硬度が正義
掘削開始から丸一日。
モニターに映し出される外部の映像は、もはや摩擦熱で赤熱し、極圧に歪みきっている。
そこにあるのは、想定を遥かに超えた高度を持つ重金属と、ドロドロに溶融した岩石が蠢く地獄。
ドリルの守護者は悲鳴を上げるように摩耗し、採掘速度は目に見えて激減していた。
「……計算が狂ったか。研磨剤でも噛ませるか」
男の言葉を遮るように、均衡が断絶した。
ドリルが空転する、不吉なほど軽やかな音が響く。
直後、ワンルームが、重力から切り離されたような奇妙な浮遊感に包まれた。
外部ライトが闇を切り裂き、モニターに映し出したのは――地底に存在するはずのない「巨大な空洞」だった。
慣性のままに滑落し、衝撃と共に機体が停止する。
土煙の向こうに広がっていたのは、人工的に整えられた、あまりに静寂な広がり。
整然と並ぶ巨大な石柱、そして幾何学的な装飾が刻まれた壁面。
数千年の沈黙を吸い込み続けてきた、巨大な地下都市の残骸が、サーチライトの光の中に亡霊のように浮かび上がる。
ノス・グラード伝承。
人類が最初の一歩を刻み、やがて地表へと去っていったとされる原始の聖域。
歴史学者が見れば狂喜のあまり発狂し、宗教家が見れば膝を突いて祈りを捧げるであろう光景。
だが、男の手元にある羅針盤の針は、遺跡には目もくれず「真下」を指し示し続けている。
「こんな場所に、眠っていたのか」
男は一時、掘削を中断した。
ドリルが、地表の石畳や建造物を砕く破壊音を無視して前進するにつれて、ライトが照らし出す建造物は威圧感を増し、巨大化していく。
だが、秩序の終わりは、あまりに唐突だった。
中心へ進むほど、遺跡は密度を失った。
外部ライトが闇をなぞる。
そこには反射する壁も、遮る柱も存在しない。
あるのは、岩肌に引かれた無機質なガイドラインと、等間隔に打ち込まれた杭だけだ。
完成された外縁部の重厚さが嘘のように、奥底には空虚な「枠組み」だけが反復している。
「……完成させる気は、始めからなかったのか」
まるで、巨大な意志が形を作ることを唐突に飽き、放置した「残骸」だった。
そしてついに、遺跡の最深部、天を突くような神殿の玉座に「それ」は現れた。
周囲の岩肌とは決定的に異なる、光を食むような漆黒。
三柱の「静止の守護者」に囲われ、天井の見えない闇へと伸びる、巨大な黒い四角柱。
――モノリス。
空間を覆う壁面には、力強い筆致の壁画が踊っていた。
人の誕生。魔法の発現。世界の災厄。
黒き獣。翼を広げる王国。約束の地。
男は、モノリスの四面にビッシリと刻み込まれた紋様を、食い入るように見つめた。
地を這う虫の群れのような、緻密で悍ましいまでの叡智。
だが、静止の守護者たちは微動だにしなかった。
「……素晴らしい」
「ワンルーム」を着陸させるや否や、男は弾かれたように外へ飛び出した。
玄関扉を蹴破らんばかりに開き、モノリスへ駆け寄る。
探検帽を被るとゴーレムも駆け出した。
皮手袋を脱ぎ捨て、剥き出しの指先で漆黒の肌に触れた。
その絶対的な冷気と滑らかさに、男の唇が愉悦に歪む。
「『次のドリル』だ」
◇ ◇ ◇
男が腕を天に掲げた瞬間、神殿の静寂が「爆鳴」へと塗り替えられた。
禁忌の歴史は突然の暴力に耐えきれず悲鳴を上げ、逃げ場を失った衝撃波が壁画を粉々に破壊する。
描かれた神々や英雄たちが石の礫となって吹き飛ぶ中、数千年の英知さえ喪失するかのように圧縮されていく。
歴史という名の瓦礫が男の手のひらに吸い込まれていく。
残ったのは、人差し指と同じサイズの、モノリス。
男は「ワンルーム」の底部に溶接されていた、もはや原型を留めぬ守護者を乱暴に引き剥がした。
代わりにモノリスを据え付けると、それは本来の、巨大な質量を取り戻していく。
ゴーレムはモノリスに刻まれた製造者の名前を一瞥すると、記憶の深淵を照合するように、ただ一度だけ、深く、深く頷いた。
そして、モノリスと男を記録に収めた。
新たな「漆黒のドリル」を得た男に、迷いはなかった。
足取りも軽く部屋へ戻ると、制御レバーを最大出力へと叩き込む。
巨大なモノリスは自らが鎮座していた遺跡の底を貫くと、重金属の層をガラスのように粉砕しながら加速した。
刻まれた数千年の古代文字が、地層を物理的に削る溝となって、誰も知らない叙事詩を奏でながら加速する。
岩石はもはや固体の形を維持できず、粘りつく光の奔流――赤、黄、白熱、あらゆる色が混濁した虹色の光線となって漆黒の闇を振り払う。
極限の圧力が、モノリスの漆黒を容赦なく締め上げる。
だがその装甲は、傷一つ負わぬまま世界の芯へと突き進む。
加速。
限界点など、とうに置き去りにした。
外壁からは、ミシリ、ミシリと、これまでの旅で聞いたことのない不気味な軋み音が聞こえていた。
『銀色の逆四角錐』が構築する空間固定をもってしても、全重量が一点に集中するこの圧力は、無視できない負荷となっていた。
内核を構成する、世界そのものを凝縮したような超高密度。
ついにモノリスは先端を削られ、その長さを犠牲にしながらも、狂ったように加速を続ける。
一センチ四方が数トンに及ぶ「世界の重み」に、モノリスが擦り減っていく。
超加速。
「……ここからが、本番だ」
座席ごと壁に打ち付けられた男が、両手を突き出す。
鉄塊すら圧縮する男の力に、全方位から握りつぶされる金属音が鼓膜を襲う。
「ドリル」と「内核」の境界線で、ついに超高熱の電光を放つ最終決戦が始まった。
一ミリ、また一ミリ。モノリスは文字通り「削り殺されて」いく。
漆黒の柱がもはや「杭」ほどの長さになり、激しい振動がワンルームの床を突き上げて、男の膝を折らんとする。
作業台が飛び跳ねる震動。
消失まで、あと数センチ。その数センチが、果てしなく遠い。
最高加速度はとっくに過ぎた。
行き場を失った質量が悲鳴を上げてひび割れ、そこへ残された最後の一欠片が、男の咆哮と共に容赦なく喰らいつく。
「グ、グウッ……、グッ……」
男の目からは血が流れ、精神が焼き切れる、その直前。
モノリスの最後の一尖が――世界を穿ち抜くと同時に、光の中に融解した。
男が眼前の「限界」という名の塊を握りつぶした瞬間、機体の全出力が喪失した。
パリン、と。
空間そのものが割れるような、乾いた音が響く。
不意に訪れた、完全な浮遊感。
今までの高圧の地獄が嘘のように消え去り、「ワンルーム」は、光すら定義されていない虚無の空間へと、静かに滑り落ちていった。
そこは、世界の裏側。
巨大な「根」が脈動し、時間も質量も消失した終着の地。
男は、創造主が描き損ねたキャンバスの上に、一人放り出されたことを理解した。
男は再び、奇妙な浮遊感に包まれた。
先端を失ったワンルームは、これまでの岩石や金属とは異なる、生き物の腹の上のような、不気味に柔らかな地面に着陸した。
朦朧とする意識を正すと、男はモニターを見上げた。
外部ライトの照射角が、闇の奥底に眠る「世界の骨格」を暴き出した。
威厳に満ちていたはずの巨躯は、あちこちが抉れ、無残な断面を晒している。足元には赤黒い木屑が、腐り落ちた内臓のようにぶ厚く堆積していた。
モニターを凝視した。
蠢いている。
巨大な表皮にへばりつく、数え切れないほどの「影」。
それらは、まるで脈動する膿瘍のように、じりじりと、だが確実に聖域を侵食していた。
――チョッ、チョッ、チョッ。
指先を伝い、機体越しに「それ」が咀嚼する振動が伝わってきた気がした。




