【第1話】予算、27万4000円
「星の海から、きらりん☆」
着任初日の朝9時、町役場の小会議室で、人魚のお姫様に挨拶された。
スクリーンの中で、水色の髪の女の子が片目をつぶっている。髪には星の飾り、胸元には大きなリボン。腰から下はたぶん魚だけれど、絵が胸から上しかないので確かめようがない。
町のVTuberだった。
私はパイプ椅子で、辞令の封筒を持ち直した。
1年半ぶりに、VTuberの画面を見た。前の事務所を辞めてから、私はこういう画面を一度も開いていない。
「こちらが」
スライドを操作していた職員が、誇らしげに振り返った。
「柚木さんに担当していただく星浦ルナです」
名札には倉持圭とある。20代半ばくらいで、ワイシャツの袖を肘までまくっている。さっき廊下で会ってから、もう3回お辞儀をされていた。
「担当」
「はい」
「私の仕事は町の魅力発信だと伺ってます」
「はい。魅力発信です」
「役場のSNSを更新する仕事だと思ってました」
「募集要項に『SNS・動画等』って書いてあったと思うんですけど」
「その『等』に、これが入ってるんですか」
「入ってます」
倉持さんは申し訳なさそうに、でもはっきりと頷いた。
等、が重い。1文字ぶんの重さではない。
机の端に、青い紙ファイルが置いてあった。背表紙に「星浦ルナ 公式設定資料」。私の親指より厚い。
めくってみると、1ページ目が挨拶の文例で、2ページ目から30ページ目まではロゴと絵の使い方の決まりだった。ロゴの周りに空けておく幅。ロゴを載せてはいけない背景の色。ルナの絵を斜めにしてはいけない理由。
「86ページあります」
「ロゴと絵の決まりだけで30ページありますね」
「町の人が勝手にグッズを作らないための決まりだそうです。代理店さんが作ってくれました」
キャラクターの使い方の決まりを作るのは、まっとうな仕事だ。前の事務所にも同じ種類の資料はあった。ただ、あっちは10ページで、残りには配信のやり方が書いてあった。
「星浦っていうのは」
「町の名前です。干物の干に浦で、ほしうら」
倉持さんはホワイトボードに「干浦」と書き、その隣に「星浦」と書いた。
「干物の町だと若い人に届きにくいって、代理店さんが言いまして。読みは同じなので、漢字だけ変えました」
「漢字を変えただけ」
「はい」
「それで、おいくらかかったんですか」
「全部で1800万円です」
私が黙ると、倉持さんは慌てて手を振った。
「名前の値段じゃないですよ。東京での発表会とか、ネットの広告とか、グッズとか、紹介動画とか、声優さんの3か月分とか、全部込みです。去年1年で使い切る事業だったんです」
「絵と、動くモデルは」
「それも入ってます。いくらだったかは、書類に書いてなくて」
全部込みの結果、この会議室にいるのは私と倉持さんとスクリーンの姫だけだった。
スライドの次のページは、動画サイトのルナのチャンネル画面だった。登録者213人。最後の配信は7か月前。
見るつもりはなかったのに、目が勝手に数字を拾う。
「最後の配信のアーカイブを開いてもらえますか」
倉持さんがクリックする。再生回数は58回。コメントは9件で、そのうち6件が同じ3つのアカウントから書き込まれていた。「干浦町役場 企画観光課」「ほしうら観光協会」「ブライトゲート公式」。ブライトゲートは、ルナを作った東京の広告代理店だという。
「管理画面も見られますか」
「は、はい」
差し出されたノートPCで、視聴の記録を開く。平均視聴時間は41秒。何分目で人が離れたかを示す線は、始まって40秒あたり、挨拶が終わるところで、ほとんど下まで落ちていた。
「みんな、最初の挨拶で帰ってますね」
「……え」
「登録者の213人も、40人くらいは役場と関係者じゃないですか。コメントの顔ぶれからすると」
倉持さんは私を見た。画面を見た。もう一度、私を見た。
「課の全員で登録しました」
「ですよね」
言ってから、私はノートPCから手を離した。1年半ぶりに触った管理画面の上で、指のほうが先に動いていた。
倉持さんが、ポケットからスマートフォンを取り出した。何かを探す指が速い。
「あの、違ってたら本当に申し訳ないんですけど」
倉持さんはライブの録画を再生した。私が前にいた大手のVTuber事務所が、所属タレントの周年記念に開いた3Dライブ。その最後に流れる、スタッフの名前の一覧だ。倉持さんが技術スタッフの欄で動画を止める。止めた画面の真ん中に、私の名前があった。
テクニカルディレクター 柚木小夜
ライブの配信で、回線と音と映像の切り替えをまとめる責任者。それが私の前の仕事だった。
「……ですよね?」
「同姓同名です」
「柚木小夜さんって、そんなにいます?」
「探せばいると思います」
「僕、あの事務所の3Dライブは全部、最後まで見るんです。技術の人の名前、けっこう覚えてて」
「その仕事はもうやってません」
声が、思ったより低く出た。
倉持さんは何か言いかけて、口を閉じた。スマートフォンをしまって「すみません」と一度だけ頭を下げ、それ以上は何も聞いてこなかった。
聞かれなかったことに、私は少しだけ助けられた。
1年半前、私が技術の責任者だった3Dライブで、放送事故が起きた。私が最終確認をした切り替えの表に、間違いがあった。その事故がもとで、一人の演者が引退した。私は翌月、事務所を辞めた。
*
小会議室を出ると、階段の下から子どもの声が上がってきた。
「ひらきくーん」
保育園の見学らしい。黄色い帽子の列の先頭を、茶色くて平たいものが歩いてくる。
アジの開きだった。
頭から尾まできれいに開いたアジの形の着ぐるみが、横向きのまま、一段ずつ階段を上がってくる。目は片側に2つ並んでいて、2つとも私を見ていた。
踊り場で、着ぐるみは私の前に止まった。そして平たい体を、ぱたん、と前に折った。
お辞儀だった。
私も慌てて頭を下げた。顔を上げたときには、着ぐるみはもう横歩きで廊下の奥へ向かっていて、黄色い帽子がその後ろに続いていた。
「ひらきくんです」と倉持さんが言った。「町の公式キャラクターで、しゃべりません」
「横にしか歩けないんですか」
「開きなので」
子どもたちは誰も疑っていなかった。
*
企画観光課は2階の奥で、私の机は倉持さんの隣に用意されていた。
机の上に、地元紙が一部置きっぱなしになっている。
『1800万円のVTuber 再生回数は』
見出しの下に、スクリーンの姫が小さく載っていた。
「それ、3月の記事です」
倉持さんが新聞を裏返した。
「前の町長の肝いりで作ったんですけど、町長が替わって、今の町長は続けない方針で。声優さんの契約も切れて、それから誰も触ってなくて」
「それで、私が触る」
「……6月の議会で、副議長がルナの予算をゼロにするって言ってまして」
「まだ残ってるんですか、予算」
「今年度は27万4000円です。前の町長が、モデルの保守費として付けていった分だけで」
「演者さんは」
「声優さんの事務所に聞いてみたんです。そしたら、1回の配信で」
「高いですね」
「まだ金額言ってないです」
「事務所を通すとだいたいそうなります」
声優の事務所に頼めば、出演料に事務所の取り分が乗る。27万4000円なら、何回かで終わる。
事務所を通さなければ話は別だった。配信アプリで毎晩しゃべっている人や、デビューを待っている人はネットにいくらでもいる。月に数万円で毎週しゃべってくれる人は、探せばすぐ見つかる。
前の業界で、そういう人たちが安く集められて、数字が出なければ入れ替えられていくのを、私は何度も見てきた。
「安く引き受けてくれる人なら、ネットで探せばいます」
私が言うと、倉持さんは首を振った。
「それなんですけど。前の声優さん、東京の方で、干浦には一度も来てないんです。配信で町のお店の名前を読み間違えたのが、町で評判悪くて。町長からも、次をやるなら町のことを自分の言葉で話せる人にしてくれって」
「町に住んでる人、ってことですか」
「できれば」
27万4000円で、町に住んでいて、人前でしゃべれて、1年続けてくれる人。並べたところで、考えるのをやめた。
倉持さんは椅子をこちらへ回して、声を小さくして付け足した。
「それと、国に出してる柚木さんの活動計画なんですけど。……『ルナの運用』って書いちゃってまして」
「ルナがなくなったら」
「活動の中身がなくなります」
協力隊の給料は、国から町に出るお金で払われる。何をする人として来たのかが消えたら、いちばん困るのは私だった。
口座の残高は、今朝見たら3万円台だった。家賃ゼロ、軽トラ貸与。募集要項のその2行につられて、私はこの町に来た。
「引き受けるとは言ってません」
「はい」
「データだけもらっていいですか。見るだけです」
倉持さんは引き出しから、星のキーホルダー付きのUSBメモリを出した。代理店の置き土産らしかった。
*
町が用意してくれた家は、坂の上の元駄菓子屋だった。
店だった土間の奥に6畳と4畳半、それに台所。窓から港が見えた。暗くなると、海の上に漁船の灯りが3つ4つ浮かんだ。
光回線の工事は、5月になると言われている。
玄関の取っ手に、ビニール袋が掛けてあった。中にアジの開きが4枚と、鉛筆で書いたメモが1枚。
「よろしくね 下の家」
魚焼きグリルの点け方が分からない。私は4枚を冷蔵庫に入れた。空だった冷蔵庫に、干物だけが行儀よく並んだ。
ノートPCをスマートフォンの電波につなぎ、星のキーホルダーごとUSBメモリを挿した。
見るだけだ。
ルナのモデルを開いた。
まず、まばたきが気になった。
3秒ごとに1回。きっちり3秒で、ルナは目を閉じて、開けた。
カメラで中の人の顔を読んで動かしていれば、こうはならない。人がまばたきをした瞬間に、ルナもまばたきをする。3秒ごとに正確に閉じるのは、顔を読まずに、自動のまばたきだけで動かしていたからだ。
口は開くか閉じるかしかない。髪は一本も揺れず、首を傾けると星の髪飾りが頭から浮く。
モデルの中をのぞくと、目と口と眉を動かす部品は、最低限入っていた。カメラで読んだ顔につながっておらず、声に合わせて口を開け閉めして、自動でまばたきするだけ。髪を揺らす設定はない。個人のモデラーに10万円ほどで頼めば付いてくる揺れも表情もない、その半分もかからない出来だった。
1800万円のうち、ルナの体に使われたのはその程度だった。残りは発表会と広告とグッズになって、去年1年で消えた。
最後の配信のアーカイブを再生した。
声優さんの声は上手だった。店の名前は2回読み間違えていた。台本は代理店の宣伝文で、途中で声優さんが笑っても、ルナの顔は笑わなかった。
上手な人に、町を知らない台本を読ませて、笑っても顔の変わらない姫をかぶせていた。見ている人が挨拶で帰るのも当然だった。
私はモデルの設定ファイルを開いた。
開いたら、閉じられなくなった。
目と眉と口の部品を、カメラが読んだ私の顔につないだ。
胸のあたりに、息をしているように見える程度の上下を入れた。
髪は全部揺らすとうるさいので、右の一房だけ、首より少し遅れて揺れる設定にした。
髪飾りは頭に留めた。
気づくと2時を過ぎていた。
3時。
カメラをつけた。画面の隅に、寝ぐせのついた私が小さく映る。その隣で、ルナが目を開けた。
私が首を傾げると、ルナも首を傾げた。右の一房が、少し遅れて揺れた。星はずれなかった。
私がまばたきをすると、同じ瞬間にルナもまばたきをした。
口を開けかけて、やめた。
カメラを切って、ノートPCを閉じた。港の灯りは、いつのまにか1つに減っていた。
*
翌朝、課に着くなり、倉持さんが私のノートPCをのぞき込んで、声にならない声を出した。
「……まばたき」
「直しました」
「髪、揺れてます」
「一房だけです」
「やってくれるんですね」
「直しただけです」
「はい。……はい」
2回目の「はい」は、何も聞いていない返事だった。
倉持さんは自分の机から、薄い冊子を一部取ってきた。
「じゃあ、これも見ておいてもらえると」
表紙に「広報ほしうら 4月号」とある。町の広報誌だ。
「これ、もう配ったんですか」
「昨日までに全戸に配りました」
倉持さんが開いてくれたページの真ん中に、ルナがいた。片目をつぶって、星をまき散らしている。その上に、太い字が並んでいた。
4月29日 港の朝市まつりで 星浦ルナ 復活生配信!
私は冊子を持ったまま、隣の机の青年を見た。
「演者は」
「……これから、探します」
そのとき、倉持さんのノートPCが勝手にしゃべった。昨日のスライドを閉じ忘れていたらしい。
「星の海から、きらりん☆」
課の全員が、こちらを見た。




