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またプライバシー侵害

王国は、巨大な生命が腐り落ちるように、日々その形を失っている。


街の象徴だった時計台は昨夜、断末魔もなく折れた。

だが、それは未だ地に落ちていない。


砕け散るはずの瓦礫とともに「ゆっくり」と、永遠にも似た時間をかけて墜落し続けている。


枯れ果てた並木道からは、粘りつくような黒い霧が立ち上がる。

それは元は植物と呼ばれた存在。


いまは道行く者の足首に絡みつき、体温を奪う。

膝を浸し、這い上がる黒。


誰もがただ、理解していた。


空から色が消え、足元を暗黒が這うこの日々こそが、数千年の歴史が幕を閉じる「最後の一行」であることを。


そんな終末の外で、男は一盛りのサラダを口に運んだ。


――シャク、シャク……。


歯裏に響く、生命の快音。

男が噛み砕いたレタスの葉は、瑞々しい緑の雫を弾けさせた。


自家製ドレッシングの爽やかな酸味が鼻腔を抜ける。


「今日も平和だな」


傍らでは、小さなベレー帽を傾けたゴーレムが、世界から失われたはずの「光」を紡いでいた。


豆粒ほどのキャンバスに向かい、極細の筆先を踊らせる。


ペタペタという湿った音が、男の咀嚼音と心地よく重なった。


筆先がパレットの上を踊り、瑞々しいレタスから「完璧な緑」を盗み取っていく。


最後の一筆を滑らせた。


小さな布の上には、外の世界のどこにも存在しない、眩しい生命の輝きが描かれていた。


男の目の前には完成間近の「世界のレプリカ」。


世界の支柱を引き抜き、精巧に縮小して並べたその機能美を眺めながら、清々しい気分に浸っていた。


魔導士との約束の時刻は、とうに過ぎている。

だが、男は気にしない。


外界の生物の時間など、秒針が多少狂う程度の、どうでもいいことだった。


やがて、その女――カサンドラが黒い霧を払いながら、扉の前に現れた。


背後には、竜騎士ベルカを連れている。


入口にへばり付いていたヒルが、殺意を剥き出しにすると、カサンドラへ鋭利な針を突き立てた。


だが、その針は彼女の手前で「見えない壁」に阻まれ、ギリギリと押し返される。


ヒルはそのまま、不可視の重圧によって地面へと無様に縫い付けられた。


その頭上、玄関の屋根。

その縁から、狂戦士の脚だけが突き出している。


「……趣味が、悪いですよ」


空間に響いたのはノイズ混じりのスピーカー音。


『一人で来る約束だ』


鼓膜をざらりと撫でる、抑揚を欠いた男の回答。


「取引に必要なのよ」


クスクスと喉を鳴らし、カサンドラが唇を吊り上げた。

その傍らで、ベルカが糸の切れた人形のように膝を突く。


畳まれた肢体には意志の欠片もなく、ただ床に影を落とすだけの肉塊へと成り果てていた。


「魂はもう、ありません。……私が取っちゃったから、あははっ」


艶然と、毒を含んだ蜜のような微笑を浮かべる女。


彼女が囁く背後で、白銀竜のあぎとが屈辱に震えていた。


牙の隙間から漏れる火花は、主を守れぬ己への憤怒のように激しく燃える。


「その竜とまた『一緒に』大空を飛ぶ為に、差し出しちゃったのよね……」


かつてベルカを背に乗せ、空を駆けた誇り高き翼。

カサンドラの笑い声が、竜の悲痛な呼気に混ざり合い、周囲を毒々しく汚していった。


刹那、扉が開くとスプレーボトルを手にしたゴーレムが飛び出した。




◇ ◇ ◇




――シュッ、シュシュッ!!


「ちょっと!? なッ、何なのよ、これ……!」


顔面に吹き付けられるアルコールの飛沫。


カサンドラは睨み付けるが、ゴーレムは無視して白銀竜のつま先にコンコンと叩いた。


その銀色の翼へ瞳を向けた。


拡大される視界の中で、白銀竜の誇りである鱗の連なりが、不自然な断絶を見せている。


本来なら光を等分に弾き返すはずの整列が、そこだけは波立つ水面のように歪んでいた。


再生周期という自然の理は、魔術的な手法で無理やり修復されている。


ゴーレムが竜騎士を指さすと、白銀竜は首を振った。


代わりに、カサンドラを睨み付けると、ギチギチと歯軋りを上げる。


「……、まあいいわ。条件は二つ。一つは、世界樹の種。あなたも必要でしょう? もう集めたのかしら?」


『ある』


「……その種はもう、芽吹いた?」


『お前には関係ない』


「……じゃあ、もう一つ。そのお部屋の中で、今度はしっかり、あなたの『魔術』を見せて?」


――沈黙。


『……いいだろう』


男は取引に応じた。


扉を開けると、竜騎士が困惑の表情をしていた。


「では先に、『魂を繋ぐ鎖』ですよ」


――ジャラ……ジャラリ……。


竜騎士の首元から、実体化した鎖が這い出してきた。


その末端は、カサンドラが掴んでいる。

男は思わず目を見開いた。

カサンドラは、男のその反応を愉しむように目を細める。


「お別れね、ベルカ」


指先が、空虚なベルカの頬をなぞる。


だが、男には鎖しか見えていない。

その先に繋がる付属品はどうでもよかった。


「この鎖が欲しい。その邪魔な魂は外してほしい」


カサンドラの瞳に呆気が走る。


「……本気?」


「ああ、その鎖が欲しい」


彼女は溜息を付いた。


「……自由よベルカ、よかったわね」


カサンドラは事務的に鎖を外した。


「……あ」


繋ぎ止めていた鎖を外されたベルカは、縋るように自分の両手を見た。


それは、微かに脈動し、温もりを持つ自分の手。

ベルカは、支配から外れたことを悟ると、白銀竜に駆け寄った。


カサンドラは光る鎖を差し出した。

男は無言で受け取ると、鋼鉄の扉を開く。


重厚な金属音が響き、外の世界の腐りかけた空気と、室内の清謐な空気が一瞬だけ混じり合った。


「入れ」


男の短く、冷淡な許可。

一歩跨げば、そこは別世界だった。


外の灰色の死が嘘のように、室内には黄金の稲穂が太陽を吸い込む、どこか懐かしい香りが満ちている。


作業台の上には、失われた鮮烈な色彩を宿す野菜たちが、籠の中で瑞々しい雫を纏い、静かに積み上げられている。


そして、その隣。

禍々しいほどの存在感を放つ「それ」が、カサンドラの目を釘付けにした。


「……あら」


彼女は「世界のレプリカ」を見つめた。


「こうやって、世界を壊しているのね。……どうして、こんなことをするの?」


男は答えない。

ただ、早く帰ってほしかった。


密封された室内で鼻を突く、彼女の毒々しい香水の匂いが不快でたまらない。


「禁忌の魔法でも使うのかしら?」


「魔法は使えない」


男は作業台にあった金槌を雑に手に取ると、ミニチュアサイズにまで縮小させてみせた。


「……魔法じゃないわね。それは、何?」


「魂が無い物を、操作する力だ」


カサンドラは絶句し、困惑に顔をしかめた。


彼女はこの男を、既存の魔術体系の外側を歩む、外法、或いは独自体系の魔術師だと思い込んでいた。


だが、事実はもっと単純で、致命的。

男は世界の在り方そのものを、都合よく書き換えていた。


「私はこの世界の全ての人間、全ての魂を支配したい。けれど、あなたは――魂の無い物を支配する力を持っている」


カサンドラは一歩、逃げ場のない距離まで踏み込んだ。


「私達、最高のビジネスパートナーになれると思わない?」


男はその誘いに一瞥もくれず、領収書を差し出すかのように、世界樹の種を事務的に渡した。


「出ていけ」


「……本当につまらない人」


カサンドラは扉に手をかけ、愉しげに肩をすくめる。


男は去り行くカサンドラの手のひらを見逃さなかった。


渡したはずの世界樹の種は、彼女が触れた瞬間に不気味な赤黒い澱みに飲み込まれ、まるで摘み取ったばかりの心臓のようにドクドクと拍動を始めていた。


――人間の魂を全て、支配する術式。




◇ ◇ ◇




その夜。


王城の晩餐会は、黄金の燭台と選び抜かれた料理で、この世を謳歌していた。


繰り返される停滞。


ウィリアム王はワインを傾け、辺境伯アリストンはその傍らで偽りの微笑を浮かべている。


すべては平和で、永遠に続くかと思われた。


だが、その瞬間。

空間の「匂い」が、変わった。


むせ返るような、太古の原生林の青臭さと、毒々しいまでに甘い蜜の香り。


食器が擦れ合う音が止み、重装騎士ヴァルターの喉が、不自然な痙攣を起こす。


晩餐会の扉が、音もなく開かれた。

現れた宮廷魔導士――カサンドラ。


その手には、赤黒く脈打つ世界樹の種が握られている。


彼女が微笑んだ、その刹那。

聖剣を掴むヴァルターの視界は、強制的に床へと引きずり下ろされ、膝が重厚な音を立てて砕け散った。


――ジャラララ……


虚空から響く鎖の音が、鼓膜ではなく魂を直接締め上げる。


貴族たちは、背を蹴り飛ばされたかのように、無様に石畳を舐めた。


肉体から魂が、剥がされる果皮のように無慈悲に引き摺り出される。


アリストンの瞳が、驚愕で激しく収縮した。


だが、隣で項垂れるウィリアム王の、震える項を見た瞬間、彼は地に伏せる。


「下らないわね。……この色あせた「おままごと」、いつまで続けるのかしら?」


彼女が指を僅かに曲げるたび、一同の意思は一本の糸に繋がれた操り人形のように、彼女の手のひらの中へと吸い込まれていく。


「王族の歴史はこれで終わり。……あとは私が頂きますね」


勝利に酔いしれ、高笑いする簒奪者。

辺境伯の冷徹な瞳には、その、無防備な背中だけが映っていた。


(……鎖は私に触れてもいない。……何をしたかは知らないが、これは不完全だ)


城砦の影がアリストンを覆い隠していた。


息を殺す。


だが、その瞳は既に、次の勢力争いを見据えていた。


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