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手駒不足

龍王のブレスが外壁に衝突し、周囲の空間そのものを歪ませていた。


激突の衝撃が装甲を真っ赤に焼き焦がし、冷徹なはずの鋼鉄が、まるで生き物のように熱を帯びて呻き始める。


室内温度は瞬く間に跳ね上がり、吸い込む空気が喉を焼く。


追い打ちをかけるように雌龍の熱線が重なると、外部モニターは情報の飽和に耐えきれず、純白の虚無へと塗り潰された。


――世界が、白一色に溶けていく。


逃げ場のない「鋼鉄のワンルーム」を、巨大なあぎとが直接捉えた。


ギチ、ギチチッ……と万力で絞られるような不快な軋みが足裏から這い上がる。


怒り狂った龍の顎が部屋を丸ごと噛み砕こうと牙を立て、耳を覆いたくなるような金属の断末魔が室内に反響した。


ここは古の劫火山の深部。


つがいの火山龍の揺り籠。


怒り狂う二頭の標的となったワンルームで、天地をひっくり返すような轟音が爆発した。


室内の男とゴーレムは、座して盤を挟んでいた。


指先から体温が奪われていく。


足付盤の上に残されたのは、逃げ場を失い、ただ震えるように佇む一枚の『王』。


対するゴーレムの陣営は、一駒の欠けもなく、秩序で盤上を支配していた。


絶望を加速させたのは、盤の傍らに並ぶ「戦利品」たちの姿だった。


奪われた駒たちは、まるで自らの無能を恥じるように、整然と「正座」させられている。


男は中断する。


画面が黄金に明滅し、食い入るように見つめる男の瞳を、不気味な色彩で塗り潰していく。


中央で脈動するのは、世界の欠片――『火山龍の卵』だ。


ドクン、とそれが震えるたび、周囲の溶岩が意思を持つ泥のように引き寄せられ、卵の殻へと吸い込まれていく。


それは孵化を待つ命というより、周囲の熱を貪り喰らう「飢えた心臓」だった。


わずか数メートル先。手を伸ばせば、その熱を直接感じられるはずの距離。


だが、男の指先が触れたのは、ひんやりと冷たいモニターのガラス面だけだった。


鋼鉄の隔壁一枚が、天国と地獄を分かつ絶対的な境界線としてそこに横たわっている。


男は、震える指先で空っぽの盤上を見つめ、一つの結論を導き出す。


「……駒が、足りなかった」


男は、深々と頭を下げた。


ゴーレムはその道理を学ぶように、深々とお辞儀を返した。


男は不機嫌そうに、再びモニターへと視線を移した。


たったの数分。


それだけ注意を逸らせれば、卵は取れる。


そして、王族から届いていた非公式の親書に、返信を書き始めた。


指先に伝わる、震動。


遠くで大気を震わせる龍の咆哮は、部屋の空気を硬くし、皮膚にピリピリとした圧をかけてくる。


だが、それもペンを止める理由にはならない。


乾いた羊皮紙に鋭い先端を突き立てると、カリ、と耳障りな音が響いた。


その一点の音だけが、絶え間なく押し寄せる龍の鳴動を真っ向から切り裂いていく。


滲むインクは、王族の喉元へ向けた刃だ。


『城は剥ぎ取ってやる。だが、報酬を追加しろ』


呼吸を止める。


不敵な笑みをこぼす。


最後の一文を叩きつけた。


『王国軍を貸せ』


男は具体的な条件を書き終えると、操舵輪を握り、北方――ノス・グラード辺境の豪雪地帯へ突き進む。


ワンルームの全体を包む息吹が、質量を感じさせない速度で溶岩の海を脱した。

超火力を浴び続けた外装が、周囲の水分を乾燥させる。


その門出を、激怒する熱線が追い打ちしていた。


卓上へ飛び乗ったゴーレムの足音が、硬質な音を立てる。


青みがかったミスリルの指先が、身の丈ほどもある封蝋の棒を、まるで熟練の職人のように操った。


遠くで龍の咆哮が建物を揺らし、空気が悲鳴を上げても、その小さな足元は一ミリもブレない。


――とろり、と。


深紅バーガンディの蜜蝋が、密書に滴り落ちる。


そこへ、古びた印章が情け容赦なく押し当てられた。


「尾を噛むヒル」


ゴーレムは続いて、作業台の小瓶を両腕で抱え、備え付けの鉄箱へと滑り込ませた。


王国の命運をその狭い空間に閉じ込めると、ゴーレムがレバーに飛び乗った。


その重みが、王国への最後通告を解き放つ。


――ガタンッ


瓶から解かれた伝書鳩は、雪の窓辺から数秒で火口の熱風へ放り出されると、羽を乱した。


だが、遥か後方の殺気に戦慄すると、死に物狂いで記憶にある極寒の地へ逃げ戻っていった。


そして、風詠みは放たれた砲弾のようにワンルームを加速させた。




◇ ◇ ◇




王国の遥か北方。


吐く息が、目の前でダイヤモンドの粉末のように凍りつく。


王国の最北――不落を誇った「白銀の城」が、今、一人の男の前にその門を無防備に晒していた。


男が半歩、外の世界へ踏み出す。

膝までを埋める深雪の冷気さえ、今の彼には届かない。


皮膚を刺すはずの極寒を、内側から噴き上がる「熱」が塗り潰していた。


右手を掲げる。


次の瞬間、世界から音が消えた。


壮絶な真空。


数百年の時を刻んだ巨大な石材が、地層ごと、まるで春の陽光に晒された氷細工のように「ほど」けていく。


城門が、針葉樹が、広大な中庭が。


それらは形を失い、無数の結晶へと姿を変え、重力から解き放たれて空へと昇っていく。


舞い上がるのは雪ではない。この土地が積み上げてきた「歴史」。


睫毛に降りた霜が、男の熱で滴となって零れ落ちる。

その手のひらには、吸い込まれた歴史の残滓が、微かな温もりを伴って収まっていた。


視界が開けた時。

左右の手のひらには、雪が舞い散る純白の、あまりに孤独なジオラマが完成していた。


ゴーレムが瓶を二つ差し出すと、静かに封をした。


「……綺麗だ」


この日、ノス・グラードの地図から、一つの歴史が物理的に消滅した。


かつて重厚な城門が構えていた場所には、今や、世界の終わりを予感させる漆黒の深淵が口を開けていた。

廃墟と化したその虚空から、主を失った数百年分の「気配」が、湿り気を帯びた黒い霧となって這い出してくる。


吹き荒れる吹雪さえも、その境界を跨いだ瞬間に正気を失った。


最後の雪は真下へ落ちることを忘れ、糸の切れた操り人形のように不規則な軌跡を描き、空を泳ぎ、そして深淵の底へと無残に吸い込まれていった。


男はその狂った物理法則に、一瞥もくれない。

網膜を焼くような虚無を冷徹に切り捨てると、背後の扉へと手をかけた。


作業台の上、略奪された「白銀の城」が、今まさに小さな硝子の檻へと閉じ込められようとしていた。


男の手元では、空詠みの絹糸が「永遠の気流」を縫い合わせていく。

針を刺すたび、指先にピリリと走る魔力の拒絶反応。

昼夜を分かたぬ作業に、男の瞳は幾条もの赤い血走りが浮き、瞼の裏を焼くような痛みが走る。


だが、そこに達成感の欠片もない。

あるのは、設計図通りに世界を縮小させるという、無機質な「執着」のみ。


「……あと、数ミリか」


窓から差し込む光が硝子を抜けた瞬間、美しさは「凶悪」へとその牙を剥いた。


内部で静止していた氷晶が光を乱反射させ、舞い踊る雪片へと叩きつける。


狭い瓶の中で、逃げ場を失った光の奔流が「オーロラ」を炸裂させた。


ゴーレムは静かにそのオーロラを眺めていた。


手のひらの中で息づく、白銀の死の世界。

略奪され、加工され、二度と変化を許されない「自由」という名の結晶。


男はそれを冷めた目で見届け、まだ不純物の混じらぬ「原風景」の瓶を棚へと置いた。


輝く深緑の森。


それもまた、いずれ解体され、彼の手によって「正しく」レプリカとして再構築されるべき素材に過ぎなかった。


男は力任せに操舵輪を掴んだ。

この美しい略奪品を「羅針盤」に変えようとする、依頼主の元へ。


空飛ぶワンルームは、天を切り裂き、南の空へと加速した。


この大地は雪すら降らない不毛の地。

二度と機能しない。完璧に壊れた。


「……王国軍を手に入れる」


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