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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第8章:山悟荘のエピファニー
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第95話「10畳の鍾乳洞と、消えゆく命の灯火」

「地底……それは最後のフロンティア。

これは、大家さんの古民家『山悟荘(さんごそう)』が、白亜紀の恐竜( クルー)と共に、札幌市南区壱拾六軒町内会《じゅうろっけんちょうないかい》の地下を掘り進む、終わりのない拡張の物語である。

任務は、未知の地層の探索、新しい生命と文明の発見、そして、誰も見たことのない深淵へと、ハンドクローで突き進むことである……」


(チャ〜チャチャチャチャ〜♪ チャチャチャチャ〜〜♪ チャチャチャチャン! チャン! チャン! チャッチャ〜〜♪)


脳内で鳴り響く壮大なテーマ曲と共に、我々はさらなる深淵を目指していた。


水と言えば、札幌市民の喉を潤す水道水の約8割は、ここ南区にある「白川(しらいかわ)浄水場」で作られているのをご存じだろうか。


「白川」と書いて「しらいかわ」と読む。その由来は、豊平川に注ぎ込む「白い川」があったからだ。かつてアイヌ語や開拓者の間で「シロイカワ」と呼ばれていたのが、徐々に「シライカワ」に訛っていったのだそうな。


白川(しらいかわ)浄水場の水源は、定山渓(じょうざんけい)ダムと豊平峡(ほうへいきょう)ダムである。特に豊平峡(ほうへいきょう)ダムは紅葉の名所としても知られ、その雄大な景色と放水の迫力は圧巻だ。


いつかビリー君を連れて遊びに行きたい場所の一つでもある。


そんな地上のワイルドな水源から、我々は今、さらにディープな地下水源へと足を踏み入れようとしていた。


地下100メートル。


前回発見した「地底湖」からさらに奥へと伸びる、未踏の空間だ。


今日の探検は実に快適である。


なぜなら、私の前を歩くオレンジ色の相棒が、「歩く高輝度ランタン」と化しているからだ。


地底湖の謎の水をガブ飲みしてから、ちょうど一週間。ビリー君の発光現象はピークを迎え、満充電の大型犬サイズのエメラルドグリーンが、漆黒の坑道を真昼のように明るく照らしている。


ふと、ビリー君がピタリと足を止め、短い鼻をヒクつかせた。


湿った空気の流れがある。


私たちが岩の隙間をすり抜けると、そこには思いがけない空間が広がっていた。


「これは……鍾乳洞か?」


広さはわずか10畳ほど。


以前訪れた当麻町の全長135メートルという壮大(?)な「当麻鍾乳洞《とうましょうにゅうどう》」に比べれば箱庭のようなサイズだが、天井は高く、底は見えないほど深い。


壁一面が白っぽい石灰岩で覆われ、天井からは鍾乳石が氷柱のように垂れ下がっている。


ポチャン、ポチャン……と、気の遠くなるような間隔で水滴の落ちる音が響く。


札幌の地下にこんな場所があったとは。これらが形成されるには数万年、いや数百万年の歳月がかかっているはずだ。


この深さでは一番下まで降りるのは無理そうだが、足元に小さな水たまりがあった。


一見すると行き止まりのようだが、水面が微かに揺らいでいる。おそらく岩盤の隙間を通って、さらに奥の巨大な水脈へと繋がっているのだろう。


「Vamoose(ヴァムース)?(アキラ、あれを見てみなよ)」


ビリー君が顎でしゃくった先を見て、私は息を呑んだ。


澄み切った水の中に、体長2センチほどの「小さな魚」が泳いでいたのだ。


しかも、彼らは今のビリー君よりかなり控えめながら、淡く緑色の光を帯びている。


「まさか……遺存種、レリックか?」


私は、アメリカのデスバレーに生息する「デビルズホールパプフィッシュ」の存在を思い出した。


説明しよう!


デビルズホールパプフィッシュとは、灼熱の砂漠にある「デビルズホール」という極めて限られた水域に生息する、絶滅危惧種の小魚だ。一説には氷河期から数万年もの間、孤立した過酷な環境で命を繋いできたとも言われ、「進化の奇跡」とも呼ばれている。


目の前にいるこの小さな古代魚も同じかもしれない。


かつて北海道の一部が海だった時代、あるいは大きな湖だった時代に地下へ取り残され、この暗黒の洞窟の中で、あの「発光微生物」を食べながら独自の進化を遂げたに違いない。


「す、すごいぞ! これは世紀の発見だ!」


私の中の「収集家魂」に、真っ赤な火がついた。


興奮のあまり、私は腰のベルトからサンプル用のクリアケースを取り出し、水面へと身を乗り出した。


とにかく捕獲して、大家さんにDNAを分析してもらわなくては。もしかしたら新種として歴史に私の名前が残るかもしれない。


「アキラ・シマー・フィッシュ」なんてどうだ? 悪くない。


私の太い指が、水面に触れようとした、その時だ。


ガシッ!


ビリー君の、緑色に怪しく輝く強靭な前脚が、私の行く手を遮った。


「Namoose(ナムース)。(やめとけ、キャプテン)」


ビリー君は、私を静かに見下ろしていた。


その光る緑の顔は、かの某エンタープライズ号のキャプテンの如く、神々しいほど厳格だった。


(我々の『最優先指令』、プライム・ディレクティブを忘れたのか? Mr.アキラ)


……ハッとした。


前回、マリモモドキに触れようとした彼を、「未開の生態系に干渉してはならない」と偉そうに諭したのは、他ならぬ私自身ではないか。


私は新発見の功名心に目が眩み、自らの誓いをあっさりと破るところだった。


「……すまない、ビリー君。君の言う通りだ」


私が大いに反省して一歩下がると、ビリー君は「分かればいいんだぜ」と満足げに深く頷いた。


と、その時である。


フッ……。


ビリー君の全身から放たれていたエメラルドの光が、唐突に瞬いた。


そして、スーッと音もなく、その輝きが急速に薄れていく。


地底湖の水を飲んでから一週間。天然の蛍光コーティングの効果時間が、今まさに切れたのだ。


「Vamoose(ヴァムース)!?(な、なんだ!? 僕ちゃんのパワーが!)」


ビリー君が慌てて自分の手を見る。輝きがみるみるうちに消えていく。


彼は完全にパニックに陥った。


どうやら彼にとって、この光は単なる発光現象ではなく、「パワーアップした自分の最強の生命力そのもの」だと思い込んでいた節がある。


それが消えるということは、つまり。


「Namoose(ナムース)……(アキラ、助けてくれ、僕ちゃんはもうダメだ……白亜紀のお迎えが来たぜ……)」


鍾乳洞の暗闇が深まるにつれ、ビリー君の情けない声も、蚊の鳴くように弱々しく小さくなっていく。


そして、最後の燐光がフッと消え、完全な静寂と、漆黒の暗黒が訪れた。


しーん。


いや、厳密には漆黒というわけではない。


足元では先ほど勝手に「アキラ・シマー・フィッシュ」と命名したあの小さな魚が、ぽわ〜っと光っているのだ。


よく観察してみると、青い体に内側から緑のかすかな光が混ざり合い、ターコイズブルーに見える。


隣からはガタガタガタ……と、ビリー君が激しく震えている気配がする。


やれやれ。


私は溜息をつき、暗闇の中で苦笑すると、自分のヘルメットに手を伸ばした。


心配無用だ。私たちは火と電気を操る文明人なのだから。


カチッ。


私のヘッドライトが、鋭いビームのように鍾乳洞の闇を切り裂いた。


続いて、私はしゃがみ込んでいるビリー君の頭に装着されていた、彼のヘッドライトのスイッチも入れてやった。


パッ!


LEDの強烈な白色光が点灯する。


明るさを取り戻した空間で、ビリー君は「えっ?」という顔をして自分の手を裏返して見つめ、ピンピンしている頑丈な体を確認し、私の顔をポカンと見た。


「ただの電池切れだよ、ビリー君。君の命じゃなくて、発光オイルの効果が切れたんだろうな」


「……Vamoose(ヴァムース)……(……紛らわしいぜ、まったく)」


ビリー君は「別にビビってねぇし」とばかりに、バツが悪そうにプイッと鼻を鳴らした。


私たちは、水たまりで上品に青く光る古代魚たちに静かに別れを告げ、人工の光を頼りに家路についた。


どんなに美しい自然の光が素晴らしくても、やっぱり最後はパナソニックのエボルタが一番頼りになるな、と私は現実的な思考で頷いたのだった。


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