教室での視線と、二人だけの合図
翌日。
朝のホームルームが終わった直後の教室は、相変わらず賑やかだった。
「長谷川さん、今日の放課後って生徒会室にいる? 提出書類のことで相談が……」
「書類なら、すでに私のデスクへ提出してあります。確認してください」
「あ、うん……ありがとう……」
今朝も絶好調で冷たい、氷山の副会長・長谷川凛。
声をかけた男子生徒は、氷点下の塩対応に射殺されてすごすごと引き下がっていった。
(相変わらず容赦ないな……)
自分の席で教科書を整理しながら、俺——藤野葵は心の中で苦笑する。
彼女は誰に対しても一定の距離を保ち、無駄な会話は一切しない。
それが『長谷川凛』という少女の鉄壁の日常だった。
だが——。
ふと、長谷川がこちらに背を向けたまま、右手の指先で小さく自分の耳たぶを触った。
(……あ)
それは、昨日の放課後に二人で決めた『秘密の合図』だった。
『が、学校で話しかけるのは目立つから無理よ!』
『じゃあ、何か合図を決めようか』
『……じゃあ、耳を触ったら……今日の放課後も、行くからね……っていう意味にするわ』
耳たぶをちょんちょんと二回引っ張る。
それは、『今日の放課後も、お前の作ってきたスイーツを食べに行ってやる』という、彼女からの密かな合図だった。
(……分かりやすすぎるだろ)
背中越しでも伝わってくる、どこか緊張した空気。
よく見ると、彼女の白い耳たぶがほんのりと赤く染まっている。
俺は周囲に気づかれないよう、小さく咳払いを一つ。
ペンをカチカチと二回鳴らして、『了解』の返信を送った。
すると、長谷川の肩がピクッと跳ねた。
彼女はチラリとだけ視線をこちらに向け——ほんの一瞬、満足そうに瞳を揺らしてから、すぐにいつもの冷淡な表情に戻った。
(……くそ、可愛すぎる)
クラスの誰も気づいていない。
みんなが「近寄りがたい氷山」と恐れている少女が、今、俺だけに放課後の約束を打診してきたのだ。
「藤野ー、次の授業の移動教室、一緒に行こうぜ」
「おう、今行く」
友達に声をかけられ、俺は席を立つ。
すれ違いざま、長谷川のデスクの横を通った。
彼女は教科書に視線を落としたまま、微動だにしない。
冷酷で、完璧な副会長の顔。
……けれど、俺だけに聞こえるような小さな小さな声で。
「……今日の……楽しみにしてるから」
唇すらほとんど動かさずに呟かれた、甘すぎる一言。
すれ違った瞬間、胸の奧がキュッと締め付けられた。
(……頼むから、学校でそんな顔させないでくれ……心臓が持たない)
俺は必死に顔のニヤけを噛み殺しながら、教室を後にしたのだった。
お読みいただきありがとうございました!
クラスの目の前で繰り広げられる、二人だけの秘密の合図はいかがでしたでしょうか?
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