疲労困憊、仮眠
それは、巨大な『ヒル』のような形をした、黒い粘液質な怪物たちだった。
一つ一つが男より大きな巨躯を、根に深く歯を突き立て、何かを熱心に啜っている。
ワンルームが衝突した振動に反応したのか、数千のヒルたちが一斉にその活動を止め、男の拠点へと緩慢に首をもたげた。
眼のないはずの頭部が、獲物を探るように、あるいは敵を識別するように左右に振れる。
一斉に口を「パクパク」と開閉させる。
濡れた粘膜が擦れ合う微かな音が、装甲越しに鼓膜を這い上がってくる。
「……気持ち悪いな」
ヒルたちはゆっくりと、しかし確実にワンルームの方へとその体を伸ばし始める。
根の表面から数メートルの位置で、ワンルームは停止した。
すると、包囲していたヒルたちの挙動が変わった。
彼らは攻撃の意図が無いことを察知すると、急激に興味を失った。
再び、根っこへと這い戻っていくヒルたち。
男という「異物」よりも、目の前の「糧」の方が重要のようだった。
男もそれで良かった。
男が欲しいのは、その木ではない。
その木をこれだけデカく育てた、『土壌』。
ゴーレムはミニチュアのタンスを開くと、磨き上げられた銀光を放つスコップを手にする。
ヘルメットの紐を締め上げる。
ギュッ、と革が鳴る。
ワイヤーがミスリルの腕に触れ、硬質な音を立てる。
静かに男に合図すると、「収穫」のために補充口に向かった。
――ガコンッ。
ゴーレムが大地に降り立った。
そこは、数千年の沈黙と、世界の重みによって圧縮され続けた、漆黒の土。
土の表面を検分するように見つめる。
解像度を上げる。
合焦の先、またその先、更にその先。
黒一色に見えた地表は、拡大されるほどに極彩色の魔力を放っている。
その一粒一粒の奥底で、灯火が揺れている。
この土は生きている。
磨き抜かれたスコップを構えた。
意を決し、漆黒の層へと突き立てる。
刃先から伝わるはずの、圧密による抵抗がない。
まるで実体のない影を掬うかのように、スコップは深淵の底を滑らかに泳いだ。
ヒルたちは時折、すぐ側で作業するゴーレムたちをパクパクと眺めてはいたが、自分たちの「食事」を邪魔されない限り、手出しをする様子はなかった。
男はゴーレムが運んでくる土の標本を確認した。
それは純粋な「命」そのものだった。
魂はない。
「ああ、これだ。……根こそぎ取る」
男は一度、深く空気を吸い込んだ。
崩れ落ちようとする四肢を、意志だけで繋ぎ止める。
再び力を振り絞る。
両手を広げると、空間の理を捻じ曲げ、無理やり土壌が剥ぎ取られていく。
土台を奪われた巨大な根が、世界を揺るがす地鳴りのような断末魔を上げた。
空間の圧縮に耐えかねた根が、パキパキと巨大な爆鳴と共に粉砕されると、出血したかのように赤黒い樹液が雨となって降り注ぐ。
その裂けた根さえを搔き集めて、男は容赦なく空間ごと圧縮した。
ゴーレムは、急いで土をスコップで掬うと、そのまま男がワイヤーで引き上げる。
数千のヒルたちは、男を「排除すべき対象」として認識した。
壁や天井の至る所から、滝のように降り注ぎ、ワンルームを次々と喰らいつく。
一瞬で覆い尽くされる。
耳を打つのは無数の吸盤が吸い付く不快な破裂音。
へばり付く肉の層は、カメラのレンズへとのしかかり、牙の並ぶ口腔を剥いた。
モニターを埋め尽くしたのは、赤黒い粘膜。
糸を引き、白くレンズを濁らせる。
モニターは絶望的な暗黒に染まり、断続的なノイズだけを吐き出した。
限界を迎えた男は「王国に向かえ」とだけゴーレムに伝えると、ベッドに倒れ込んだ。
ゴーレムは首を縦に振る。
桶と手ぬぐいを取り出し、浴室へ直行した。
◇ ◇ ◇
その真上、屋根の中心。
――先住民、狂戦士キリアン。
咆哮が地鳴りのように響くと、殺到するヒルの塊が、一瞬だけ怯む。
だが、飢えた肉の濁流は止まらない。
黒い塊が大きな口を広げ、全方位からキリアンを塗りつぶそうと降り注ぐ。
――爆鳴。
振り下ろされた大斧が空気を圧縮し、衝突の瞬間にヒルの群れを「粉砕」した。
飛び散る黒い体液。
だが、気付けば、キリアンの四肢は既に無数にヒルに覆われていた。
肉に食い込む感覚。
キリアンは笑っている。
返り血なのか、自分の血なのか。
赤く染まった視界の向こう、赤黒い津波を見据え、ズタズタに、執拗に、肉の塊を引き裂き続けた。
バスルームの扉を開けると、霧雨のようなミストと共に、森の奥深くにある「秘湯」の香りがゴーレムを包み込んだ。
金磁器の蛇口を捻ると、封じ込められた秘湯が、一切の空気に触れることなく新鮮なまま溢れ出す。
シャワーで泥汚れをしっかりと洗い流す。
手ぬぐいで全身を綺麗に磨き上げる。
そして、御影石の湯舟に波紋を広げ、縁から静かに「かけ流されて」いく。
屋根の上の視界が、赤黒い絶望に塗りつぶされた。
それは数千、数万というヒルの蠢きが一体化した、巨大な「肉の壁」。
大津波が銀色のワンルームを圧殺しようと、一切の容赦なく襲い掛かる。
だが、キリアンは一歩も引かない。
真正面からの真っ向勝負。
唸る大斧。
卑小な肉塊を嘲笑うかのように、一撃が力任せに津波を粉砕する。
直後、世界に降り注いだのは、無残に千切れた肉片と、糸を引く粘着質な体液の豪雨だった。
だが、腕が重い。
視線を降ろすと、両腕に食い込む何十もの牙。
吸い出される熱。
キリアンはそのヒルたちを引き千切り、あろうことか自らの口へと放り込んだ。
バリボリ、と硬い皮が裂ける音。
「おい、血を返せ。……ああ?」
噛み砕いた残骸をペッと吐き捨てる。
「……お前! ひでえ味だな。食えたもんじゃねえ。……ああ? 俺の味か? ああ、わからねえ!」
血塗れの狂戦士は笑いながら、再び大斧を叩きつけた。
不快な振動。
手ぬぐいを頭に乗せたゴーレムは、天井を見上げる。
湯船に浮かぶアヒルを回収すると、手ぬぐいで水気を払う。
――ガララ。
光沢を増したゴーレムが、浴室から出てくる。
ほかほかと、湯気が立っていた。
操舵輪まで歩くと、王国へ向かって出発する。
ゴーレムは頷く。
それは完璧な「優先順位」だった。
何度も外壁をぶつけながら上空へ飛び立つ。
その振動が男の意識を呼び戻す。
「……ふう、少し寝たか」
男はモニターを一瞥すると、斧とヒルが騒いでいた。
「まだ居たのか」
男は操縦を代わると、外壁にへばり付くゴミを無視して飛翔する。
ヒルは壁を伝い執拗に追いかけてくる。
やがて、鋼鉄の箱は埋め尽くされ、浮遊する『蠢く肉団子』へと成り果てた。
モニターのすべてが、ヒルの内側の赤黒い軟体と、絶え間ない蠕動だけを映し出していた。
ヒルは体の先を錐のように鋭く尖らせ、ワンルームの装甲を穿とうと躍起になる。
しかし、装甲はびくともしない。
ただ、肉塊が叩く、鼓膜を逆撫でする不快な衝突音だけが室内に響き渡った。
幾度も機体を岩肌にぶつけ、削ぎ落そうと試みるが、狂戦士もヒルも執念深く離れようとはしなかった。
男は回復薬を口に含むと、舵輪を握りしめ、上昇を続ける。
「……しつこいな。掃除をさせるか、魔術師たちにな」
奈落の天井を突き破り、ワンルームは「世界」へと躍り出た。
視界を塗り潰したのは、眩いほどの蒼穹。
目的地は王立最高魔術院。
湿った雲海を食いちぎり、躍り出た機体が大気を震わせる。
眼下には、富と権力の結晶たる王都。
標的は真正面にそびえ立つ、王立最高魔術院「根源の塔」。
加速。
肉の弾丸は塔の喉元で――狂気じみた急停止を見せた。
魔術師たちの鼻先に突きつけられたのは、あまりに醜悪な「不浄の部屋」。
見上げる民衆の悲鳴が、王都を埋め尽くした。
「……なんだ、あの『肉の流星』は!?」




