必要な説明
北方の寒風を遮る巨大な城壁。
その内側に鎮座する私邸は、外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。
「約束の品だ」
男が、無造作にスノードームをテーブルへ置いた。
それを一瞥する王弟。
辺境伯。
アリストン・フォン・レギール。
四兄弟の次男として生まれ、兄王の影となり、弟の規範として、その双肩に王国の安寧を載せてきた男。
数多の軍勢をその身一つで撥ね退けてきた「北方の盾」。
「アリストン・フォン・レギールの名において、貴公の勇気と誠実に、最大限の――」
「長いな、早く出せ」
感謝を断ち切るように、男の声が重苦しい空気を裂いた。
「……勿論だ。約束は違えん」
次の瞬間、部屋の温度が数度下がった。
もう私的に客人と相対する王族ではない。
北方の脅威を冷徹に裁く王弟の横顔だ。
「『演習』の名目で二百。精鋭四名も、望み通り貴公の駒として供出させよう」
アリストンの瞳に、感謝の態度など、もう微塵も残っていない。
「恩人よ、忠告だ。次に会うときは、私は貴公を『討伐』する立場にある。王国軍は貴公の正体に気付き始めている。……精々、人目を避けて時間を稼ぐがいい」
男は、差し出された『因果の羅針盤』を無造作に掴み取った。
手に伝わるのは、古びた真鍮の冷たさと、そこに含まれた計り知れない「重さ」だ。
「約束通り、正午だ。遅れるな」
背後から突き刺さるアリストンの鋭い視線を、男は歩きながら受け流す。
重厚なオークの扉が、背後で音を立てて閉ざされる。
男はワンルームに帰還すると、モニターに表示された王都のニュースを眺めた。
――『古の劫火山、火山龍の産卵期に入る。相次ぐ観測史上最大の更新、続く異常事態』
男が狙う卵。
孵化する数秒前。
その内側に渦巻く、行き場のない膨大な熱量を、時間の檻に閉じ込める。
決して孵ることのない、けれど永遠に誕生の瞬間を繰り返し続ける、残酷なまでの生命力。
それは男が描く『世界のレプリカ』の熱を生み出す、力強い脈動。
男は操舵輪の目的地を王国に設定すると、仮眠を取った。
王都の中央、冒険者ギルド。
その上空。
当然、男は足を運ばない。
男は足付盤を床に置いた。
乾いた音が静寂に染み込んだ。
ゴーレムが静かに正座すると、一分の乱れもなく駒を並べる。
対する男もまた、膝を揃え、祈るような手つきで駒を「積み上げ」始めた。
ゴーレムの動きが止まる。
眼前の異様な光景から、その道理を学ぶ。
「駒が揃った」
盤上には、もはや対局の面影はない。
何百枚もの「歩」が、天を突く不気味な塔となって乱立している。
崩落の予兆を孕んだその「歩の塔」を、男は慎重に一マス分だけ滑らせた。
「ようやく、対等な盤面になったな」
男は首を傾げるゴーレムをよそに、操舵輪を回した
鋼鉄のワンルームは、ギルドの扉を押し開けた。
荷を満載した馬車さえ容易に通す大扉が、悲鳴を上げる暇もなく吹き飛ぶ。
床材を圧し折りながら、耳を劈く金属音を響かせてその巨躯が停止する。
ギルドの中に、冒険者の姿はない。
代わりに待ち構えていたのは、二百を超える王国軍の精鋭たちだ。
本来なら「演習中の事故」で治療中のはずの騎士たちが、王家の紋章を背負い、微動だにせずその鋼鉄の闖入者を見据えていた。
『依頼主だ』
立ち上る土煙の中、鉄の箱が吐き出すようにポトリと一枚の「羊皮紙」を落とした。
ギルド長は震える指先で、王宮の認印が押された特注の羊皮紙を拾い上げた。
手の指し示す先、静まり返った酒場の中央には、不釣り合いなテーブルが一つだけ据えられている。
「鋼鉄のワンルーム」は、車輪型のシャンデリアを弾き飛ばしながら、椅子の上に滑り込む。
テーブルの前でピタリと停止する。
◇ ◇ ◇
転がるシーリングライト。
整然と並ぶ王国軍の列が、波が割れるように左右へ開いた。
背後から近づくのは、重厚な金属の軋み。
鎧が擦れ、床を圧する一歩一歩が、酒場の空気を震わせていく。
現れたのは、全身を鈍色の鋼に包んだ重装騎士。
王族四兄弟の末弟にして、王国軍の全権を握る将軍――その「暴力」の化身が、ワンルームを射抜くような眼差しで見据えていた。
鈍い銀光が、周囲の空気を重く湿らせるようだった。
フルプレート・アーマーに刻まれているのは、単なる装飾ではない。
巨大な獣の爪が引き裂いたであろう深い溝、それを強引に叩き直した歪な痕跡――数多の死線を、力技でねじ伏せてきた証。
「フォン・レギール王家、第三王弟、ヴァルターである。……しかし、貴公。何故、このような――」
『座れ。仕事の話だ』
無機質なスピーカーから放たれた声が、がらんとした酒場の静寂を切り裂いた。
名門の誇りを込めたヴァルターの言葉を、男の低い声が塵のように払い落とす。
ヴァルターは吐き出しかけた言葉を飲み込み、軋む鎧の重みを椅子に預けた。
『火山龍の卵を、獲る。古の劫火山の個体だ』
その瞬間、テーブルに置かれたグラスの表面が、まるで凍りついたかのように静止した。
「北方の脅威に対抗する、山岳演習と聞いているが」
『囮だ。親個体の注意を最低三分間、逸らせ』
古の劫火山の龍。
神話の時代から生き続ける個体、しかも産卵期。
まともに挑めば生存率は一桁台だろう。
ギルド長が諦めたような表情を浮かべ、テーブルに依頼書を置いた。
「……これは正真正銘、辺境伯アリストンの依頼だ、断る理由はない」
重装騎士は、依頼書に書き込まれた冷酷な文字を見て、その重圧を噛みしめるように拳を握りしめた。
「ヴァルターさん? 緊急の依頼って……、は? あはは! なんだそれ?」
場にそぐわない明るい声と共に、一人の少年がテーブルに飛び込んできた。
「箱の人じゃん? あー、ザックって言います! よろしく!」
「……落ち着け。これより概要を話す」
ヴァルターの重々しい声が、少年の浮ついた空気を嗜めるように重なった。
「条件を満たす一名――王宮直属の執行官だ」
その言葉を、少年は古い傷跡を指先でなぞりながら聞いていた。
声には、幾千の死を看取ってきた者にしか宿らない、平坦な熱がこもっている。
少年は短剣をワンルームに突き立てる。
「ほら、この前の奴で当てたよ。これ、すごく指に馴染むね」
六翼龍から削り出された、禍々しい鋼鉄の刃。
続いて、一人の女性が、音もなく現れた。
目の前に浮遊する異常な塊から、視線を全く離さない。
「もう一名、辺境伯直属の竜騎士だ」
「ヴァルター。……目の前のこれは、何?」
低く、しかし鋭く通る声。
「……依頼主だ、ベルカ」
フードの奥から放たれた蔑みの視線が、場違いなワンルームを貫く。
沈黙が、酒場の隅々まで氷のように張り詰めていた。
三人の達人が放つ殺気と困惑が、物理的な重圧となって互いを縛り付けている。
――そして、モニターの向こう側の男もまた、凍りついていた。
歩の塔は、瞬く間に崩されていた。
ゴーレムが、無機質な動作でパチリ、と次の一段を奪い取る。
男の震える指先は、崩れゆく塔を止めることも、次の駒を置くこともできず、ただ虚空を彷徨っている。
重装騎士が沈黙を破った。
「すまない、ひとりまだ来ていないのだが――」
『説明は以上だ。出発する』
「なっ!? 今からだと?」
ヴァルターが立ち上がるより速く、ワンルームが猛然と動き出した。
ギルドの屋上に、巨大な鋼鉄の杭が深々と突き刺さる。
男が右手をかざした。
地響きと共に、ギルド全体が軋みを上げ始めた。
凄まじい破壊音。
長年地面に根を張っていた礎石が、暴力的な力によって引き抜かれる。
外では王国軍が「大地震だ!」と狼狽える叫び声が響くが、それはすぐに遠ざかった。
重力から解き放たれ、内臓がせり上がるような強烈な浮遊感。
この日、堅牢な冒険者ギルドは、大地を捨てて天を舞った。
遠ざかる王都。
小さくなる地平線。
演習部隊の二百名は、誰からともなく悟った。
自分たちは英雄でも、兵士でもない。
あの男のワンルームという「本体」に繋がれた、替えの効く「追加コンテナの積み荷」に過ぎないのだということを。
「……おい、なんだ。この暑さは」
一人の騎士が、ひしゃげた窓から外を覗き、絶望に顔を歪めた。
高度3000メートル。
吹き荒れる寒風を突き破り、下界から迫りくるのは――地上の全てを焼き尽くさんとする、どす黒い「赤」。
『火山龍の注意を逸らせ。時間は着陸から三分だ』
マイク越しの声が、宣告のように響く。
ヴァルターが叫びを上げるよりも早く、男はレバーを引き上げた。
ガコンッ!
ギルドを繋ぎ止めていたアンカーが、外れた。
狂乱する騎士達の声は地に落ちていく。
静止していた巨大な質量が、唐突に「無」へと放り出される。
嫌な浮遊感が精鋭たちの臓物をせり上げ、視界から空が消えると、燃え盛る火口の赤が迫りくる。
高度3000メートルから、二百数名の命を詰め込んだ「棺桶(冒険者ギルド)」が、火山の最奥へと垂直落下する。
着荷まで、あと60秒。




