聖夜の特別なケーキと、解け切った氷の熱
十二月二十五日。聖誕節當夜。
洋菓子店『パティスリー・フジノ』にとって、一年で最も忙しく、息つく暇もない大激戰の一日が、ようやく終わりを告げようとしていた。
ショーケースにズラリと並んでいた聖誕限定ケーキは全て完売。
外の通りは、色とりどりのイルミネーションと舞い散る粉雪に包まれ、聖夜の静寂が少しずつ街を覆い始めていた。
「ふぅ……なんとか全部売り切れたな……」
俺——藤野葵は、エプロンで汗を拭いながら、厨房の片付けを終えた。
疲れはピークに達していたが、俺の心臓は朝からずっと心地よい緊張感で跳ね続けていた。
(今日の約束……長谷川さん、来てくれるよな……)
一週間前の初雪の日、街のイルミネーションの下で交わした『聖誕節當天,也讓我吃試作品』という密かな約束。
時計の針は、すでに夜の八時半を回っていた。
さすがに遅くなりすぎただろうか、と少し不安がよぎったその時——。
コンコン、コンコン。
勝手口の扉から、いつもより少し小さく、控えめなノック音が響いた。
◇
俺が急いで鍵を開けて扉を開けると、そこには帽子を深くかぶり、真っ白なコートにマフラーを埋めた長谷川凛が立っていた。
「……お疲れ様、葵。遅くなってしまって……ごめんなさい」
「長谷川さん……! ううん、全然大丈夫だよ。来てくれて嬉しい」
長谷川はすっと勝手口から中に入ると、パタンと扉が閉まった瞬間、小さく吐息を漏らした。
「ふはぁぁ……っ……生徒会の年度末資料の整理が思ったより長引いちゃって……約束の時間に遅れるかと思って、走ってきたの……」
よく見ると、彼女の白い頬は走ってきたせいか、ほんのりと朱に染まり、息が少し乱れていた。
マフラーの隙間から覗く耳たぶも、寒さと熱気で真っ赤になっている。
「そんなに急いでくれたんだ。寒かったでしょ、入って入って」
俺が彼女を厨房の奥の小さな休憩室へと案内すると、長谷川はソファに腰を下ろし、そっとマフラーと帽子を外した。
艶やかな黒髪がサラリと肩にこぼれ落ちる。
私服姿に冬のコートを纏った彼女は、学校の「氷山の副会長」とはまるで別人のように、儚く、そして息を飲んでしまうほど美しかった。
「……葵、今日ずっとお店の手伝いだったんでしょ? すごく大変だったんじゃないかしら……」
「忙しかったけど、すごくやりがいがあったよ。それに……長谷川さんが来ると思って、とっておきのケーキを仕込んでおいたんだ」
「……私だけの……特別……?」
長谷川の瞳が、まるで子供のようにキラキラと輝き始めた。
その潤んだ瞳に見つめられ、俺の胸がドクンと激しく跳ねる。
「ちょっと待っててね、今持ってくるから」
◇
俺が冷蔵庫から取り出し、テーブルの上に置いたのは——。
真っ白な粉雪のようなシュガーパウダーが散らされた、特製の『苺とホワイトチョコのプレミアム・ミルフィーユ』だった。
香ばしく焼き上げられた幾重にも重なるパイ生地の間には、濃厚なホワイトチョコカスタードと、甘酸っぱい真赤なイチゴが贅沢に挟まれている。
「……わぁ……っ……!」
長谷川は両手を口元に当て、感嘆の声を漏らした。
「これ……今日お店で売っていたクリスマスケーキとも違うの……?」
「うん。長谷川さんのために、個人的に作った特別仕様なんだ。ホワイトチョコの甘さとイチゴの酸味が、きっと長谷川さんの好みに合うと思って」
「……私のためだけの……」
長谷川は噛みしめるように呟くと、ゆっくりとフォークを手に取った。
ザクッ、と心地よい音を立ててパイ生地がカットされる。
彼女は小さく一口サイズにすくうと、そっと口へと運んだ。
「……んん……っ♡」
瞬間、長谷川の瞳がうっとりと細められた。
頬がカッと朱に染まり、両手が自然と自分の頬に添えられる。
一口食べるごとに、彼女の防衛線が完全に崩れ去り、とろけるような笑みがその美しい顔全体に広がっていった。
「……美味しい……っ。パイが信じられないくらいサクサクで……ホワイトチョコのコクが……こんなの、反則よ……」
「ふふ、喜んでもらえてよかった。パイ生地の折込回数を、いつもより多くしてサクサク感を強調したんだ」
「……ずるい……。葵のお菓子を食べると、私……どんどん駄目になっていく気がするわ……」
幸せそうにミルフィーユを味わう長谷川。
学校での冷酷で無敵な副会長の姿はどこにもない。
いま目の前にいるのは、俺の作ったスイーツ一口で完全に骨抜きにされ、俺だけに無防備な素顔を見せてくれる愛おしい少女だけだった。
◇
ミルフィーユを綺麗に平らげた後、長谷川は温かい紅茶を飲みながら、静かに外の景色を眺めていた。
小窓の向こうでは、静かに雪が降り積もっている。
部屋の中には、二人の静かな息遣いと、小さな時計の針の音だけが響いていた。
「……ねえ、葵」
「ん?」
「……私ね。ずっと、誰かと深く関わるのが怖かったの」
長谷川はカップを両手で包み込んだまま、ぽつりと語り始めた。
「期待されたり、勝手に『氷山の副会長』っていうイメージを押し付けられたり……。だから、誰も寄せ付けないように、ずっと冷たいフリをしてた」
「長谷川さん……」
「……でもね。葵は違ったわ」
長谷川がゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、今まで見せたどんな表情よりも深く、温かく、そして切ないほどの愛おしさが宿っていた。
「……私に無理な期待もせず、ただ美味しそうにお菓子を食べる私を、優しく笑って見ていてくれた……。ここに来る時間だけが、私にとって唯一……本当の自分でいられる場所だったの」
長谷川はそっと手を伸ばし、俺の服の袖をギュッと握りしめた。
その力加減は、いつもよりずっと強く、そして震えていた。
「……だからね。私……葵のことが……」
「——っ!」
息が止まる。
言葉の意味を理解した瞬間、俺の全身の血が激しく巡り始めた。
お互いの視線が、逃げ場のない距離で絡み合う。
彼女の甘い吐息と、熟したイチゴのような耳たぶ。
あと数センチ顔を近づければ、唇が触れ合ってしまいそうなほど至近距離だった。
(……言いたい……俺も、長谷川さんのことが……)
けれど、長谷川は握りしめた袖をさらに強く引き寄せると、照れくさそうに、でも必死に自分の顔を俺の胸元に預けてきた。
「……っ……言わない……まだ、ちゃんと言わないわ……笨蛋葵……」
「え……?」
「……だって……こんな素敵なクリスマスに、簡単に伝えちゃったら……勿体無いじゃない……」
俺の胸の中で、小さく呟く長谷川。
彼女の心臓も、俺と同じくらい激しく、狂おしいリズムで打っていた。
「……これからも……ずっと私のために……美味しいお菓子、作ってくれる……?」
「……もちろん。長谷川さんが望むなら、一生でも作るよ」
「……ふふ。じゃあ、合格ね……」
長谷川は俺の胸の中で嬉しそうに微笑むと、さらにギュッと抱きついてきた。
告白という形式的な言葉は、まだ交わしていない。
戀人という関係へ踏み出すには、あとほんの一歩の勇気が必要なのかもしれない。
けれど、聖夜の雪が静かに街を包み込むように。
二人の間に紡がれた『秘密の協定』は、もう誰にも引き裂けないほど深く、甘く、確立されたものになっていたのだった。
(第12話 おわり)
お読みいただきありがとうございました!
第12話では、聖誕節當夜の特別甜點與告白前夕極致心動的「告白未遂(?)甘々展開」をお届けしました!
長谷川さんの本音と、二人の解け切った距離感を楽しんでいただけましたでしょうか?
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次回第13話は**「初詣與三日連休!私服和服姿の長谷川さんと、新年の秘密デート」**をお送りする予定です。
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