ミッション開始、残り2分
墜落するギルドの悲鳴を背に、男はすぐさま作業台へ食らいつく。
時間がない。
欠けたジャンク品のナイフを掴むと、指先が思考を追い越し、異常な速度で加速した。
刀身の腹にニードルを突き立て、脳を介さず「回路」が刻める。
掘る、刻む、繋ぐ。
――あと、40秒。
作業台を走査する視線、指が、目的の品を射抜く。
瓶から取り出した辺境のクズ氷晶石。
ミニチュアの大タルにぎっしりと詰まる。
素早く取り付ける。
一つ、二つ、――六つ。
再びニードル。
焼けた導線が鋼鉄に食い込み、振動に合わせて指先が勝手に跳ねる。
――あと、20秒。
仕上げ。
発火さえすればいい。
安定性は皆無。
濁ったクズ魔石を叩き込む。
どう見ても異形。
三対の大タルが突き刺さった、無骨で歪なナイフ。
だが、刃の根元の「1ミリ」。
ここにこそ狂気が宿る。
回路が、わずか1ミリだけ繋がっていない。
欠陥という名の設計。
叩きつける物理的衝撃。
その「隙間」が零に押し潰された瞬間。
結線された絶対零度の劫火が、すべてを氷の塵へと変える。
狂った設計。
――あと、5秒。
鞘はない。
二度と使えない、戻る必要もない。
『質より量の暴力』
その言葉が、男の思考の隅で無造作に弾けた。
「……美しい」
滴り落ちる汗がクズ石に触れ、一瞬で凍りついて弾けた。
ゴーレムが素早く『ジャンクナイフ(氷)』を受け取ると、探検帽を片手に鉄の箱へ飛び込んだ。
幾重もの魔法陣に守られた冒険者ギルドが、火口の最奥へ突撃した。
宙を舞う騎士団が、折れ曲がった窓枠から見た光景。
全長三十メートルを超える龍王。
黒紅の顎が開き、極太の熱線が世界を白く塗り潰した。
激怒、逆鱗はとっくに過ぎていた。
「……ッ、陣形を取れ! 目の前にいる!」
重装騎士の冷徹な声が、凍りついた兵士たちの意識を強引に揺り戻した。
龍王が咆哮をあげた。
それは、衝撃波となって大気を震わせ、ついに灼熱を吐き出した。
幾重にも展開された無色の魔法障壁は、あまりの熱量に耐えきれず、薄氷のごとき音を立てて粉砕された。
飛び散った魔力の破片が蒸気に消える間もなく、死の熱がギルドの外壁を撫でる。
堅牢なはずの石材は沸騰し、不気味な気泡を噴きながら、芯まで焼かれた蝋燭のようにドロドロと地面へ溶け落ちていく。
――残り、2分50秒。
半壊したギルドのエントランスに、小隊が防御陣形を組むと、大盾がガシャンと嚙み合った。
魔術師達がその盾を更に魔法の障壁で包む。
次は真正面から、受け止める。
龍王が眼を細め、その翼を広げると、再び灼熱を吐き出した。
――直撃。
魔法障壁など一瞬で蒸発し、大盾が融解し、騎士たちの腕の肉が焼ける悲鳴が響き渡る。
焦げ臭い匂いが鼻腔を突く。
「はは……ッ! でっけぇな!」
その地獄の隙間を縫って、バルコニーから少年が飛び立つ。
視界を埋め尽くす熱波を紙一重で躱し、龍王の巨躯を捉える超常の集中力。
だが、龍王がただ尾を一振りしただけで、世界が歪んだ。
だが、回避したはずの側面に、追従する数トンもの「空気の質量」が壁となって叩きつけられる。
「すげえ、避けても、避けれねえ……!」
肺腑を潰され、逆流した血を吐き捨てながら少年は笑う。
六翼龍の牙を逆手に握る。
突き進む。
龍王の足首――鱗の重なり合う一点へ、己の全存在を叩き込んだ。
グサリッ、と乾いた音。
下位の火山龍を嘲笑うかのように、最深層の主、六翼龍の牙がその鱗を易々と貫通した。
「痛い?」
歪む少年の口元。
◇ ◇ ◇
眼を見開いた龍王が首をもたげる。
明確な脅威、少年を真っすぐに見つめて咆哮した。
龍王の三連射、それは回避不能な「終止符」として、ザックの網膜に焼き付いた。
回避した一発目が左肩の皮膚を焼き、回避した二発目の爆風が肺から酸素を奪う。
三発目――着地の瞬間、視界のすべてが紅蓮に染まった。
幾重もの魔法障壁が、張り巡らされる。
だが、障壁は蒸発し、少年は爆炎に消えた。
――残り、2分30秒。
王国。
どろりと、石畳の隙間から赤黒い粘液が溢れ出した。
煮え立つ沼のような泡が弾けるたび、周囲に腐食した魔力の臭気が立ち込める。
その中から、闇を編み上げたような装束を纏った魔導士が、音もなく這い出してきた。
「お待たせ。ちょっと遅れ……って、あら?」
彼女の言葉が、場違いな静寂に吸い込まれる。
目の前にあったはずの冒険者ギルドは、跡形もない。
そこにあるのは、精緻な模型を抜き取った後のような、巨大な「ギルド型の空洞」だけだ。
地底の奥深くまで続く闇。
魔法の残留が『無い』。
「……ふふ、あははっ」
彼女の喉から、抑えきれない歓喜が漏れた。
「見ぃつけた……」
手のひらから幾重もの鎖を召喚する。
銀色の鎖は生き物のように空を泳ぎ、遥か彼方を指していた。
火山。
勝敗は決した。
王国軍の「全滅」は疑いようも無かった。
残されたのは、王国という名の残骸だけだ。
焦げ付いた肉の臭いと、溶け落ちた盾が埋め尽くす、崩壊したギルド。
その地獄を這いずる負傷兵と入れ替わるように、最後の小隊――「子供」と言っても差し支えない新兵たちが歩み出る。
傷一つないその銀色の鎧は、降り注ぐ火の粉を跳ね返して滑稽なほどに輝いていた。
だが、その中身はガチガチと金属音を立てて震え、バイザーの隙間からは、鉄錆の臭いをかき消すほどの涙が溢れ出している。
士気はない、恐怖に支配された。
龍王が満足そうに瞳を細める。
獲物の「格」を定めるように。
だが、その絶望の最前線を一歩、踏み越える影があった。
――ガツン。
泥を噛む鉄靴の音が、戦場の静寂を打ち砕く。
瞬き一つせず、龍王の瞳孔だけを射抜くように見つめ、一人の重装騎士が歩み出た。
「我が名はヴァルター・フォン・レギール」
龍王が振り返る。
「泥を舐めようが、恥を晒そうが、兵が倒れようが……おい、龍。――王族の誇りを、甘く見るな」
その言葉を合図に、大気が悲鳴を上げて発火した。
爆風を伴う灼熱が、逃げ遅れた空気を食らって膨れ上がる。
ヴァルターは退かない。
大盾が真っ向から炎の津波を受け止める。
灼熱に焼かれ、赤熱していく鉄の軋み。
その地獄の熱気の中から、一本の光柱が天を突いた。
引き抜かれた聖剣は、眩いばかりの光の刃へと変貌していた。
振り下ろす間もなく殺到する炎が光を飲み込み、彼の姿を遮蔽した。
だが、紅蓮の檻に閉じ込められながらも、その白銀の輝きは霧散することなく、むしろ炎の内側から世界を割り裂かんばかりに鋭さを増していく。
「あら。これ、演習じゃないわね……」
吹き荒れる熱波を切り裂くその声は、湿っていた。
遅れて現れた彼女が、手にした杖を無造作に一閃させる。
――輝いたのは、網膜を刺す赤黒い火花。
その瞬間、龍王の業火を真っ向から迎え撃ったのは、そびえ立つ城壁のごとき大氷塊だった。
赤黒い氷と紅蓮の炎が激突し、爆発的な蒸気が視界を白濁させる。
一瞬の、沸騰。
直後、大気をねじ伏せるような圧壊音が響き、衝撃波が新兵たちの腹の底を容赦なく突き上げた。
「あ、が……ッ」
新兵の悲鳴すら、喉の奥で形を失った。
膝から崩れ落ちる衝撃さえ感じない。
ただ、目の前の光景が「自分たちの住む世界の出来事ではない」という断絶だけが、脳を白く染め上げる。
『ついて行けない』
震える指先から槍が滑り落ちる。
その乾いた音が、彼らの心がへし折れた終焉の合図だった。
だが、氷と炎は互いを喰らい合い、断層は一瞬にして視界ゼロの蒸気楼へと化した。
「……カサン、ドラ……」
重装騎士が、崩れ落ちそうな身体を支える。
だが、王族の誇りは不滅、折れない。
魔導士――カサンドラは重装騎士を一瞥する。
「……今は、目の前の子の相手ね」
独り言は、吐き出された瞬間に白く凍りついた。
一つ、また一つ。
彼女の背後に刻印されるのは、重低音を響かせる赤黒い氷結の魔法陣。
魔力の奔流が、彼女の長い髪を狂ったように踊らせる。
――ギチギチ、ギチッ。
骨を軋ませるような、耳障りな産声。
這い出す、数百の氷柱。
「耐えられるかしら?」
零れた声音は、すでに体温を失っていた。
――残り、2分00秒。




