第96話「黄金のトウキビと、行く夏、来る秋」
お盆が過ぎると、北海道の風は明確に色を変える。
日差しはまだ強くとも、日陰に入ればスッと汗が引く涼しさ。短い夏の終わりと、忍び寄る秋を告げる乾いた風だ。
今日の山悟荘の縁側は、人口密度――いや、「異種族密度」が極めて高かった。
お隣の佐藤さんが、お土産を持ってふらりと遊びに来てくれていたのだ。
「江別までちょっとドライブに行ってきたのよ。あそこの農場の濃厚なアイスクリームと、近くの八百屋さんで茹でたてのトウキビが売ってたから、皆さんにね」
野際陽子を彷彿とさせる、上品で知的な72歳の佐藤さん。彼女が優雅な手つきで差し出したのは、江別市にある某農場のミルクアイスと、塩加減が絶妙な熱々の「ゆでトウキビ」だ。
黄金色に輝く宝石( トウキビ )を見て、住人たちが色めき立つ。
そして、縁側での異種族による大宴会が始まった。
縁側には、私、大家さん、佐藤さん。
そして私の隣には、ようやく愛用のオレンジ迷彩ダウンを脱ぎ捨てて「完全夏仕様(素っ裸)」になったビリー君が座っている。彼の美しいアンズ色の羽毛が、秋口の風にサラサラとなびいていた。
足元には、おこぼれを待つクロオオアリの清掃部隊。
テーブルの上には、アダンソン先輩と彼女が率いる101匹のハエトリグモ部隊。
さらに庭の物干し竿には、スズメのチュンちゃん夫婦と、ビリー君のスパルタ特訓で逞しくなった若鳥たち、そして最近巣立ったばかりの2羽がズラリと並んでいる。
「さあ、冷めないうちにみんなでお上がりなさいな」
佐藤さんの優しい号令で、ビリー君は1本のトウキビを両手のハンド・クローでしっかりと握りしめると、肉食恐竜らしからぬ器用な技を見せた。
ガブリと無骨に齧り付くのではない。
鋭い前歯をピンセットのように使い、1列ずつ、ポロポロと綺麗に粒だけを外して食べていくのだ。
シャク、シャク、シャク、シャク……。
まるでハーモニカを吹くように、正確に1列を食べ終えると、次の列へ。芯には薄皮1枚残らない、恐るべき完璧な食べっぷりだ。
「Pikobabool……( 甘い……極上だぜ…… )」
ビリー君がつぶらな黒い目を細める。
ポロリとこぼれ落ちた胚芽の部分は、足元のアリたちがせっせと巣へ運び出し、スズメたちも交互に飛んできては、私たちが差し出すアイスクリームのスプーンを嬉しそうにつついている。
「あらあら、ビリーちゃんはお行儀がいいわねぇ。恐竜さんの手は本当に器用だこと」
佐藤さんはニコニコと、孫を愛でるようにビリー君の羽毛を撫でた。
この町内会の人々は、ビリー君が本物の恐竜のヴェロキラプトルであることを知っている。佐藤さんもその上で、ごく自然に接してくれるのだ。彼女の底知れぬ胆力には、55歳の私でも頭が下がる。
「Vamoose?( エベツってどこだい? )」
ビリー君が、口の周りをアイスで白く汚しながら私の袖を引く。どうやら「そんな美味いものがある場所なら、僕ちゃんも狩りに行きたい」と言っているらしい。
「江別は札幌のすぐ隣だよ。石狩平野のど真ん中だ。とはいってもこっち側とは反対の隣だ、ガハハ」
私は笑って、ビリー君が完食したトウキビの芯を受け取った。
「今回は佐藤さんのお土産だけど、もう少し涼しくなったら連れて行ってやるよ。次は石狩・空知方面への小冒険だな」
「Vamoose!( 約束だぜ! 忘れるなよ! )」
ビリー君は嬉しそうに太い尻尾を振り、最後の1粒を口に放り込もうとした――その瞬間。
横から飛んできたチュンちゃんが、サッとその1粒を掠め取って飛び去った。
ビリー君はポカンと口を開け、それから悔しそうに「僕ちゃんのトウキビィ!」とばかりに地団駄を踏んだ。縁側の皆がドッと笑う。
空を見上げると、高いところに秋の訪れを告げる筋雲が出ている。季節は確実に秋へと向かっているのだ。
美味しいものを食べ、種族を超えた仲間と笑い合う。
未知の地底湖や鍾乳洞の発見も55歳の血が沸き立つロマンだったが、こういう何気ない穏やかな時間こそが、私にとって一番の宝物なのかもしれない。五十肩の痛みも、少しだけ和らぐ気がする。
夜になって、地下40mの白亜紀ジオ・フロントでは、ひとつの大きな結実の時を迎えていた。
ビリー君が隣の佐藤さんのために植え、毎日せっせと世話をしてきたザクロの木。大家さんの特殊活性剤「ミノリ・マックス(時空短縮カスタム)」のおかげで、わずか1年でルビーのように赤く輝く立派な実をつけたのだ。
ビリー君は、ハンド・クローで傷つけないようにそっと実をもぎ取ると、傍らに用意していた「特製のフルーツバスケット」にうやうやしく収めた。
それはただの籠ではない。この日のために、アダンソン先輩と彼女が率いる101匹のハエトリグモ警備隊( チビアダンソン )が、強靭な銀色のクモの糸を精巧に編み上げて作った、特注のシルク・バスケットだ。
「じゃあ、佐藤さんに持っていこうか」
私が声を掛けると、バスケットを抱えるビリー君と籠を作ったクモたちは、何故かやたらと誇らしげに、任務を完遂した兵士のように胸を張って白亜紀ジオ・フロントを後にした。
地上に上がり、縁側から庭に出ると、昼間の騒ぎが嘘のように静かな世界が広がっていた。隣の佐藤さんの呼び鈴の音が静かな闇夜にこだまする。
出迎えてくれた佐藤さんに向かって、ビリー君は銀色に輝くクモの糸のバスケットに盛られた、真っ赤なザクロを差し出し「Vamoose♪( マダム、約束のルビーをお持ちしましたぜ♪ )」というような顔をしている。
「まあ……! ザクロを育てていらっしゃるとは聞いていましたけれど、なんて綺麗なんでしょう。それにこのお籠、とっても素敵ね。今、甘酒が出来上がったところですのよ、よかったらお上がりなさいな」
佐藤さんは目を細め、本当に嬉しそうに微笑んだ。ビリー君の不器用な優しさと、小さなクモたちの1年がかりの努力が報われた瞬間だった。ビリー君は照れくさそうに、オレンジ色の羽毛をふくらませて「Vamoose」と鼻を鳴らしている。
それはそれは平和な夜だった。
――だが、私たちは、まだ知らなかった。
遥か足元の地底で、新たな物語が静かに動き出していることを。
地下40m。『サッポロカイギュウ広場』。
誰もいないその広場の片隅にひっそりと佇む、古代の石の環――「トロゲート」。
かつて、地下40mから地上の灯籠へと繋がる「一方通行の非常脱出路」として機能していたそのオーパーツが、誰の操作も受けていないのに、微かに、しかし力強く脈動を始めていた。
ブゥン……ブゥン……。
飴色の化石の柱が見下ろす中、石の表面に刻まれた幾何学模様が、淡い青色に発光し始める。
それは、新たな季節と、新たな波乱の幕開けを告げる、静かな鼓動だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。これにて、第8章「山悟荘のエピファニー(顕現)」は完結となります。
次回、第9章でまた皆様とお会いできるのを楽しみにしております。
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