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プライバシー侵害

男は鉄の箱のレバーを引くと、治療薬を全て吐き出す。


鋼鉄の扉を開けて現れた男の右腕は、腕が機能するだけの最低限の治療。


男の第一声に、労わりの色は微塵もなかった。


「――重傷者は乗れ、二人だけだ。一秒でも早く扉を閉めたい、早くしろ」


呆然と男を見上げた。


「……貴公、……生きて、いたか」


「早く乗せろ」


男は、自分の傷口から流れる血さえも無視して、淡々と指揮を執る。


彼は毒気を抜かれたように、重症の魔導士を廊下に運び込んだ。


「……すまない、助かった……。彼女を頼む」


突如、優しい竜の咆哮が響く。


王国軍が急いで上空を見上げると、翼を包帯で巻かれた白銀の飛竜。

その背に乗り、探検帽の羽根が風を切る。


ゴーレム。


ふらふらと飛竜がワンルームの屋根に着地する。

ゴーレムは治療鞄から治療薬を取り出し、飛竜に咥えさせると、その頭をコンコンと叩く。


――経過良好。


朦朧とした意識のベルカが、その姿を瞳に移すと、意識を失いそうになる。


負傷兵がベルカとカサンドラをワンルームの廊下に担ぎ込む。


ゴーレムは魔導士に気付くと、首を傾げた。


鞄から出てくるのは、銀色のアルミに包まれた清潔な布、透明な液体が入った小さな瓶。


蓋を開けると、ツンとした、鼻を突くような「清潔な匂い」が立ち込める。


竜騎士はぼんやりと、手際のいいゴーレムの手先を見つめていた。


サラサラと、治療の請求書を書き上げる。

それを竜騎士の額に張ろうとして、停止する。


白銀竜の瞳の記録を再生する。

自身よりも、主の救助を請う目線。


ゴーレムは請求書を静かに畳むと、魔導士の治療を始めた。


竜騎士は、部屋を眺めている。

この部屋は、全てが奇妙だった。


魔法の気配が全くない。

しかし、見たこともない魔道具でもない何かが音もなく働き、世界の理を無視して空を飛んでいる。


「巨大な怪物の胎内」に閉じ込められたような感覚だった。


治療を終えたゴーレムが、静かに立ち去る。

小さな恩人の背中に、短く感謝を伝えた。


「……ん、……ぁ」


魔導士が小さな声を漏らした。


「カサンドラ様、大丈夫ですか」


「……ベルカ? ……あら?」


カサンドラがゆっくりと、重そうに瞼を開ける。

その瞳が、最初にベルカを、そして次にこの「部屋」の全景を捉えた。


ベルカは彼女が困惑するのではないかと思った。

だが、カサンドラの反応は、その真逆だった。


「うふふ、……すごいのね。ここ、どこなの?」


うっとりとした表情で周囲を見渡した。


「依頼主の邸宅です」


「そういうことね。怖がらなくていいのよ。……この人はね、人間が怖いの。

……だから、自分だけの完璧な『箱庭』を作って、そこに閉じこもっているの」


カサンドラはふらつく足取りで立ち上がると、ワンルームへと続く「境界」の扉に手をかけた。


「あ、あの……! ま、待ってください! ここまでしか入るなと、言われて――」


ベルカが止める間もなかった。


「あら。そう言われると、尚更、見たくなっちゃうわね?」


カサンドラが細い指先を扉の隙間に滑り込ませた。

瞬間、彼女の瞳にドロリとした赤黒い魔力が宿る。


グラスが砕けるような音が響いた。

男が構築した「不可侵の境界」が、カサンドラの魔法によって強引にこじ開けられた。


「……なッ!?」




◇ ◇ ◇




男が椅子を蹴るようにして立ち上がった。

その瞳には、今まで見せたことのない激しい動揺、そして純粋な「殺意」が宿っていた。


男の聖域。


一ミリのノイズも許さないはずの「城」に、ドブネズミが土足で踏み込んできたかのような、そんな剥き出しの嫌悪。


カサンドラは悠然と部屋を見渡し、棚に整然と並ぶ無数の瓶を一瞥して、場違いに艶やかな笑みを浮かべた。


瓶の中では、あるはずのない空が渦を巻き、純白の森林が、根こそぎ奪われたかのように不自然な鮮やかさで固定されている。


それは、男が「世界」の一部を切り取り、生きたまま標本にした『世界の断片』だった。


「貴方なのね? ……本当に世界を壊そうとしてるのね」


彼女の視線が、色の抜けた灰色の空——かつてその瓶の中にあったはずの風景——と重なる。


「出ていけ」


男が手を翳す。


カサンドラの首飾りが意志を持つ蛇のように食い込み、彼女の細い喉を容赦なく締め上げる。


鋼鉄の軋む音が、彼女の華奢な頸椎を砕こうと無慈悲に牙を剥いた。


「……ッ、「魂」、必要なのでしょう? 「今は」やめましょう」


一瞬、驚く男。


カサンドラは苦悶の表情すら浮かべず、男のデスクから無造作に紙を一枚抜き取った。


彼女が人差し指を「カツッ」と押し付けると、灼きつくような異臭と共に、紙の上に赤黒い呪詛の文字が刻みつけられた。


漂う不浄な煙。


「続きは今度、探り合いは無し。……『二人きり』で、お話しましょう」


彼女は両手を上げて降参を示すように、ゆっくりと廊下へ戻る。


男は、手を降ろして能力を解除した。


だが、ゴーレムが駆け抜ける。


――ダンッ!


勢いよく飛びあがると、折り畳んだ請求書を広げ、「ベシンッ!」と彼女の額に張り付けた。


「……痛ッ!?、……何なの、あなた……」


ゴーレムは反応しない。


ごそごそと、鞄から竜の治療薬を取り出すと、竜騎士にだけ見える位置に置いた。


最後まで魔導士に反応することなく、ゴーレムは部屋に帰った。


「……気持ち悪いわね、不良個体? 変なものばかりね」


王家に現れた出自不明の魔導士が、クスクスと笑った。


ベルカは、静かに瓶を拾う。


「……っ」


瓶の底に貼られたメモには、白銀竜の個体差まで計算に入れた「翼膜の再生周期」と、それに基づいた精密な投薬指示が、小さな文字で綴られていた。


竜騎士は感情を殺して告げる。


「行きましょう、カサンドラ様」


魔導士の冷酷な瞳は、その瓶を見逃さなかった。


「……ええ、そうね。」


男の完璧な箱庭に、消えない汚れを付けられた。


無言で扉を激しく閉じると、残された「秘密の手紙」を睨みつけ、機体の加速レバーを限界まで叩き込んだ。


夕闇に包まれたギルド本部の前。


家路を急ぐ冒険者たちの頭上に、突如として巨大な鋼鉄のワンルームが舞い降りた。


風圧で塵が舞い、通行人が悲鳴を上げる中、その鋼鉄のワンルームは音もなく静止する。


広大なクレーターの上に、二割だけが帰還した。


「――到着だ。速やかに退去しろ」


扉が開くと同時に、男の冷徹な声が響く。


竜騎士が頭を下げる。

申し訳なさそうに部屋を見つめてから降り立った。


「……治療を頂き、ありがとうございます」


「礼は不要だ。勝手にサインしろ」


男は手で払うと、契約書を放り投げた。


ギルド長の慌てた声で話し始めるが、男には関係のないことだ。


――バァンッ


鋼鉄の扉の閉鎖音。


直後、鋼鉄のワンルームは凄まじい加速で垂直上昇し、夜の帳へと消えていった。


夜空を見上げて魔導士は不敵に笑った。


ようやく、静寂が戻る。

だが、男の胸中にあるのは達成感ではない。


男は、カサンドラがこじ開けた扉の、その指が触れた場所を見つめた。


無言で棚から白いスプレーボトルを手に取る。


カサンドラの指先が触れた扉の隙間、そして彼女の吐息が届いたであろう空間に向けて、容赦なく透明な霧を吹き付ける。


――シュッ。シュッシュッ。


鼻を突くアルコールの匂いが、女の残した不浄な魔力の残滓を、削ぎ落としていく。


ゴーレムもスプレーボトルを手にすると、玄関に向かった。


だがその日常は、静かには終われない。


始まる王族の追跡、その予感――


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