表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
31/36

よくわからん手続き

静寂を、泥の足音が踏みにじる。


がらんとした大理石の床に、へし折れたままの円柱が長い影を落とす。

その背後では、怒号を上げる群衆と、彼らを必死に抑え込む兵士たちの軋轢が、爆発寸前の熱気となって渦巻いている。

民の怒りは正しい。その鎮圧を指揮する重装騎士、ヴァルターの忠誠心は軋んでいた。


――キュッ、ギュム、キュイッ!


神経を逆撫でする摩擦音が、張り詰めた空気を無残に切り裂く。


泥の付いたサンダルが、大理石を無造作に擦り、王家の紋章の上に汚濁を塗りつけていく。


バイザー越しに注がれる無数の殺意を、アダムスは堂々と踏み越えて王座へ進んだ。


「来たぞ。本を寄こせ」


アダムスの声は低い。

ただ、面倒な呼び出しから早く帰りたいという、気怠さだけがあった。


「おい、早く、終わらせてくれよ」


その後ろに佇む巨躯、キリアン。


左右に控える近衛騎士たちが、槍を交差させ、鋭い金属音を響かせる。


「……ッ、貴様……礼節をどこへ置き忘れた」


「よい、控えよ」


ウィリアム王は静かに制止した。

辺境伯アリストンは想定通りの「表敬訪問」を前に、失笑を押し殺した。


ヴァルターの篭手の中で、握りしめられた鞘がミシミシと悲鳴を上げていた。


鞘が鋼鉄の指に押し潰され、油脂の焼けたような微かな匂いを放つ。


だが、柄を握る手は、凍傷に噛まれたように力が入らない。


フォン・レギール王家の兄弟は、始祖の予言書に現れる男――アダムスと再び対峙した。

その背後で、カサンドラが溜め息を付いていた。


「……ご足労、感謝する」


「ああ」


王が右手を差し出すと、アダムスは「寄こせ」と言わんばかりに無造作に手のひらを広げた。


『お前、王の御前だぞ!』


王族の格式高い表敬訪問に、最初の怒号が飛び交った。


ウィリアム王は諦念を滲ませながら王冠を外すと、王冠台に置いた。


躊躇の無い兄王の様子に、ヴァルターは武人としての反吐がこみ上げた。


「控えよ。彼は伝承に伝わる災厄の男。ここに足を運ぶだけでも、奇跡なのだ」


冷や水を浴びせられたような静寂が降りた。

辺境伯アリストンは、この後に起こるであろう展開を想像すると、押し殺すように咳払いをした。


「……両家の永きにわたる紐帯を証せん。互いの富と敬意を、今ここに示されよ」


「フォン・レギール家が至宝、『始祖バルトロメウスの手記』をここに」


竜騎士ベルカが丁重に所作で手記を台座に収めた。


「ああ、懐かしいな、それだ」


回廊の上、豪華な服を着崩した老貴族が、手すりから身を乗り出して叫んだ。


『手記だと? そんな高貴なものを、景色を盗んだコソ泥に渡すというのか!』


ヴァルターが老貴族を取り押さえると、貴族は重装騎士の肩に刻まれた紋章にしがみ付いた。


『貴様! 王族の誇りは無いのか! この紋章が、貴様の不義理を見ているぞ! 偽り者!』


唾を吐き捨てた貴族を配下に引き渡すと、拳を握りしめる。


アダムスが作法に囚われず、手記を鷲掴みにすると、パラパラと捲る。


間違いなく、あの懐かしいバルトロメウスの直筆だった。


「……、静粛に。儀式の最中である。……受納。しかと受け取られた。次は、アダムス殿より、返礼の儀である」


騎士たちは微動だにしない。

だが、その背中からは、声に出せぬ殺意が陽炎のように揺らめいている。


アダムスはポケットから何かをゴソゴソと取り出す。


「返品だ。本人はゴミだと言ってたな。一度も使われなかった」


アダムスは伝承を洗いざらい暴露しながら、剣を差し出した。


それは手から離れた瞬間に元のサイズを取り戻すと、鈍い光を放つ古びた剣へと姿を変えた。


伝承に伝わる、災厄の男を討ったとされる、バルトロメウスの剣。


回廊の上からでも、重装騎士は伝承の剣を見抜いていた。


柄を視れば分かる、本当に一度も使用された様子が無かった。


ヴァルターの信仰した討伐伝承は、ただの虚言だった。


辺境伯が我を取り戻すと、王に言葉を促した。


「この手記を贈り、汝の即位を祝す。汝の統治に繁栄と、我が国との絶えざる友誼があらんことを――」


「帰る」




◇ ◇ ◇




その一言が合図だった。

ついに、堰を切ったように罵声の豪雨がアダムスに降り注ぐ。


『水も! 麦も! もうどこにも無いんだぞ! 「お前」のせいだぞ!』


『認めるか! バカ野郎! 盗人め、我が一族の城をどこへやった!』


『吊るせ! こんな悪魔は火あぶりにしろ!』


アダムスは、頭上から降り注ぐ憎悪の嵐を、春の小雨程度にさえ感じていなかった。


民衆の憎しみを全て受け止め、重装騎士が制圧していく。


ヴァルターの顔を見ると、憎悪に歪む者、絶望する者。


息が、苦しかった。


限界が来た。

騎士の一部が剣を引き抜き、アダムスに突進する。

ヴァルターが立ち塞がり、裏切者と罵る騎士を切り払った。


「止めよ」


辺境伯の騎士たちが一斉に抜剣し、その切先が暴徒へと向けられる。


鋼鉄と鋼鉄が噛み合い、重い鎧がぶつかり合う「ガシャリ」という濁った衝撃音が、高い天井に反響しては、槍のように耳の奥を突き刺す。


回廊からは次々と魔法陣が展開されていく。

アダムスを護衛する騎士達の盾となり、洪水のような魔法を受け止めていく。


鎧を貫く魔法が、体を引き裂いていく。

だが、その騎士の一人も、アダムスに剣を突き立てようとしていた。


「ああ? お前、本気じゃねえだろ?」


「……ッ!」


大斧が叩き落とされる。


「兄上ッ! どうか、お止めください!」


だが、その衝撃が、事態を次の段階に押し上げた。

アダムスを護るはずの騎士たちが、ついにアダムスに刃を向けた。


ヴァルターが騎士たちを吹き飛ばすと、アダムスを直接護衛した。


全ての憎悪が、王族なのに仇する者の側に立つヴァルターに、向けられた。


ヴァルターは、ふと、周りを見渡す。

王はもはや、ただの叫ぶだけの初老の男に成り下がっていた。


辺境伯は、ただその光景を冷たく観察している。

視線が合うと、口角を上げた。


「私は、何を……」


「うるさいな。お前等、魂は盗られてるのだろ?」


アダムスが気怠そうに両手を掲げた。


その瞬間、謁見の間に短い絶叫が響き渡ると、すべてが巨大な渦となって吸い込まれ、同時に彼らの視界で世界が急激に膨張していく。


僅か1センチのサイズにまで「縮小」された人々の前に、突如として現れた巨大なアダムス。


その手のひらの上で、人々はみな情けなく腰を抜かした。


そこはもはや荘厳な謁見の間ではなく、キイキイと鳴く羽虫のような小人たちが這い回る、静まり返った広間に過ぎない。


「……私は、何を、守って……」


瞳に映るのは、ただ命乞いをする人々。

あれほどの憎悪はとっくに消え失せ、王族の誇りも欠片も残らず、ただ我が身の恋しさに騒ぐ。


ヴァルターは力なく崩れ落ちると、そのまま、手のひらから落ちた。


魂を繋ぐ鎖が、悲鳴をあげる。


落下しながら大きなアダムスを見上げると、いかに小さなものに縛られていたかが分かった。


地面に打ち付けられると、その衝撃が精神も鎖も完全に砕いた。


アダムスは人々を床に降ろすと、王冠で蓋をするように被せた。


「仲良く被ってろ」


即席の牢獄。


「アダムス様! やり過ぎです、戻してください」


「いや、これでよいのだ」


カサンドラが驚愕して振り向くと、辺境伯アリストンとその娘が居た。


「我ら王族の歴史を消すことなどできない。不可侵であるべきだ、そのために必要な失敗の儀式だ」


カサンドラが鎖を引き抜く。


――無い。


「……え? あ、アリストン……? 鎖が……」


「ええ、ありませんよ? 陛下。ははは、流石にもう付き合ってられませんな、――抜剣」


辺境伯の騎士が剣を引き抜く衝撃が、城内に響き渡った。


先ほどまで「反乱の振り」をした辺境伯直属の騎士が全て、カサンドラに反旗を翻した。


「……勝手ながら、私のやり方でこの国の復興に励ませて頂こうかと」


アダムスはバルトロメウスの手記を読みながら歩いている。


ガシャリ。


カサンドラの足元では、重装騎士が、鎖が軋みを上げ、アダムスの力を弾き返しながら、体躯を取り戻していく。


重装騎士が、焦点の定まらない目で、その背中を、這いながら、追いかける。


そして、手のひらの上で鎖が砕ける瞬間を見送ると、彼女は唇を噛み締めた。


「ああ? お前、なんか、可哀そうだな?」


キリアンの高笑いに震えるカサンドラ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ