表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
30/36

予測不能な欠陥

描きかけの大陸が、机の上でのたうち回っていた。

産み落とされる直前の「世界」が放つ、生臭い体液の芳香だ。


羊皮紙の境界を蹂躙し、断崖が立ち上がり、森が侵食を広げる――その狂乱の震源地に、男がいた。


バルトロメウス。


握られた羽ペンの先からは、かつて「創造主」と呼ばれた肉体から搾り取られた、輝く脂が滴っている。


バルトロメウスがその筆先を滑らせるたび、アダムスの背筋には冷たい毒が回るような戦慄が走った。


神を切り刻み、その断片から「魔法」を盗み出した大罪人の背中。


そのあまりに予測不能な行動に、アダムスは一瞬たりとも視線を外すことができなかった。


「……何を、書いている」


アダムスの問いは、羽ペンが羊皮紙を削る「ザリ、ザリ」という不快な音に蹂躙された。


それは、創造主の残骸さえ削るような、乾いた音だ。


「予言」


彼は顔を上げずに答える。

作りかけの方舟は机に転がっていた。


「そんなことをして、どうする」


「君には分からないだろうね、アダムス」


ペン先が走るたび、滴る神の脂が発火し、男の横顔をドロドロとした黄金色に照らし出していた。


「老い先短い人間が、最後に何を欲しがると思う? ……未来の『汚染』だよ」


彼は続ける。


「世界の終わりを決め付けてしまえば、人間の真白な未来はもうない。僕の言葉を常に疑うんだ、愉快だと思わない?」


アダムスは沈黙した。

目の前の男が綴っているのは、予言などという高尚なものではない。


数千年後の人類を道連れにするための呪いだ。


「……未練があるのか?」


「無い。準備をしている。生きている時間より、死んでいる時間の方がずっと長いからね」


「死後の『君臨』を望むか」


アダムスの言葉は、納得というよりは諦念に近かった。


目の前の彼は、死という絶対的な沈黙さえも、自らの野望を育てるための「時間」として計算に入れている。


そのあまりに長大な悪意に、彼が本当に寿命を縛られた人間なのか、錯覚を覚えた。


バルトロメウスが最後の一行を書き終えた瞬間、神の製図台が、耐えきれぬ呪詛を浴びせられたかのように震えた。


羊皮紙の上には、神の脂と人間の悪意が混じり合った、真っ黒な「デタラメの種」が植え付けられた。


「最初はどんな予言だ?」


「ああ、気になる? 『僕が君を討伐して、王になる』」


静寂が、より一層深まった。

棚に並んだ魔導具たちが、持ち主の憤怒に呼応して金属の軋み声を上げた。


「本気か?」


「そんな怖い顔をするなよ。この広い工房で、僕と一緒に地獄へ堕ちてくれた唯一の友への、ちょっとした冗談だよ」


彼は肩の力を抜き、椅子の背もたれに深く体を預けた。


その姿は、王座に座る王というよりは、あまりに重すぎる荷物を下ろした旅人のようだった。


「アダムス、君こそ、世界を壊すのか?」


問いかけに、アダムスは窓の外、未完成のまま放置された地平を冷徹に見下ろした。


「完成させるだけだ。お前たち『致命的な設計ミス』を排除した、創造主の原画をな」


――苛立ち。


「バルトロメウス。お前が神の心臓を止めたあの日から、この世界は『不良品』に成り果てたんだ」


彼はその言葉を飲み込み、そして静かに告げた。


「アダムス。三千年だけ、待ってくれないか?」


「……三千年? なぜだ」


「この予言――三千年後に、人間が地上からいなくなる、そう予言したからさ」


バルトロメウスが得意げな顔をする。

アダムスはこれまで、何度もこの男に騙されてきた。


だが、彼は「騙す」が「嘘」は吐かない。


だからこそ、アダムスはその毒が、三千年の時を経てどんな醜い花を咲かせるのか――その最悪な結末を、特等席で見届けたくなった。


「人間が地上からいなくなる……か。お前の手による絶滅と、この手による創造。どちらがより本当の終末となるか、競おうというわけだな」


「あはは、意地が悪いね。お互い様か」


彼は手記を無造作に差し出した。

アダムスはその紙面に指を触れ、そこに込められた妄執を全て記憶する。


「……デタラメもいいところだ。最後は世界樹の実と共に、王国は翼となって天へと還る……、か。

救済のふりをした、ただの略奪だ」


――取るに足らない、駄文。


「そもそも、この予言の冒頭にある『討伐』という部分は、どう辻褄を合わせるつもりだ?」


「もう君は討伐されたようなものだよ。事実、君という名の終末は、僕の口車で三千年の檻に閉じ込められた。これを討伐と呼ばず、なんと呼ぶの?」


アダムスの喉から、乾いた笑いが漏れた。


納得したのではない。


この男は、死に際してなお、人類の原型オリジンである自分を玩具のように弄んでいる。

その底知れぬ悪意に、心底から戦慄した。


「……この予言の先、綴られているのは何だ?」


「人間という種の、出口のない泥濘さ。君のような『原型』が触れれば、その清廉さが濁ってしまう。……返してくれ」


バルトロメウスは無造作に手記を奪い返した。


予言以外のページに刻まれているのは、救いようのない人間の執着と、神を殺した男の「私的な毒」なのだと、アダムスは直感した。


「代わりと言っては何だが、これは置いていくよ」


彼が机に置いたのは、かつて「創造主」の肉を断った、あの神殺しの剣だった。


「……ほう?」


「ああ。君が『待たない』と言った瞬間に、君の心臓を貫くはずだったものだ。外のゴーレムも、君という終末を圧殺するための檻として用意した」


彼は淡々と、その凶器を机に滑らせた。


「だが、幸いにも必要なくなった。君を討伐するために鍛え上げた『殺意』だ。……役目を失ってゴミになるくらいなら、君が持っていけ」


「……何を考えているのか、全く分からないな」


「あはは、僕がいなくなったあと、寂しくなったらそれで自分の喉でも突くといい」


「そうか。……少し待て」


アダムスは、部屋の中央に歩み寄った。


そこには、切り刻まれた創造主の残骸――眩い光を放つ「白い欠片」が山積みになっていた。


アダムスはその中から一点の曇りもない石を手に取ると、ノミを掴み、冷徹に削り始めた。


工房の広大な静寂に、硬い石が磨り潰される音だけが響く。


三千年という悠久の刻を、一つの「器」に封じ込めるための儀式。


「選別だ、バルトロメウス。この石の光が尽き、黒い石へと還った時――それが、我々の契約の期限だ」


「ああ、助かるよ、アダムス」


工房の最期を告げる、乾いた崩壊音。

バルトロメウスは、光を宿した石を受け取ると、踵を返した。


『因果の羅針盤』を手のひらの上で転がし、彼は出口へと歩を進めた。

次第に闇へと溶け、やがて完全に姿を消した。


アダムスは、記憶の渦から意識を戻す。

作業台の上、玉座に封じ込められた石は、とっくに煤けて黒く染まっている。


アダムスはそれを一瞥し、重い身体を引きずり出した。


王宮の使者から提示された「手記」の全頁譲渡。


「……お前のデタラメの続き、見せてもらうぞ」


その囁きは、三千年の年月をかけて醸成された執念を孕んでいた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ