【第3話】星の姫は回線を直す
午前5時の港は、もう起きていた。
テントの骨組みを運ぶ音、発泡スチロールの箱を積む音、どこかで誰かが誰かを呼ぶ声。4月29日、港の朝市まつり。着任から、ちょうど4週間になる。1年でいちばん人が集まる日だと、倉持さんに聞いていた。
私は漁協の荷さばき所2階の会議室で、公民館から運んだPCを組み立てていた。
「本当に、柚木さんがやるんですか」
6時過ぎに来た倉持さんは、机の上の機材と私の顔を見比べた。
「5分だけです。挨拶して、今日は顔見せですと言って終わります」
「次回のお知らせは」
「見ている人には、次回はまだ決まっていませんと正直に言います」
会議室の窓からは朝市の通りが見下ろせた。通りをはさんだ向かいに、漁協事務所の平屋がある。
顔の動きを読むカメラはPCのモニターの上に付けた。もう一台のカメラとしてスマートフォンを窓枠に固定し、外へ向けた。ルナの後ろには、代理店が作った星の背景ではなく今日の港を流す。ご当地の配信ならそのほうが早い。
問題は回線だった。ここにはスマートフォンの電波しかない。スマートフォンの回線は、受け取るより送るほうがずっと細い。動画サイトが勧める画質で送るには、そもそも足りない。私は画質を一段落として、送る量を減らしておいた。
「人が集まると、電波が詰まります。向かいの漁協の事務所に固定回線がありますよね。いざというとき、借りられるよう頼んでおいてもらえますか」
「事務所の鍵を持ってる人、朝の競りに出てて、戻るのが10時近くになるそうなんです。戻ったら開けてもらえるよう、お願いしておきます」
倉持さんは、まつりの手伝いに呼ばれて出ていった。
私は一人になった会議室で、マイクに向かって口を開いた。
「……星の、海から」
声が小さい。姫らしい高くて明るい声を作ろうとすると、喉が縮む。人前でかわいい声を出したことは、一度もない。
窓の下で、拡声器の声がした。
「10時から、マグロの解体ショーを行いまーす」
*
9時50分。解体ショーの10分前に、配信を始めた。
「星の海から、きらりん☆……なのです」
ルナが片目をつぶった。夜中に直したまばたきは、ちゃんと働いている。働いていないのは中身のほうだった。
同時接続、11。
:きた
:声変わった?
:前の人じゃない
:きらりん(小声)
:がんばれ
小声なのは自覚している。
私は設定資料の台本を読んだ。
「今日は、干浦の港の朝市まつりに来ているのです。後ろに映っているのが、今日の港なのです」
:棒
:背景が実写なのいいね
:朝市うまそう
「朝市には、干物や、みかんや……ええと、いろいろあるのです」
:いろいろw
:台本読んでる?
:前の声優さんは?
私はそのコメントを読み上げなかった。
中の人が替わったことに、演じている側からは触れない。前の業界で最初に教わる決まりだった。声が変わっても、姫は同じ姫として話す。
「今日は、朝市の話をするのです」
:スルーした
:大人の対応
:慣れてる
スルーの仕方だけは、体が覚えていた。
背中に汗がにじんでいた。時計は9時59分。5分で終わるはずが、台本はまだ3行目だった。
10時ちょうど、窓の下で歓声が上がった。
解体ショーが始まったのだ。見ると、通りの人が一斉にスマートフォンを掲げている。
配信ソフトの隅の数字が、赤に変わった。送りきれずに捨てたコマの数だ。見る間に増えていく。
確認用の画面で、ルナが片目をつぶった顔のまま、かくん、かくんと引っかかりはじめた。
「あ、落ちてる」
素の声だった。
手がマイクの消音ボタンに伸びて、押す直前で止まった。
回線はまだ切れていない。詰まっているだけだ。見ている側では、画面がカクカクして、ときどき止まり、声も途切れ途切れに聞こえているはずだった。それでも、黙ったら終わったと思われる。事故のときは、切れかけでも声で状況を伝えるのが、前の仕事の決まりだった。
姫の声を作っている余裕はなかった。
「すみません、回線が詰まっています。画面が止まったら、少し待っていてください。今から直します」
:カクカク
:止まった?
:グルグルしてる
:声とぎれとぎれ
:今の声だれ?
:素が出た
PCは2階の机から動かせない。
私は窓を開けて、身を乗り出した。通りの人ごみの中に、ワイシャツ姿の倉持さんがいる。
「すみません! 向かいの事務所の回線、お願いします!」
名前は呼ばなかった。配信に、スタッフの名前を乗せないのも決まりだ。それでも倉持さんは声で分かったらしく、顔を上げ、次の瞬間には通りを横切って、向かいの事務所へ走っていた。
叫んだ声も、マイクに入ったはずだ。それでいい。何が起きているかは、声で伝わる。
:なんか叫んでる
:回線?
:何が起きてる
一分ほどして、向かいの事務所の窓が開いた。漁協の事務員のおじさんが、青いケーブルの束を抱えて顔を出した。倉持さんは通りの真ん中に戻ってきて、両手を振っている。人の頭の上を、どう通すか指示するつもりらしい。
「長いのでいいかね! 30メートル!」
「それです! こっちの窓まで、投げてください!」
おじさんが束を放る。1回目は通りの半分も届かず、下にいた人の頭の上へ落ちた。
:投げた?
:何を?
:工事してる?
「おじさん、もうちょっと右です、右!」
2回目でケーブルの端が私の手に届いた。窓から引き上げる。ケーブルは向かいの事務所の窓から通りの人たちの頭上を横切って、この窓まで渡っている。見上げている人がいた。一人、二人、もっと。
「おじさん、そのケーブル踏まないでください!」
知らないおじさんが、足を上げたまま固まった。
:おじさん踏むなw
:現場の声
:姫が工事してる
ケーブルをPCの背中に挿した。
ルナが動き出した。止まっていたぶんを取り戻そうとするのか、2回続けてまばたきをした。
私は、息を切らせたまま、しゃべっていた。自分の声で。
「お待たせしました。今、回線を有線に替えました。お祭りで人が一斉にスマートフォンを使ったので、電波が詰まってたんです。向かいの事務所の回線を借りて、窓からケーブルを引いてます。今は安定してます」
言い終えてから、思い出した。
「……なのです☆」
:遅いwww
:なのです(遅い)
:説明わかりやすすぎる
:声こっちのほうがいい
:姫が回線工事してて草
:工事姫
:今の声で続けて
コメントが、さっきまでと違う速さで流れていた。
同時接続は、20を超えていた。
今の声で続けて。
画面の中のルナは、私が黙ったぶんだけ黙って、首を少し傾げた。右の一房が遅れて揺れた。
「……姫は、回線にも詳しいのです」
:詳しいのはわかった
:星の海にも光回線ある?
:姫、前世エンジニア?
「星の海の回線は、とても遅いのです。なので、陸に上がってきたのです」
:理由それ?
:切実
:わかる
笑われている。
でも、挨拶だけ見て帰っていく人の笑い方ではなかった。
そのとき、コメントの流れが変わった。
:後ろ
:後ろになんかいる
:左
:アジの開き?
窓の外へ向けたカメラの画面に、茶色くて平たいものが横から入ってきていた。
ひらきくんだった。
横歩きで画面の真ん中まで来ると、ひらきくんは止まった。片側に並んだ二つの目を、ゆっくりこちらに向ける。
1秒、2秒、3秒、4秒。ひらきくんは、じっとカメラを見ていた。
:こっち見てる
:見てる見てる
:なにこれ
:こわい
:かわいい
:どっち
ひらきくんは、平たい体をぱたんと前に折った。
お辞儀をして、そのまま横歩きで画面から出ていった。
:お辞儀した
:礼儀正しい
:今の誰
:説明して姫
何か言わなければならない。私はルナとして、窓の外を振り返った。振り返るのは私の首で、ルナは画面の中で少し横を向いた。
「……あれは、町の先輩です。ひらきくん。この町の、公式キャラクターなのです」
:先輩
:公式いたんかい
:先輩しゃべる?
「しゃべりません。先輩は、背中で語るタイプなのです」
:開きだから背中ない
:背中どっち
:腹も背中も開いてる
開きの背中はどちら側か、という議論で、コメント欄が勝手に盛り上がりはじめた。
:朝市なに売ってるの
:映して
映してと言われても、カメラは窓枠に固定してある。私は椅子から手を伸ばし、スマートフォンの向きを少しずつ下へ傾けた。体がモニターの上のカメラから外れたせいで、画面の中のルナはそのあいだ私の顔を見失い、あさっての方向を向いていた。
「今映ってる、青いテントが干物のお店なのです。網の上に、開いたアジが並んでます。その隣が、みかん。箱で売ってます。……その奥の人だかりが、さっきの電波を詰まらせた、マグロなのです」
:マグロのせいw
:犯人マグロ
:マグロでかい
:干物の網すげえ量
「干物の網は、あれでも今日は少ないほうだそうです。ふだんは浜いっぱいに並ぶと、観光のパンフレットに書いてあったのです」
:パンフの知識
:姫も来たばっか?
「来たばっかりなのです」
:いま下にいる
:窓の人見えた
指が止まった。
:現地民!
:窓どこ?
:ケーブル垂れてる窓だろ
:手ふってる人いた
「……手は、振らなくていいのです」
:ふってたw
:見られてる姫
窓の下をのぞくと、通りの真ん中でジャンパー姿の男の人が本当にこちらへ手を振っていた。私はカメラに映らない位置まで椅子ごと下がった。
会議室のドアが音もなく開いた。倉持さんだった。マイクに入らないよう何も言わず、手に持った紙をこちらへ向ける。コピー用紙に、黒いペンの大きな字。
『延長OK!! 課長にも言いました!』
課長に言う必要があったのかは分からない。倉持さんは紙を掲げたまま、何度も頷いていた。
私は、画面の外で小さく頷き返した。
*
5分は、とっくに過ぎていた。
質問が止まらなかった。
:ここどこの町?
「干浦町です。干物の干に、浦で、ほしうら」
:星じゃないの?
:名前は星浦なのに
「わたしの名字は、星のほうの星浦です。町は、干物のほうの干浦です。読みは同じなのです」
:漢字ちがうの草
:なんで変えた
:干物じゃ売れないから?
「……大人の事情なのです」
:大人の事情w
:1200歳の大人の事情
:何がおいしいの?
「干物だそうです。わたしも来たばかりで、まだ食べてないのです。焼き方が分からないので」
:姫、自炊して
:焼き方は後ろの先輩に聞け
:中の人いくつ?
「1200歳なのです」
:うそつけ
:さっきの声は20代
:回線に詳しい1200歳
「……1200歳なのです」
2回目の1200歳で、コメントがまた笑った。
窓の下を見ると、通りの何人かがまだ2階の窓を見上げていた。ケーブルの垂れた窓を指さし、隣の人に何か言っている姿も見えた。
:次の配信いつ?
いちばん聞かれたくない質問だった。
私は画面の中のルナと、窓の外の港と、机の上の設定資料を順番に見た。資料のどこにも次の配信予定は書いていない。
「次回は、未定なのです」
:正直
:未定かよ
:決まったら教えて
:登録した
同時接続は、38になっていた。
同時接続は、見ている人が途中で帰らなければ積み上がっていく。最初の11人は、たぶんほとんどが役場の人だった。残りの27人は、途中から来て、最後まで帰らなかった人たちだ。どこの誰なのかは、私は知らない。
「今日は、見に来てくださって、ありがとうございました。……なのです」
:おつ
:おつかれ工事姫
:おじさんにもよろしく
:先輩にもよろしく
配信を切った。
ルナの画面を閉じ、カメラを止めてマイクのスイッチを切った。3回確かめてから、私は会議室の床に仰向けになった。
*
天井に、雨漏りの染みがあった。
5分で終わるはずが、24分しゃべった。台本は2行しか読めなかった。姫の声は2回しか出なかった。窓から叫んで、知らないおじさんを止めた。
失敗した、と思った。
階段を駆け上がる音がして、倉持さんが入ってきた。両手にラムネの瓶を一本ずつ持っていた。
「柚木さん!」
「すみません。挨拶だけのはずでした」
「なんで謝るんですか!」
倉持さんは一本を私の顔の横に置いた。起き上がって栓を押し込むと、瓶の中でビー玉が落ちて、泡があふれた。
私はそれを、一息で半分飲んだ。
その夜、坂の上の家で、倉持さんからメッセージが届いた。リンクが一つだけ貼ってあった。
『【ご当地VTuber】姫、配信中に回線工事を始める』
誰かが、今日の配信を短く切り抜いて上げていた。回線が落ちてからひらきくんがお辞儀をするまで、3分ほどにまとめてある。
再生回数は、3000を超えていた。
画面を更新した。3200。
もう一度更新した。3500。
やめようと思ってから、私はもう一度、更新ボタンを押した。




