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昨日の記憶と、視線が交差する密かな熱

昨日の放課後の出来事は、間違いなく俺のキャパシティを超えていた。


密閉されたクローゼットの暗闇。

伝わってきた長谷川の柔らかく温かい体温。

首元にかかる小さな吐息と、甘い香水の香り。


(……ダメだ、思い出すだけで頭がどうにかなりそうになる……)


火曜日。

朝の登校風景の中、俺——藤野葵(ふじの あおい)は、自分の頬を両手で軽く叩きながら下駄箱へと向かっていた。


靴を履き替え、教室の扉を開ける。

そこには、いつものように窓際の席で優雅に読書をしている長谷川凛(はせがわ りん)の姿があった。


凛とした美しい横顔。

隙のない制服の着こなし。

クラスの誰もが近寄りがたいと感じる『氷山の副会長』そのもののオーラ。


……だが、俺が教室に入ってきた瞬間。


長谷川の身体がピクッと跳ねた。


彼女は読んでいた本をパタンと急いで閉じると、慌てて視線を明後日の方向へと逸らしたのだ。


(……明らかに意識してる……!)


よく見ると、彼女の白い耳たぶが、遠目からでもはっきりと分かるほど真っ赤に染まっている。


俺は必死に顔のニヤけを噛み殺しながら自分の席につき、荷物を整理し始めた。


斜め前の長谷川は、背中をピンと伸ばしたまま微動だにしない。

……しかし、彼女の手は教科書を捲るフリをしながら、何度も指先が震えていた。


◇


朝のホームルームが終わり、一時間目の授業の準備時間。


「なあ藤野ー、今日の数学の課題って何ページだっけ?」


「ん? あー、34ページから36ページまでだよ」


「サンキュ! 助かったわ!」


友達の佐藤とそんな会話を交わしていると、ふと強い視線を感じた。


視線の先を辿ると、長谷川がチラリとこちらを振り返り、俺と佐藤のやり取りをじーっと見つめていたのだ。


俺と目が合った瞬間——。


「——っ!?」


長谷川はハッと息を呑み、まるで悪いことでも見つかったかのように勢いよく前を向き直った。

その勢いがあまりにも強すぎて、机の上のペンケースがカタッと音を立てるほどだった。


(……可愛すぎるだろ、まじで)


昨日の密着事件以来、彼女の中で俺に対する意識が段違いに跳ね上がっているのが、手に取るように分かる。


長谷川はそっと右手で自分の右耳たぶを触ろうとした——が。


途中で「……やっぱり恥ずかしい」とでも言うように手が止まり、そのまま頭を抱えるように伏せてしまった。


(合図すら恥ずかしくて送れないのか……)


学校では「氷の孤高」を貫く彼女が、自分ひとりの世界で勝手にテンパっている姿は、愛おしさの極みだった。


◇


お昼休み。


購買で買ってきた焼きそばパンを食べ終え、廊下の手洗い場で手を洗っていた時のことだ。


「あ……」


水を止めてハンカチで手を拭いていると、向かい側から生徒会の資料を抱えた長谷川が歩いてきた。


廊下にはちょうど他の生徒がおらず、二人きりの空間。


長谷川は俺の姿に気づくと、一瞬足を止め、逃げ出そうか進もうか葛藤するようにその場でモジモジし始めた。


「……長谷川さん」


「っ……あ、葵……」


彼女は資料を抱え直して胸元を隠すようにしながら、上目遣いで俺を伺ってくる。

その瞳は潤んでいて、熟したイチゴのように頬が朱に染まっていた。


「……あの、昨日のこと……」


「え?」


「……昨日の、クローゼットの中……覚えているかしら……?」


「……忘れるわけないよ。すごくドキドキしたし」


「〜〜〜っっ! だ、誰も忘れてなんて言ってないでしょ笨蛋(バカ)葵……っ!」


顔を真っ赤にして小声で抗議してくる長谷川。

周りに人がいないことを確認しながら、彼女はそっと一歩近づいてきた。


「……あのね」


「うん?」


「……今日……放課後、お店に行っても……いいかしら……?」


いつもなら「行ってあげるわ」と強がる彼女が、今日は消え入りそうな声で、控えめに許可を求めてきたのだ。


上着の袖を、指先でちょこんと掴みながら。


「もちろん。長谷川さんが来ないと、俺の試作品を食べてくれる人がいなくて困るからね」


「……ほんと……?」


「本当だよ。今日のスイーツも、ちゃんと準備してあるから」


「……っ……♡」


瞬間、長谷川の顔にパッと華やかな笑みが咲いた。

まるで氷が溶けて、春の陽光が差し込んだかのような、破壊力抜群の笑顔。


「……うん。楽しみにしてる……!」


長谷川は嬉しそうに呟くと、パタパタと小走りで生徒会室の方へと去っていった。


(……くそ、心臓が持たん……!)


廊下で一人取り残された俺は、胸を押さえてその場にしゃがみ込みそうになるのを必死で耐えるのだった。


◇


そして放課後。


實家『パティスリー・フジノ』の勝手口。


今日の試作品である『甘熟柿とほうじ茶の和風パフェ』を仕込み終えた俺の元へ、コンコンとノック音が響く。


扉を開けると、そこには待ってましたと言わんばかりの長谷川が立っていた。


「お疲れ様、長谷川さん。どうぞ」


「……失礼するわ」


部屋に入るなり、長谷川は深々と息を吐き出すと、昨日のようなパニックはすっかり消え去り、安堵した表情でソファへと座った。


「……やっぱり、ここに来ると安心するわ……」


「学校ではずっと緊張してるもんね。はい、今日の試作品だよ」


パフェグラスをテーブルに置くと、長谷川の瞳がキラキラと輝き始める。


「……和栗の次は、柿とほうじ茶……? 葵のセンス、本当にすごいのね……」


「喜んでもらえて嬉しいよ。冷めないうちに……じゃなくて、溶けないうちにどうぞ」


長谷川はスプーンを手に取ると、ほうじ茶アイスと柿のコンポートをすくって口へ運んだ。


「……んん……っ♡」


うっとりと瞳を閉じ、幸福感に満たされる長谷川。


「……美味しい……。ほうじ茶の香ばしさと、柿の優しい甘さが溶け合って……最高……」


「よかった。昨日のハプニングのお詫びも込めて、気合を入れて作ったんだ」


俺がそう言うと、長谷川はスプーンを止め、チラリと俺を見つめてきた。


「……お詫びなんて、いらないのに」


「え?」


「……昨日……葵が守ってくれたから、嬉しかったんだから……。お詫びじゃなくて、ご褒美……として受け取るわ」


そう言って照れくさそうに笑う長谷川。


お互いに気持ちを言葉で確かめ合ったわけではない。

恋人という関係へと急ぐ必要もない。


ただ、ハプニングを一つ乗り越えるたびに、二人の間にある秘密の絆は、より深まり、より甘く、かけがえのないものへと変化していくのだった。


(第8話 おわり)

お読みいただきありがとうございました!


第8話では、昨日の密着事件による「学校での後遺症」と、素直な気持ちが溢れ出す長谷川さんの甘い表情をお届けしました!

二人の距離感がゆっくりと、でも確実に縮まっていく様子を楽しんでいただけましたでしょうか?


【読者の皆様へお願い】

「照れまくる長谷川さんが可愛すぎる!」「廊下でのやり取りにキュン死した!」と思っていただけましたら、

ページ下部の**【ブックマーク追加】や【評価(★★★★★)】**をいただけますと、毎日の執筆の大きな大きな力になります!


次回第9話は**「期末テストの勉強会? 二人っきりの図書館と放課後居残りで……」**をお送りする予定です。

ぜひブックマークしてお待ちください!

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