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丸ごと回収

王国は、もはや人の住まう場所ではなかった。


崩落した尖塔の影で、騎士と冒険者が泥にまみれ、寄生しようとする黒い肉の波――ヒルの軍勢を必死に剣で払う。


振り下ろされる刃の音、死に際の喘鳴。

だが、それすら降臨した「不完全な創造主」によって、掻き消される。


天から降り注ぐ、澄んだ聖歌。

創造主がその滑らかな指先を、慈悲の欠片もなく動かした。


――本物の魔法。


一輪の徒花を摘むかのように、収束する魔力をねじ切りると、世界が色彩を取り戻し、騎士と冒険者の頭部が宙を舞った。


ついに、創造主が王宮へ舞い降りた。


ウィリアム王の騎士団が築いた数千の「生きた壁」の前で、二つの終焉が牙を剥いた。


「……ッ、何なのよ、貴方……!」


カサンドラの絶叫に合わせ、数千の「罪人の魂」が最後の一滴まで搾り取られる。


耳の奥で、千の喉が同時に圧し潰されるような粘りつく断末魔が響き、空間が腐肉のように引き千切られた。


収束するのは、血の臭気を纏った『渇望の槍』。


対する神が放つのは、空気を強制的に「浄化」する透明な聖歌。


天空に開いた神の眼差しが、理を書き換えるための『天罰の槍』を編み上げる。


渇望と天罰。


二つの終焉が、真正面から噛み合った。


溶ける騎士達の盾。


鉄の雫となって地面を焼く。


網膜が焼け、白しか映らない。


超高熱の奔流が鋼鉄の鎧を剥ぎ取る。


その下の、肉も、脂も、骨も、焼け落ちる。


「生きた壁」は、その役目を果たす前に消失した。


王宮を護っていた防御障壁が、窓硝子のように脆く、美しく砕け散った。


カサンドラの肉体は、その暴威の濁流に翻弄される木の葉に過ぎなかった。


バルコニーから後方へと吹き飛ばされ、石畳に叩きつけられるたびに硬質な音が鼓膜を揺らす。


跳ね、転がり、肉の袋と化した彼女が動きを止めた時、その端正だった顔立ちには、誇りの欠片も残っていなかった。


ただ、口端から溢れ出す黒い鮮血だけが、彼女の命がまだ「そこにある」ことを証明していた。


「カサンドラ様!」


兵士たちの絶叫は、もはや戦場の喧騒ではなく、塗り潰しようのない絶望の合唱だった。


だが、その絶望を燃料として、王都の北にそびえる王国魔術院が脈動を始める。


「――連結、開始。……命を捧げよ」


数百人の魔導士たちが、自らの血管を、神経を、魂の根幹を術式へと差し出す。


世界樹に喰らいつく歯茎さえも砕け散らす、文字通りの『決死』の命令。


塔の頂が放つ、太陽さえも凍りつく蒼炎の極大熱線。


地平線を引き裂き、一閃。


直撃した創造主の白い肌が、神の平穏を保っていた肉体が、音を立てて爆ぜる。


藻掻く腕。


引き裂かれる聖なる皮膚。


顔の半分が炭化し、崩落していくその様は、あまりに無残で、あまりに美しい「神殺し」の光景だった。


「……遅いのよ、早く、撃ちなさいよ……」


王国軍が至る所から咆哮を上げる。


だが、それは希望ではなく、絶望の予兆となった。

創造主は、裂かれた右腕を不快そうに見つめると、ただ片手を塔の方向へ突き出した。


言葉も、前触れもない。


聖歌と共に天から降り注いだ一本の光の柱が、魔術院の巨塔を「根元から」蒸発させた。


歴史と英知の結晶であった塔が、音もなく光の塵となって消えていく。


――王国から、罪人と魔術師は、消滅した。


市街地の東区画。

そこは今、英雄たちの血で綴られる無残な叙事詩の舞台となっていた。


「ああ? お前――誰だ?」


虚ろな瞳で大斧を振り下ろすキリアン。


聖剣でそれを受け止める弟の視界が、火花と涙で白く染まった。


「兄上ッ、キリアン兄上ッ! ……お願い申し上げるッ、私を、私を思い出して頂きたいッ、我が名は、ヴァルター・フォン・レギール――!」


圧し折れんばかりの聖剣。


だが、壊れた兄に残っているのは、飢えだけだった。


「ははッ、知らねえなッ」


そこへ滑り込む、執行官――ザックの影。


六翼龍の短剣。


その喉笛を引き裂いた。


眼を見開く、ヴァルター。

だが、キリアンは鮮血を撒き散らしながら、歪んだ笑みを浮かべる。


「あれ? 致命傷なんだけど?」


確実な死を刻んだはずだった。


「はあ? お前、面白れえな」


血の泡を吹きながらも、狂戦士の豪腕は止まらない。


その執念さえも、上空から降り注ぐ創造主の審判が蹂躙した。




◇ ◇ ◇




「……もう、これしかないのね」


満身創痍で立ち上がったカサンドラは、空を見上げた。


街は燃え、王国軍は力尽き、空は突如として現れた『怪物』の手に落ちてかけている。


彼女は、自らの内に流れる「ノス・グラード」の血を呪い、そして愛おしんだ。


「……ああ、ごめんなさい。私が欲しかった王国を、私の手で壊すことになるとはね、……あははっ」


彼女が禁忌の術式を起動させた瞬間、王都の石畳が、壁が、そして大気が、どす黒い内出血を起こしたように赤黒く脈打ち始めた。


――ジャラララッ!


虚空から現れたのは「魂」を縛り上げる鎖。


世界樹の種へと繋がるその鎖は、王国に住まう民、騎士、王族の魂を数珠繋ぎにし、巨大な血管のように鼓動を繰り返す。


虚空に鎖が浮かび上がる。


収穫を待つ果実の目録。


――50万、100万、200万


「……全部で205万698」


それは王国の歴史。


愛、憎しみ。


その全てをひとまとめにした「総量」。


王国の残りの「魂」。


眼前の創造主。


――神を殺す見積もり、総量97万842の「魂」


鎖という鎖が立ち込める。


――パチンッ


乾いた音。


その刹那。

王都を埋め尽くしていた喧騒、呼吸、心拍音。


その半分が、糸を切られた人形のように。


前触れもなく転がった。


断末魔すら許されない。


手のひらの上に集束した、どす黒い塊。


放たれたのは『世界の崩壊アポカリプス』。


「さようなら……」


数瞬前まで愛を語り、明日の希望を夢見ていた魂。


今は憎悪の濁流。


「生きたい」という渇望を、死してなお「離さない」という執着を束ねたどす黒い波動は、神の光さえも「餌」として喰らい尽くす。


「……グア、ア!? ……アダアア、ウ……、バ、ウッ、オッ……」


止めどなく集まり、喰らいつき、執着する。

聖なる肉を、絶対の法を、怨嗟が噛み砕く。


それはもはや攻撃ではない。

膨大という亡者が、神の体を引き千切り、道連れにしようとする執念の群れだった。


そして、大気に溶けていった。


――静寂だけが残された。


カサンドラは膝を突き、荒い息を吐く。


王国軍は辛勝した。


だが、その代償はあまりにも大きかった。

王都の地下広場には、魂を使い果たして倒れ伏す無数の国民たちの姿があった。


「……勝った。守ったわ、私たちの世界を……」


カサンドラが勝利を確信し、ふと、足元の違和感に気づいた。


足元から伝わってくるはずの、大地の「震動」がない。


彼女が守ったはずの王都の中心。

その地下深くに眠っていた、人類の母体たる「原初の荒野」。


彼女が恐る恐る地底を透視したとき、そこにあったのは――完璧な球体にくり抜かれた、巨大な『虚無の穴』だった。


遥か上空。


半分以上が消失し、ボロボロになった「半壊のワンルーム」の中で、男は最後の一片――「漆黒のジオラマ宝石」を手にしていた。


――パチンッ


世界のレプリカへと静かに嵌め込んだ。


戦場の喧騒が嘘のように遠い、静かな音。


「完成だ」


男は、完成した「完璧な世界」を愛おしげに抱くと、もはや用済みとなった地上の惨状を一度も振り返ることなく、雲の彼方へと消えていった。


そこは「レプリカ」ではない「新世界」。


――残された外は、旧世界。


魂を抜かれた国民と、心臓を盗まれた大地。

そして、自分が「空っぽの器」の支配者になったことを悟ったカサンドラの沈黙。


壊れた王国の上空。


「救援を開始する。急げ、地上は地獄だ」


アリストンの号令と共に、竜騎兵たちが急降下を開始する。


巨大な翼が戦場の煤煙を蹴散らし、泥に塗れた生存者たちを救助していく。


「アリストン様」


ベルカの問いかけに、アリストンは眼下の惨状を眺めながら、感情の欠片もない声で返した。


「ああ、分かっている。交渉にも有利だからな」


ベルカは頷くと、迷いなく地上へ向かった。


「……さて、まずは身内のお膳立てからか」


アリストンは崩壊した王宮庭園へ降り立つと、割れた噴水の縁に降下した。


「……陛下、申し訳ございません。奴を取り逃がしました」


カサンドラは虚空を見つめ、力なく首を振った。

その瞳にはもはや、王国の再興を願う光はない。


「……そう。もういいわ。終わりね、この世界」


「いえ、まだ一つだけ可能性があるかと。『交渉』ができるかもしれません」


「交渉? あはは、あの男に会話なんて、一切通じないわよ」


絶望に濡れたその言葉を、アリストンは微笑で受け流す。


「陛下、その大役、私にお与えいただけませんか」


カサンドラは自嘲気味に笑い、その全権を彼に委ねた。


(さて、この想定以上の損失……。『手記』以外にも手土産が必要か)


アリストンは再び竜に乗ると、天へと飛翔した。


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