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金貨集め

内壁の鋼鉄が、生々しい脈動を伴って神話の素材へと書き換えられていく。


異変を察し、男は反射的に玄関から飛び出した。


振り返った彼の目に飛び込んできたのは、かつての「鋼鉄のワンルーム」ではない。


太陽の光を傲慢に跳ね返し、周囲の荒野を無理やり昼に変えるような、圧倒的な輝き。


――『黄金のワンルーム』。


それは「ここには宝があります」と叫ぶような、あまりに無防備な輝き。


男は口を開けたまま、彫像のように停止した。


視線を落とすと、ゴーレムが壁を指さしている。


「……言うな。分かっている。これでは、隠れ家にならない」


絞り出したその声さえも、壁は反射した。


溜息。


男は棚の奥に手を突っ込み、工業用ペンキの小瓶をひったくった。


バケツの上で小瓶を傾け、ポトリと一滴。

雫が空中で本来の「体積」を呼び戻した瞬間、バケツは沈み込む。


ズシリ、と。


二十リットル分の重量が、肩に食い込む。


男はそれを気にする暇もなく、望んでもいない精巧なレリーフに刷毛を叩きつけた。


――ベチャリ。


叩きつけ、擦り、塗り潰す。


どろどろと垂れる鈍色の液体。

ムラだらけの無残な外観。


だが、光は消えた。


男は満足げに、玄関の段差に腰を下ろした。


視界の端では、ゴーレムが全ての素材の乾燥を終えていた。


丁寧に拭き上げられた「絶望」たちが詰まった瓶を、ひょいと頭に乗せると、部屋へと消えていく。


首筋を伝う汗を、通り抜ける冷たい風が撫でた。


男もゴーレムに続いた。


「……さて」


舵輪を操り、鋼鉄ワンルームを浮上させる。


目指すは王都。


男は作業台に向き直ると、ラベルに『素材・未分類』と書かれた瓶を手に取った。


ピンセットが瓶の中でカラカラと音を立てる。


獲物を探る。


「……いたな」


全長、わずか一センチ。


だが、その極小の質量から放たれる「圧」は、周囲の空気をねじ曲げている。


深層の主――『六翼龍』。


漆黒の六翼を折り畳んだその姿は、冷徹な黒真珠の光沢を湛えたまま、微動だにしない。


「ついでに稼いでおくか」


肺に溜まった空気を、音を立てずに吐き出す。


男は指先の震えを殺し、ピンセットの先端に全神経を注ぐ。


手のひらほどの大きさに引き延ばされたその怪物は、作業台の上でなお、深淵の冷気を纏っていた。


指先に伝わる、硬質な抵抗。


男が呪縛を一つ解くたび、静まり返ったワンルームに「パチン」と小気味よい音が弾けた。


塵ほどの欠片が、本来の質量を取り戻して、ゴトリ、と作業台を叩く。


――パチン、パチリ。


気が付けば、そこには「生き物」の面影は微塵もなかった。


鱗の並びは一ミリの狂いもなく、色温度ごとに並べ替えられた。


男は丸一日、作業に明け暮れた。


翌日。


「多すぎた……」


王国の指定住所に着陸した瞬間、男は膝を突きそうになった。


作業台の上には「神話の傑作」。

一晩の不眠不休の成果――静かに脈打つ『六翼龍の短剣』。


だが、床を埋め尽くすのは「神話の瓦礫」。


逃げ場のない竜骨、山を成す魔石。

乱雑に積み上げられた魔獣の毛皮。


ゴーレムはスッと自分専用のミニチュアのタンスを引き出した。


整然と畳まれた中身から、一枚の法被を取り出すと、シュっと軽快に身を通した。

続いてハチマキを、迷いなく締め上げる。


――『特売』。


その額に、力強い二文字が躍っていた。


男は、眉間に深い皺を寄せたまま、素材に侵食された部屋を振り返る。


「……もういい」


男は『鉄の箱』のホッパーを乱暴に開いた。


数多の各種魔獣の素材、さらには『鑑定すらしていない武具』の山が、次から次へと流れ込んでいく。


「全部、金貨一枚でいい。持ってけ」


男は投げやりな価格を設定すると、販売開始のスイッチを叩きつけた。


小気味よい金属音が響く。

ゴーレムは鉄の箱に飛び込んだ。


――ガタンッ




◇ ◇ ◇




景品が吐き出される出口から、あろうことか、短い手足をバタつかせた「塊」が元気よく這い出してきた。


「……えっ?」


修道女の目の前に転がり込んだのは、伝説の武器ではなく、「特売」のハチマキを締め直すゴーレムだった。


彼女はその光景を凝視する。


ゴーレムは平然と立ち上がると、無機質な指先をバツ印に交差させる。


――「非売品」


そのまま、彼女の手のひらに、ひんやりと冷たい金貨を一枚、丁寧に載せる。


そのまま慣れた手付きで鉄の箱の縁を掴むと、よじよじと天板へ這い上がり、どっしりと腰を落ち着けた。


再びレバーを奪い合うように回す人々の熱狂を、無機質な瞳で眺める。


その道理を学ぶ。


人だかりはやがて長蛇の列となり、裏通りの一角を埋め尽くしていく。


ふと、ゴーレムの肩が指先で突かれた。

そこには、クスクスと喉を鳴らす修道女が立っていた。


「中身の白い石、磨いてみたら聖遺物の輝きが混じっていましたよ」


その声は鈴を転がすように清らかだった。


「鑑定をおサボりしたのかな? ……うふふ、ありがとう」


彼女は慈しむように石を握りしめ、満足げに去っていく。


「……おかげで、最高の王冠が手に入りそうね」


去り際の囁きが、吐息混じりの毒となって大気に混ざる。


この日、「鋼鉄のワンルーム」が王都の中心となり、人々の渦が形成され始めた。


「――出た! 『蒼穹の聖剣』だああああっ!」


耳を劈くような絶叫が上がった。

迷宮の最下層に封印されていた伝説の剣。


それが、ポロリと、首都の石畳に現れた。


張り詰めた空気。

数百メートルに及ぶ行列が王都の門を貫いている。

そこにあるのは、声もなく生まれた鉄の掟。


『一人一回。二回目は最後尾へ並び直し』


一度レバーを回し、カプセルを抱えた者は、神の啓示を受けたような恍惚の表情で再び列の最後尾へと消えていく。


ついに、欲望に負けた『二回目』を狙う者が現れた。


瞬間。


周囲に並ぶ数百人の魔力が一斉に爆発し、不正者を文字通り「蒸発」させた。


悲鳴すら上がらない。


ただ、一つの「不純物」が排除され、列は再び粛々と、一歩前へ進んだ。


やがて日が沈む頃。

表示灯は無慈悲に「売り切れ」へと切り替わった。


わずか数人の差で「売り切れ」の宣告を叩きつけられた者たちの、喉の奥から漏れ出る獣のような唸り。


期待に輝いていた瞳は瞬時に濁り、唇が震え、歯茎が剥き出しになる。


『――俺の分を、出せッ!』


静かに詠唱を始めると、凝固しかけた血液のような粘り気を帯びた魔力が、杖の先に収束していく。


硬い根を無理やり喰い千切るような異音とともに、極大の火炎球ファイアボールが放たれた。


だが、それはワンルームの外壁数センチ手前で、ヤスリにかけられたかのように、火花を散らして霧散した。


『クソがッ……! 傷一つ、つかねえのか……!』


絶叫は、冷徹な静寂に飲み込まれていった。


『……邪魔だ。素人は下がってろ』


ざわつく群衆を割り、一人の男が這い出した。


綻びたローブからは、酸えた酒と、長い年月をかけて魂を摩耗させた者特有の、埃っぽい死臭が漂っている。


彼が空に描いた幾何学模様の魔法陣は、古傷から溢れ出した膿のような、不吉な光を放っていた。


だが、男は歯を磨いていた。


その狂乱の震源地で、口の周りを白く泡立て、魔導歯ブラシの振動を楽しむ。


壁から伝わる爆発音を「少し騒がしい雨」程度に聞き流す。


魔法陣から大量の赤黒い木屑が降り注ぎ、その中心から燃え盛る巨大な岩塊――隕石メテオが姿を現す。


裏通りを粉砕せんばかりの衝撃波を伴い、それは「鋼鉄のワンルーム」へと直撃した。


「……ペッ」


男は口をゆすぐ、磨き残しなし。


タオルで丁寧に顔を拭くと、彼は満足げに鏡の中の自分を眺めた。


装甲は無傷。


どれほど攻撃しても傷一つつかない「鋼鉄」の異常さに、一人、また一人と戦意を喪失し、帰路につき始めていた。


ゴーレムはその様子を見届けると、一礼を捧げた。


短い足で玄関へと駆け出した。

器用に郵便受けによじ登り、中身を両手でわし掴みにする。


静けさを取り戻した裏通り。

最後に一瞥すると、鉄の箱へと戻っていった。


――パサッ


作業台に、回収した手紙を並べる。


その中の一枚が、明日。


男を「深淵」へと叩き落とす。


この時はまだ、誰も知らない。

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