を引く形になっている。


「ミモレ、私の鎧は?」

「馬車の中に積んであります。それと……旅の支度もすでに整っております」

「そう。ありがとう。助かったわ」


 シレーネは御者台に座ろうとした。馬車の中は荷物でいっぱいだろう。だから、カムオウを操縦して街を出ようとした。

 だが、体に巻きつけたシーツを引っ張られた。


「お嬢様にそんなことはさせられません。お嬢様がお乗りなのです。カムオウも、この年寄りの操縦に従ってくれます」

「ミモレ、あなたは伯爵家に戻って。私は、これから国を追われるのよ」

「存じております。ですから、せめて出立をお見送りしませんと、旦那様に合わせる顔がございません」


 ミモレは引かなかった。最後まで付いてくるとは言わないだろう。

 アスラルを追うのであれば、ミモレは足手まといだ。

 シレーネは頷き、ミモレを抱えて御者台に座った。


「お嬢様は馬車の中にお入りください。ここはこの年寄りで十分でございます。お体も回復されていないのでしょう」

「ミモレ、あなたと話したいの。駄目かしら?」


 シレーネが言うと、ミモレは一瞬惚けたような表情をした後、笑みをこぼした。


「それは、断れませんね。さあ、この年寄りで話せることでしたら、いかようにもお話しいたしますとも。カムオウ、わかっているね。出発しておくれ」


 ミモレが手綱を持って声をかけると、巨大な馬は一声嘶き、真っ黒い馬体を揺らし始めた。


 ※


 時間帯が深夜であることもあったのだろう。

 街には人影もなく、シレーネはミモレと並んで馬車の御者台に揺られた。

 シレーネは巻きつけたシーツの上から、ミモレが用意していたローブを纏った。


 顔を見られれば、遠くからでもシレーネだとわかる。

 見られてはいけない。

 シレーネは死んだことになっているのだ。マリカの死体が、今頃は騎士団に発見されているだろう。

 カーネルが裏切らなければ、マリカの死体がシレーネとして葬られるはずだ。

 顔を布で覆い、不自然に見られないように、手も足も肌の露出を避けて布で隠した。


「ミモレ、マリカのことだけど……」


 シレーネが話したいと言った段階で、察していたのだろう。ミモレは頷いた。


「マリカが自分で決めたことです。お嬢様を生かせるのならば、どうなっても構わないと」

「マリカのお父さんとお母さんは誰なの?」

「私の息子と嫁です」


 ミモレの声が震えたことに、シレーネは気づいた。


「マリカの死体を見て、カーネルが言ったわ。マリカは、私の妹か姉なの?」

「そのようなことはございません。あれは、私の孫ですから」

「カーネルはよく嘘をつくけど……間違ったことは言わないわ。カーネルがそう感じたなら、私と同じ血が流れていると確信したのよ」


「お嬢様……マリカは死んだのです。マリカは幸せでした。お嬢様にお仕えできたのですから。それでは、いけませんか」

「そう。教えてはくれないのね」

「お嬢様にとっては、重要なことではないはずでしょう」

「うん。そうかもしれない」


 マリカの出自に、シレーネの興味はない。シレーネは、自分が周りの人間たちにいかに配慮していなかったかを、思い知ることになった。

 言葉を選んでいるうちに、王都を出るための正門が近づいてきたのを見て取った。

 兵士たちがいる。

 深夜にしてはその数が多い。


「お嬢様、馬車の中にお入りください。やり過ごします」

「突破した方がよくない?」

「年寄りに無茶をさせないでくださいまし」

「カムオウなら……いいわ。自信があるなら、任せる」


 シレーネは言いながら、御者台で立ち上がった。

 揺れたためミモレが短く悲鳴を上げたが、シレーネは気にせず背後の馬車に移動した。

 走り続ける馬車の上で移動することを、シレーネは簡単にやってのけたが、落ちれば大怪我をする。


 ミモレが呆れる声が聞こえたような気がしたが、馬車内に入り、シレーネは自分の愛用している武具一式があることを確認し、用意したミモレに感謝した。

 馬車の中で落ち着いたところで、カムオウの足が止まった。

 何事かと尋ねるまでもなく、外の会話が聞こえてきた。


『こんな夜更けにどこに行く?』

『街を出るのに許可がいるなんて、聞いたことがありませんよ』

『事情があって、厳戒態勢なのだ』

『そっちの事情を教えないで、私にだけ尋ねるんですか?』


『王命なのだ。それ以上、言う必要はあるまい。この馬……アルテーゼ伯爵家の馬じゃないか?』

『そうですよ。でも、盗んだんじゃありません。ちゃんと許可をもらっていますよ』

『誰が乗っている?』

『開けない方がいいですよ』


 シレーネは、じっと会話を聞いていた。

 服の中に短剣を隠し、馬車の扉が開けられるのを待った。

 扉が開く。シレーネは動かなかった。

 知らない兵士だ。

 目が合った。見つかった。そう感じた。


 それでもシレーネは動かず、剣を握りしめた。ミモレが任せろと言ったのだ。ぎりぎりまで任せるつもりだった。

 乱暴に扉が閉められる。


『皮膚病か?』

『触りましたか? なら、あなたにも感染するかも』


 冬の国では発生は少ないが、伝染し、死に至る皮膚病が恐れられていた。

 触れると伝染すると考えられていたことと、感染すると皮膚が爛れる症状から、患者は皮膚の露出を極端に避け、体に布を巻きつけることが多い。

 まるで、現在のシレーネのように。


『まさか。触るものか! では、目的地は死者の谷か?』

『ええ。人目につくのを伯爵様が懸念されたのです』

『当然だ。早く行け。そいつを捨てて来るまで、戻るなよ』

『はいはい』


 馬車が動き出す。


 街から離れ、シレーネは御者台に戻り、ミモレからの謝罪を受け入れた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ