空を食む奴には深淵
男の意識が現実に戻ると、ニュースが流れていた。
世界は、男がガチャを放出した熱狂を伝えると、じわじわと不気味な情報が流れる。
なぜか途中までしか生成されない、構造に欠陥を抱えたダンジョンの発見が相次いだ。
それを予期したかのように、王国を象徴する時計塔が、自重に耐えかねて崩壊した。
百年に一度の厄災、火山龍の産卵期が近づく一方で、沈静化するはずの火山活動が異常な活発化を見せていた。
男は作業台の上の手紙を一枚ずつ、内容を確認してはゴミ箱に捨てる。
最後は、くだらないチラシ。
『美食の探求者、第三王弟キリアン主催:第23回 料理コンテスト 雲を食む! ~天使が残した、春の質感~』
男はそれを、即座にゴミ箱へ捨てようとした。
だが、チラシの最下段、特別賞の副賞として記された名前に、男の指が凍りついた。
『副賞:空詠みの絹糸』
男のモノクルが、その文字を焼き付けるように停止した。
脳裏に浮かぶのは、作業台の上で眠っている、未完成の「十二柱」の円卓。
それは、淀んだ空気を切り裂き、箱庭に「風の息吹」を宿すために欠かせない、世界の欠片そのもの。
「……豚共の晩餐会に、紛れ込んでいるとはな」
だが、募集要項に書かれた冷酷な現実。
開催は『明日』。
受付は『本日』が最終日。
男は急いで時計に目をやった。
時刻は8時、丁度。
視線を戻すと、作業台の上には、王国の欲望を喰らい尽くし、まるまると太ったズタ袋。
金は、ある。
足りないのは、不潔な群衆の中へ踏み込む覚悟と、
「時間」。
男は、扉を開けると勢いよくマルシェへ走り出した。
六翼龍のステーキなどと言う、安易な発想ではない。
男の能力と物理法則が織りなす、味の暴力だ。
表通りに出る。
男の答えは、もう見えていた。
「食材」を「深海1000メートルの高気圧」に晒す。
膨大な圧力で構造を崩壊させて、食材の旨味を全て繋げてしまえばいい。
それが、男が世界へ叩きつける回答だった。
人を押し退け、割り込み、マルシェの群衆を引き裂いて、前へと進む。
「天幕ごと全部だ。十分後に回収する」
驚く商人たちを金貨を叩きつけて黙らせると、男は次々と店を回る。
特売品の根菜、安物のハーブ、やせ細った猪肉を、店ごと買い付けると宣言しては大量に仕入れていく。
そして、男がポケットの中で手を握りしめると、その区画は物理的に「消失」した。
並んでいた樽も、天幕も、石畳の上に残ったわずかな埃も。
すべてが空間ごと四角く切り取られたような、不自然な更地がそこにあった。
困惑する人々を退けてミニチュアのマルシェを回収すると、出口に向かった。
怪しい露天商たちが店を構えている。
ボロ布を被った店主が、不気味な笑みを浮かべながら、用途不明の「呪物」や「毒物」を並べていた。
男は、その棚の隅に置かれた、あるものを指さした。
それは、美食家たちが決して口にしない、しかし男のスープを完成させるために不可欠な、ある「不純物」。
「毒が必要だ」
乾燥し、紫色の火花のような産毛を蓄えた毒草。
それは中枢神経を過剰に励起させ、知覚を数千倍に跳ね上げた末に、呼吸停止へと至らせる毒。
だが、男はそれをただの毒では終わらせない。
深海の圧力を宿した旨味の粒子は、あまりに細かく、あまりに鋭い。
人間の舌では、その全てを受容できないだろう。
故に、スープを舌に合わせるのではない。
舌をスープの次元へと引き上げる。
これこそが、正解。
男は無言で毒草を指さすと、銀貨を数枚、チャラチャラと音を立ててカウンターに置いた。
店主も何も聞かない。
ただ無機質な動作で、その「死の招待状」を古びた紙に包み、男へと差し出した。
手に入れた毒を瓶に詰めるとポケットへと沈めた。
男の背中が雑踏に消えるのを見届け、ゴーレムは木製の扉を押し開いた。
◇ ◇ ◇
ベルの澄んだ音が響く。
無機質な瞳には、精巧なビスクドールたちが映る。
手に取ったのは、探検帽。
被ってみるが、首を振るたびにグラグラと視界が揺れる。
「おや、うちのドールより着こなしが上手だね」
店主の言葉は、まるで春の陽だまりのような温かさを持っていた。
「調整してあげよう。少し待てるかい?」
ゴーレムは壁の時計へと視線を走らせた。
チクタクと刻まれる一定のリズム。
「ああ、すぐさ。私の腕を信じておくれよ」
仕立て台の上で、ゴーレムの水晶体が店主の手さばきを精密に記録していく。
迷いのない裁断。
布を操る柔らかな手つき。
それは、男の「設計思想」という概念とは異なる、慈しむような動き。
「探検家なら、これくらい派手じゃないとな」
仕上げに、鮮やかな美しい鳥の羽根が添えられる。
それは、大空を翔る青き宝石鳥の羽根。
ゴーレムは深く、深く一礼した。
鞄の底から、ずっしりと重い、たった一枚の金貨を取り出す。
それは彼にとって、対価というよりは、この「学び」への敬意だった。
――コトンッ。
「おっと、これは多すぎる。お釣りがないよ」
慌てる店主を、ゴーレムは静かに見つめ、もう一度だけ丁寧に礼をした。
店主が何かを言いかける前に、軽やかな足取りで、外の世界へと駆け出していった。
「……食材は揃った」
男は、主催者の事務局に顔を出し、物理的なエントリーナンバーを受け取らねばならない。
このイベントの最低限のルール。
男は足早に事務局へと向かった。
事務局の空気は、男にとって最悪の極みだった。
中央広場に設けられた巨大なテント。
そこには、着飾った宮廷料理人や、腕自慢の冒険者たちが列を成していた。
彼らは己の持ち込む「幻の食材」がいかに素晴らしいかを語り合い、互いの服装を値踏みし、笑い声を上げている。
男は、その行列を真直ぐに、順番を無視して窓口へと進んだ。
「おい、並べよ! 常識を……」
罵声を浴びせようとした男が、言葉を失って引き下がった。
他人など、映っていないかのような、狂人の瞳。
その身を包むのは、焦げ落ち、ツギハギだらけの煤けたつなぎ服。
生物としての本能を凍りつかせる徹底的な無関心。
周囲の料理人は、反射的に道を開けた。
「登録しろ」
男が発した、地を這うような低い声。
「え、あ……。はい。……応募用紙に必要事項を、ご記入ください……」
男はザリザリと、紙を削り取るような筆致で必要事項を記入する。
「……あの、調理場は、どちらに設営されますか? ……会場内に、最高級の厨房を用意してございますが……」
「不要だ」
一切の躊躇も、説明の意志もない。
「……ひ、っ、……えと。でも、作る場所……」
「不要だ」
視線すら合わせない。
受付の女は、差し出された「殆ど白紙の応募用紙」に目を落とし、戦慄した。
「……は、はい。……あ、お名前を……」
「無い」
名前も、経歴も、料理名も書かれていない。
ただ住所だけが、紙を突き破らんばかりの筆圧で刻まれていた
「……ぁ、……はい」
だが、若い女は、ただ震える手で木札を差し出してしまった。
男はそれを奪い取ると、一瞥もくれずに踵を返した。
エントリーナンバー、241。
男は事務局を後にした。
周囲の料理人たちは、突如現れた死神に気圧され、その姿が見えなくなるまで言葉を失っていた。
ようやく料理人たちが、事務局を包む沈黙を打ち破る。
「……や、やべーヤツが来た」
「自分の工房ごと『召喚』するタイプ、……か?」
「……241番。アイツには近付かないほうがいい……」
男は鋼鉄のワンルームに戻ると、すぐさま大海原へ向かった。
時刻は10時。
「……時間が無い」
男は作業台に向かい、これまで数年をかけて備蓄してきた希少素材を、惜しげもなく投入した。
それはワンルームの外壁へと直に取り付けられる、異形の装置だった。
強靭な装甲に打ち付けられ、唯一、水圧という名の暴力を直接受け止めるための中枢。
内部に送り込まれた膨大な食材を、圧縮された空間ごと潰すための「外殻圧力釜」を、男は冷徹な手つきで組み上げていく。
水圧が既定の量に達した瞬間に、完成したスープが「缶詰」となって返却される一方通行のシステム。
「深海の圧力釜」が、ついにその産声を上げた。
玄関のドアを乱暴に開く。
眼下に広がるのは山脈、その上空の雲を切り裂きながらワンルームは突き進む。
落ちないように、慎重に外殻を伝い、圧力釜を打ち付け始める。
強風が身体を煽る、息が出来ない。
ワンルームが降下を始める、もう目の前に広がるのは大海原だった。
ガンガンと男が最後の固定具を取り付け終えた瞬間に、海面に突っ込んだ。
男は殆ど落下するようにワンルームに戻りドアを閉めると、海水が廊下に流れ込んでいた。
「問題ない。このまま深海まで、一気に行く」




