力付くでも排除する
王国の上空に男のワンルームが現れた。
待ち構えるのは王国の全戦力。
天を仰げば、そこは既に鱗と翼の雲海だった。
その群れを率いる辺境伯アリストンの怒号が雷鳴となって降り注ぐ。
呼応するように数百の竜が放つ咆哮が、地上の騎士たちの肋骨を容赦なく震わせる。
根源の塔は、屠殺場のような異臭に満ちていた。
立ち並ぶ千の魔導士たちは、己の歯の根が噛み合わないほどの震えを抑えきれない。
鼓膜を内側から掻きむしるような、魂が解体される断末魔。
術式の中心、根源の魔術師の足元で、幾何学模様に並べられた「ズタ袋」が激しくのたうつ。
袋の隙間から漏れ出す、ひび割れた嗚咽。
魔法と呼ぶには、あまりに血が通いすぎていた。
城下町を埋め尽くしたのは、整然と並ぶ数万の兜。
陽光を跳ね返すその群れは、まさに「鋼の森」。
だが、その森は静まり返り、聞こえるのは重装騎士ヴァルターの吐息と、数万の鎧が微かに擦れ合う、冷たく、重い金属音だけだった。
ウィリアム王が握る長剣の柄には、汗で湿った手のひらが強く押し当てられていた。
背後の塔から流れてくる「鉄錆の匂い」は、かつてない不吉な予感となって、冒険者たちの鼻腔を突く。
「……現れたわね」
半壊した王宮のバルコニー。吹き抜ける風がカサンドラの髪を弄ぶが、彼女の眼差しは氷のように固定されたままだ。
彼女の足下――広場を埋め尽くしているのは、絶望の海だった。
数千の罪人たちが、重い鎖で互いに繋がれ、赤黒い汚れが目立つ石畳を這い回っている。
彼らが身じろぎするたび、ジャラリ、ジャラリと、乾いた金属音が幾重にも重なり、巨大な監獄のような残響を城内に響かせる。
――生きた魔法の部品。
「終わりだ」
吐き捨てると同時に、男は『風詠み』の調律を強引に捻じ曲げると、機体が悲鳴を上げ、慣性をあざ笑うような鋭角で宙を滑る。
眼球に強烈な加速重圧がのしかかり、閉じた傷口を抉るが、男は構わず加速した。
直後、視界が色の無い光に塗り潰される。
地上から放たれた数千の魔法が、尾を引く凶星となってワンルームを追尾する。
「逃がすかよ……!」
背後から迫る竜騎士たちの怒号。
爆炎の中、ワンルームは狂ったように舞い、死の包囲網の「継ぎ目」を見つけ出す。
(……そうだ、それでいい。総員、後退だ)
辺境伯は遥か上空から、密約を成就させていく。
「……喰らえ」
レバーを捻った瞬間、壊れた世界から音が消えた。
吐き出された数百の瓶が連鎖的に炸裂し、その亀裂から「南方海域」が丸ごと王都の空へと落ちていく。
140京トンの質量。
それはもはや液体ではない。
空を埋め尽くす巨大な岩盤が現れただけで、衝撃が地上の人間たちの鼓膜を引き裂き、肺から空気を強引に絞り出した。
――禁忌召喚・六翼龍
王都の巨塔が震え、空間が硝子細工のように砕け散る。
そこから這い出したのは、神々しい龍などではなかった。
『――イ、ギタイ! 痛イ! 痛アッアッ! 殺シテアァアア痛テア痛アア!!! 愛シテアッ!!食ベアッアッ! 痛アッ!アッ! ガアアア!!!』
龍の咆哮。
それは、数千人の人生を無理やり「龍」に閉じ込めた、吐き気を催すような断末魔。
黒翼を広げる怪物。
命乞いの悲鳴が業火に変わる。
天から降り注ぐ海を真っ向から迎え撃つ。
――灼熱の断末魔
「……冒涜だな。本当に、人間は何をするか予測できない」
最前線の騎士たちは叫ぶ暇もない。
一瞬にして炭化して形を失った。
南方海域は空中で焼失していく。
視界を白一色に染め上げる、霧。
やがて灼熱の雨となり、生存者たちに襲い掛かる。
炭と化した残骸が、黒い洪水となって消えて行く。
部屋の隅、作業台の上でいつものように掃除をしていたミニチュアのゴーレムが、静かに立ち上がった。
学んだ道理を思い出す。
男に深く、最期の、そして静かな一礼を捧げた。
「なっ!? 待て――」
引き留める指先をすり抜け、鉄の箱へと身を投じる。
落下しながら、手のひらサイズの結晶が空間を圧し折るような勢いで巨大化していく。
――魂が宿った証跡。
男の権限では、もう抑えらなかった。
◇ ◇ ◇
全長二十メートル。
本来の姿を取り戻した『決戦兵器』。
拳に凝縮された超重力。
全身が、猛烈な熱量を帯びて軋む。
周囲の空間ごと龍の頭部へ叩き付ける。
――衝突。
爆音すら置き去りにする衝撃。
龍の砕け散った下顎が虚空を舞った。
続けざまに放たれる第二撃。
だが、その拳が届くより速く。
龍の喉奥から閃光が迸る。
零距離からの超高熱火。
白銀の蒸気となって焼け落ちる右腕。
胴体の外装さえ溶岩のように溶かし尽くす。
だが、決戦兵器は怯まない。
炎に焼かれ、形を失いゆく胴体。
それを支えに、残された左腕を天高く振り上げた。
全質量を点に集中させた一撃。
「死」を凝縮した一撃が。
龍の巨頭が地面へと「埋設」される。
二体の巨躯がもつれ合いながら地殻を食い破り、瓦礫と化した都市を飲み込みながら、地底へと続く巨大な断層を作り出した。
男は、ただ突き進む。
天空を埋め尽くす積乱雲。
それを極限まで圧縮した「瓶」が、雨あられと投げ落とされた。
砕け散るガラスの音を合図に、閉じ込められていた幾千の火山の熱が、凍てつく高空を強引にこじ開ける。
凄まじい大気の軋みが空を締め上げ、一瞬で重苦しい湿気が兵士たちの肌に張り付いた。
滴る雫を拭う暇さえ、世界は与えない。
熱せられた大気が限界を超えて急冷される。
天が崩落した。
降り注ぐのは雨ではない。
加速する氷の砲弾の雨。
盾を掲げた騎士たちは鋼鉄ごと粉砕された。
魔術師たちは障壁を紡ぐ前に消し飛ぶ。
――最終防衛ラインが、一瞬で更地へと変わった。
「……放ちなさい」
その静かな命が、網膜を白く焼く絶唱となった。
王宮の魔力が、牙を剥く獣となってワンルームを食い破る。
――ギィッ、ギチギチィッ!
男の真隣。
昨日まで当たり前のように彼を守っていた居住区の扉が、渦状の模様を描きながら、苦悶の声を上げてねじ曲がっていく。
「……ッ、装甲が、持たないか」
扉の隙間から、無理やりこじ開けられた傷口のように「外の風」が侵入した。
鉄錆と血の混じった冷気。
逃げ場のない男の首筋に纏わりついた。
拭う暇もなく吹き出した汗が、首筋を伝う。
安らぎの境界線は、もうどこにもなかった。
その向こう側で、くべられた罪人たちは私欲から解放され、初めて他者の喜びが自身の喜びだと気付くと、朽ち果てた。
「あはは、……これ、救済よね?」
男はワンルームを浮上させた。
「もう知るか、どうにでもなれ」
吐き捨てるように呟いた。
ついに、男は、禁忌のレバーを引いた。
放たれた『災厄の瓶』。
歓喜を上げる騎士たちの足元へ、無機質な回転を加えながら落ちていく。
――パリンッ
乾いた音が響いた瞬間、瓶から漏れたのは因果を食い破る、剥き出しの『虚無』。
それを目視した騎士が、消滅した。
その消滅を目撃した隣の騎士も、悲鳴と共に消滅した。
その悲鳴が聞いた騎士たちも、絶望と共に消滅した。
恐怖に呑まれた騎士が、断末魔と共に消滅した。
その断末魔で震動した石材さえ、消滅した。
――消滅の連鎖
熱気に満ちていた戦場を「初めから何もなかった場所」へと塗り替えていく。
戦慄するカサンドラの目前。
王宮を支える石柱も消滅した。
――だが。
勝敗の行方は、地底から響く地鳴りにかき消された。
瓦礫が吹き飛び、地面から噴出した塊。
赤黒く輝く数千の巨大な『ヒル』の肉塊。
ボタボタと重い音を立てて肉の雨となり、兵士たちの上に降り注ぐ。
「う、うわああああ!」
悲鳴は、即座に粘液に掻き消された。
鉄の鎧も、誇り高き皮膚も、群がるヒルのぬめりによって等しく蹂躙される。
引き剥がそうとする指先さえも、滑り、吸いつかれ、黒い肉の山に飲み込まれていく。
兵士たちを生き埋めにしたヒルの巨大な肉塊。
漏れ出すのは、空間を震わせる透き通った聖歌。
粘液を纏い、引き裂かれたヒルの肉塊から、不完全な神の如き異形が、その醜悪で美しい姿を現した。
網膜を白銀に焼き潰す、慈悲なき『審判』。
豪雨となって降り注ぐ雷の槍。
戦場の土も、這い回る罪人も。
逃げ惑う市民の背中も。
等しく塵へと変えていく。
そこに意志はない。
ただ効率的に、地上の「不純物」を間引いていた。
だが、その創造主の気配に、龍の心臓がかつてない律動を刻む。
血管に混じる「人間」の残滓が、熱を帯びて沸騰した。
――それは、獣の咆哮ではない。
人間――同胞を蹂躙する創造主に対する憎悪。
ドロドロとした赤黒い殺意が龍の眼窩を染め上げ、天を突く異形の創造主へと牙を剥いた。
凝固しかけた自らの血を剥がすように、震える四肢で身を起こした。
かつて天空を統べた六翼は、ミスリルの巨像によって根元から引き千切られ、今は無残に裂けた一枚のみが泥に塗れている。
それでも、瀕死の古龍は咆哮した。
喉を焼くのは、理を覆すほどの憎悪。
残された唯一の片翼を力任せに広げる。
龍はひび割れた大地を力強く蹴った。
創造主は迫りくる龍を一瞥すると、手をかざす。
だが、焼け落ちたはずのミスリルの剛腕。
残骸が、創造主を鷲掴みにした。
巨大な万力と化して締め上げる。
そのまま龍が吐き出す赤黒い業火の渦中へと、創造主を無理やり突き出した。
――ギ、ギギッ、と鋼鉄が断末魔を上げる。
龍は灼熱を巻き散らしながら、創造主の神聖なる白磁の肌を、泥に塗れた爪で無残に切り裂いた。
肉を焼く嫌な音と、蒸発する神血の匂い。
創造主を炎の底へと引きずり込んだゴーレムの腕は、指先から赤熱し、役目を終えたようにドロリと溶け落ちていった。
神の肌から、ヒルが零れ落ちる。
伝説の龍と決戦兵器が、神に一太刀報いた瞬間。
創造主は、切り裂かれた自らの白い肌を冷淡に見つめ――初めて、不快そうに眉をひそめた。
振り上げられた手。
網膜を白銀に塗り潰す。
放たれたのは光の奔流。
空間を埋め尽くす透き通った聖歌が、龍の赤黒い業火を音もなく飲み込んでいく。
ついに、伝説の六翼龍は、断末魔の欠片さえ残すことを許されず、ただの塵となって消えた。
荒れ狂う風が止んだ後、空から静かに降り注いだのは、剥げ落ちた漆黒の鱗、ただそれだけだった。
この龍の死は、王国軍の絶望をさらに深める。
もはや、何と戦っているのかさえ、分からなくなった。
――抵抗は、無力。
「想定外だが、結果は変わらぬか。……潮時だ」
辺境伯アリストンは、眼下で『消滅の連鎖』に飲み込まれていく数万の騎士たちを、市街地のゴミ捨て場でも見るような無関心さで見下ろした。
「全機、反転。……これより当家は、王宮の後方防衛任務に移る」
絶叫するカサンドラの声を背に、数百の竜騎士たちは一騎たりとも落ちず、冷徹な旋回を見せ、空の彼方へと消えていく。
カサンドラが視線を上げた時、そこにはもう、煙を上げるワンルームも、竜騎士団も、その影さえ残っていなかった。
「……どこに、行ったのよ……ッ!」
カサンドラは絶叫し、崩れ落ちる王宮を捨てて飛び立った。




