【第2話】中の人、募集中
「お礼が干物なのはなぜですか」
着任2日目の夜、坂の上の家で、私は倉持さんに電話をかけていた。
送られてきた写真には、手書きのポスターが写っている。星をいくつも散らした画用紙の真ん中に、太いペンの字。
『星浦ルナの声、募集します。お礼:干物』
「謝礼をお金で払うと、決裁に2週間かかるんです」
電話の向こうで、倉持さんはなぜか得意そうだった。
「物なら、僕の判断で今日出せます。観光協会の在庫を回してもらえることになりました」
「干物は物なんですか」
「物です」
倉持さんは、それから声を少し落とした。
「茨城県のVTuberは、県の動画の予算が年に1億4000万円あるそうです。岩手県のは500万円くらいで。うちは27万4000円です」
「桁を数えたくないです」
「選ばれた人にも、干物で払うつもりですか」
「まさか。選ばれた人には、27万4000円から、ちゃんと謝礼を出します。これは来てくれた人全員へのお礼です」
それなら、と思えてしまう。前の業界より、よほどまともだ。
ポスターには、小さな字で条件も書いてあった。「干浦町にお住まいの方」。町のことを自分の言葉で話せる人、という町長の注文だ。
電話を切ってから、私は台所の椅子に座り、前の仕事で見てきた数字を思い出していた。声の仕事を始めたばかりの人が一人で20分しゃべり続けられるようになるまで、ふつうは何か月もかかる。本番までは4週間もない。
それでも、私がやるよりはいい。
*
着任から10日たった、4月11日の土曜。まつりまであと18日というところで、公民館の和室に長机を2つ並べて、オーディションを開いた。
机の端に置いた倉持さんのノートPCでルナを映す。その隣に私のノートPCを置き、画面をモニターに出した。モニターには、私が打つ偽物のコメントが流れる仕組みだ。本番では、知らない人のコメントに答えながら話し続けなければならない。その練習ができるかどうかを確かめたかった。
1人目は、観光協会の事務の女性だった。40代で、髪をきっちりまとめている。
設定資料を読んできたらしい。ルナの自己紹介を一字一句、資料のとおりに言った。句読点の位置まで正確だった。
私はコメントを一つ打った。
:好きな食べ物は?
女性はモニターを見て、落ち着いて答えた。
「資料の42ページをご覧ください」
倉持さんが、ルナの画面から顔をそむける。
42ページには、確かに好きな食べ物が書いてあった。「星のしずくのゼリー」。
二人目は、高校の放送部の女の子だった。
声がいい。読み方もいい。偽物のコメントにも、少し考えてから、ちゃんと自分の言葉で返した。私は思わず身を乗り出した。
そこへ和室の襖が開いた。
「うちの子の声がネットに流れるの?」
母親だった。説明する間もなく、女の子は「すみません」と頭を下げて、母親に連れられて帰っていった。
責める気にはなれなかった。私が親でも同じことを聞く。
3人目は役場の新人職員だった。
和室の入口で靴を脱ぎかけて、手を止めた。
「すみません、やっぱり無理です。親戚が全員見るので」
靴を履き直して、帰っていった。
倉持さんが長机の上で指を組む。
「……町の人だと、そこがあるんですよね」
4人目が来たのは、終わりの時間を15分過ぎてからだった。
サンダルの音がして、襖が勢いよく開く。
「ごめんねえ、店の仕込みしとったら遅くなって」
港のスナック「潮騒」のママだった。58歳。倉持さんが、誰にでも声をかけてくれそうな人として頼んでいたらしい。
ママはルナの画面の前に座ると、設定資料の1ページ目をちらりと見て、すぐに閉じた。
「星の海から、きらりん☆」
声は低くて、少しかすれていた。語尾はどう聞いても「いらっしゃい」の調子だった。
私はコメントを打った。
:声ひくくない?
「低いのはね、夜の海が深いからだら。深いとこから来とるの、この子は」
ママは画面のルナに向かって、にっこりした。
私はもう一つ打った。
:何歳?
「女に歳を聞くお客さんは、ボトル一本入れてからね」
ママは言いながら、小さく鼻歌を歌っていた。演歌だった。
倉持さんが慌てて資料をめくる。
「あの、ルナの年齢は、設定では……星の海では、1200歳です」
「じゃあ私、若いほうだら」
倉持さんが吹き出す。
私は続けてコメントを打った。わざと意地の悪いものを選んだ。
:前の声優のほうがよかった
「あら、そう。前の人も好きだったんだねえ。好きなもんが多い人は、いい人だに」
私は、キーボードの上で手を止めた。
30年、酔ったお客さんの相手をしてきた人の返しだった。どんな球が来ても、打ち返さずに受け取って、そっと戻す。
面白くなって、私は打つより先に口で言っていた。
「1200歳なら、昔の干浦も見てますよね」
「見とるよ。昔はここ、干物じゃなくて海苔ばっかりだったの」
「それ、ほんとの話ですか」
「半分ほんと」
「残りの半分は」
「1200年前のことだもん、忘れた」
「じゃあ、覚えてるほうの半分を教えてください」
ママが声を上げて笑った。
倉持さんが、私とママの顔を交互に見ていた。
「今の……柚木さんのほうが、ルナっぽかったです。たぶん」
「私は打つ係です」
私はキーボードに手を戻した。
その日のうちにママに決まった。
*
演者が決まっても、配信する機械がなかった。まつりまでは、あと2週間あまりだった。
役場から借りられるノートPCは、ルナを動かしただけで熱を持ち、中のファンが悲鳴を上げた。これで配信をしたら、20分もたないうちに止まる。
倉持さんと町の倉庫を回った。
公民館の物置の奥に、使われなくなったデスクトップPCが2台あった。一台は電源が入らず、もう一台は電源が入るのに画面が映らない。
私は床に新聞紙を広げて、2台の蓋を開けた。
「直るんですか」
「2台で一台にします」
画面の映らないほうを開けると、中から焦げたにおいがした。映像を出す部品の端が茶色く変色している。電源の入らないほうは、ボタンを押しても何の音もしない。電源の部品だけが壊れていて、中身は無事なのかもしれなかった。
電源の入らないほうから、映像の部品を外す。一本ずつ差し替えては、画面の映らないほうに挿して、電源を入れて確かめる。2本目で、ファンの音が変わった。メモリも、生きているほうを寄せ集める。
倉持さんは、私の手元を見て、何も言わなかった。途中で一度、コンビニで軍手を買ってきてくれた。
蓋を閉めて、電源ボタンを押した。
中のファンが一度止まりかけ、それから回り始めた。モニターに、町のマークが入った古い起動画面が映った。
「おお」
倉持さんが小さく拍手をした。
モニターは、高校のパソコン室で使われなくなったものを、事務室の先生が貸してくれた。
最後に残ったのがマイクだった。
私が選んだのは、30,800円の一台だった。前の仕事で、何十本も使ったことのある型だ。
「あの、柚木さん」
倉持さんが、通販の画面をのぞき込んで、眉を下げた。
「この町の規則だと、3万円を超える物は備品になるんです。備品だと、町の物として登録する手続きがあって、届くまで1か月かかります」
「1か月」
「まつりが終わってます」
二人で、黙って通販の画面をスクロールした。
同じ会社の、一つ前の型が出てきた。29,800円。
倉持さんが顔を上げた。
「消耗品です。今日、買えます」
私はその型の性能を思い出した。問題ない。むしろ、ルナの声には、こっちの少し柔らかい音のほうが合うかもしれない。
倉持さんは見たことのない速さで購入画面を進めた。
直したPCを運び出すとき、公民館の玄関で、年寄りの集まりから出てきた人たちとすれ違った。
その中の一人が足を止めた。
日焼けした大柄な男だった。70代だろうか。私の抱えたPCと、倉持さんの抱えたモニターを順番に見た。
「それも税金か」
声が大きかった。玄関の中にいた人が、みんなこちらを見た。
「拾い物です」
「拾い物で町の顔をやるんか」
男は、倉持さんのモニターに貼ってあるルナのシールを指で叩いた。
「1800万かけて、誰も見とらん。今度は拾い物で、誰が見る」
私は答えられなかった。
1800万円をかけて、見に来た人のほとんどが最初の挨拶で帰っている。それを読み取ったのは1日目の私自身だった。男の言っていることは、少なくとも数字の上では正しかった。
男はそれ以上何も言わずに、坂を下りていった。
倉持さんが、モニターを抱えたまま、小声で言った。
「副議長の、島崎さんです。6月の、あの」
*
まつりの2日前、4月27日の月曜。開店前の潮騒で、最後の練習をした。
カウンターにノートPCを置き、ママがグラスを拭きながらルナの挨拶をする。10回繰り返すうちに、スナックの「いらっしゃい」と姫の「きらりん☆」のあいだに、ちょうどいい高さが見つかった。
「これでいいら?」
「いいと思います」
本心だった。ママなら、コメントが荒れても、止まっても、たぶん20分話し続けられる。
私は、ほっとしていた。本番の日、私はママの後ろで、回線と音を見ていればいい。画面の外にいられる。
「ほいじゃ、あさってね。今夜は町内会のカラオケ大会だもんで、ちょっと顔出してくるわ」
「喉、大事にしてくださいね」
「一曲だけ。一曲だけだら」
ママがグラスを棚に戻して、看板の電気をつけた。
*
まつりの前日、4月28日の火曜。夜10時に、倉持さんから電話がかかってきた。
「柚木さん、あの」
通話の向こうで、かすれた声が何か言っている。聞き覚えのある声だった。
「ママの声が出なくなりました」
「……え」
「昨日の夜、カラオケ大会で『天城越え』を3回、歌ったそうです。アンコールが2回あって」
電話の向こうから、ママの「ごめんねえ」が聞こえた。ほとんど息の音だった。
「今朝から声が出なくて、夕方に病院へ行ったら、あさってまでは無理だろうって」
私は台所の椅子に座ったまま、しばらく壁を見ていた。
「中止にしましょう」
「広報誌、全戸に配っちゃってます。2600世帯です」
「知ってます」
「まつりのチラシにも載っちゃってます」
「……知ってます」
電話を切った。
家の中が静かになり、冷蔵庫の音だけがしていた。
私は鞄から、青い設定資料を出した。1ページ目を開く。
『はじめまして! 星の海から、きらりん☆』
誰もいない台所で、私は口の形だけで、その言葉をなぞってみた。
声は出さなかった。
それから、スマートフォンの目覚ましを、朝の5時に合わせた。




