第93話「緑に輝く地底湖と、未知なる球体文明」
「地底……それは最後のフロンティア。
これは、大家さんの古民家『山悟荘』が、白亜紀の恐竜( クルー)と共に、札幌市南区壱拾六軒町内会の地下を掘り進む、終わりのない拡張の物語である。
任務は、未知の地層の探索、新しい生命と文明の発見、そして、誰も見たことのない深淵へと、ハンド・クローで突き進むことである……」
(チャ〜チャチャチャチャ〜♪ チャチャチャチャ〜〜♪ チャチャチャチャン! チャン! チャン! チャッチャ〜〜♪)
脳内で某・宇宙大作戦の壮大なテーマ曲を再生しながら、私は地下40mの『サッポロカイギュウ広場』にある、地底へのエレベーター前で最終チェックを行っていた。
大家さんが三吉くんで掘り抜いた地下100mの空間。そこから吹き上げる風の中には、ビリー君の鋭敏な嗅覚が捉えた「微かな水音」と「奇妙な気配」が混じっている。
ハエトリグモのアダンソン先輩を肩に乗せた私とビリー君は、完成したばかりの金属製のケージに乗り込んだ。
私のヘルメットにはアクションカムを取り付け、先輩の背中には、私が夜なべして極小基板から組み上げた超小型ウェアラブルカメラ(通称:スパイダー・カム)を特製ハーネスで括り付けてある。
さらにこのカムは、大家さん特製の『極小偵察ドローン』の操縦・連動ユニットも兼ねていた。先輩の8つの目と鋭敏な触肢の動きをトレースし、空中のドローンを自在に操って暗闇の3Dマッピングをリアルタイムで作成する、まさにクモ専用のAWACS( 早期警戒管制機)システムである。探検の記録と索敵体制は万全だ。
私は、エレベーターに備え付けられた「船の舵」のような巨大な真鍮製のハンドルをガシッと握り、極太の腕力( マッスル・エンジン)で慎重に回し始めた。歯車が滑らかに噛み合い、我々はゆっくりと奈落へ降下していく。
到着した地下100m地点は、20平方メートルほどの広さのドーム状の空間だった。
深部とは思えないほど爽やかな空気が流れている。間違いなく、どこかに通じる巨大な風の道があるはずだ。
私たちはこのスペースを『前線基地( ベースキャンプ)』と定め、壁面をくまなく調査した。すると、ビリー君が「ここ通れますよ」と言わんばかりの、岩盤の不自然な隙間を発見したのだ。
転がる大きな岩を2人でどかし、邪魔になる最後の岩をビリー君が強靭な足腰で押し退けた瞬間。
そこには、信じられない光景が広がっていた。
巨大な地底湖だ。
その漆黒の水面下に、無数の『緑色のほのかな光』が浮き上がっていた。
「Vamoose……( こいつは……グリーン・ランタンの力の源か!? 頼むから僕ちゃんのスーツを緑色のCGにはしないでくれよ!)」
昨夜、某・緑の宇宙警察の映画――主演俳優がのちに赤い不死身の傭兵となるアレだ――を観たばかりのビリー君が息を呑む。
それは、直径数cmから10cmほどの『真ん丸な緑色の球体』だった。
水中にふわふわと漂い、まるでランタンのように淡いエメラルドグリーンの光を放っている。なんとも幻想的な光景だ。
ルーペで確認するまでもない。これは阿寒湖のマリモではない。太古の昔からこの閉鎖環境で繁殖し、独自の進化を遂げた「発光微生物の巨大なコロニー(集合体)」なのだろう。
彼らは互いに寄り添い、光の明滅で会話しているかのように見える。それはまさに、ここだけで完結している1つの『文明』だった。
ビリー君の金色の瞳がジワジワと黒く潤み出し、キラキラと輝いた。
丸くて可愛いものが大好きな彼には、これが「マリモの精霊」か「高度なマリモ文明」に見えているらしい。彼は興奮して水際に駆け寄ると、震えるハンド・クロー(前脚の爪)を伸ばし、その美しい光の1つを掬い上げようとした。
自分のコレクション(六花亭の缶)に加えたい。あるいは、友達になりたい。そんな純粋な好奇心だったかもしれない。
「待ちなさい、ビリー君」
私は努めて冷静に、某エンタープライズ号の艦長( キャプテン)のような威厳のある低い声で制止した。
ビリー君の手がピタリと止まる。彼は「Namoose?( なぜだ? キャプテン)」という顔で私を振り返った。
「我々の『最優先指令( プライム・ディレクティブ)』を忘れたのか?」
私は彼と、肩の上の副長たるアダンソン先輩を見据えて言った。
「未成熟な文明の発展に、外部の者が干渉してはならない。彼らには彼らの歴史があり、進化の道がある」
「……」
「もし君がそれに触れて、地上のバクテリアを持ち込んだら? あるいは、環境を変えてしまったら? この美しく脆弱な文明は、一夜にして滅びるかもしれないんだぞ」
ビリー君は、伸ばしかけた爪をゆっくりと引っ込めた。
そして、水底で揺らめく緑の銀河を、切なげに、しかし深い敬意を持って見つめ直した。
彼は理解したのだ。『観察』と『介入』は違う。真の探検家は、ただ静かに見守るだけの勇気を持たねばならないということを。
「Vamoose……( 了解したぜ、キャプテン)」
ビリー君は姿勢を正し、神秘の湖に向かって深々と一礼した。
――チャプッ。
次の瞬間、彼は頭を下げた勢いのまま顔面を湖に突っ込み、ゴクゴクと水を飲み始めた。
「ああーっ! ビリー君! ダメだって言ってるだろぉ!!」
私は悲鳴を上げ、ビリー君の首根っこを掴んで全力で引き剥がそうとした。
「Vamoose!( 美味いぞこれ! キンキンに冷えてるぜ!)」
「美味いじゃない! それが物理的な大介入だっつーの!」
私とビリー君が湖畔でドタバタと揉み合いのレスリングを繰り広げているその隙に、肩から飛び降りたアダンソン先輩は、背中のスパイダー・カムを明滅させながら、ドローンを飛ばして素早く洞窟の3Dマッピングを開始しつつ、ちゃっかりと手頃な岩の窪みに自分の「前線基地(という名の昼寝スポット)」を確保していた。
神秘の地底湖は、一瞬にしてカオスな修羅場と化した。
その時、先輩の背中で、スパイダー・カムがけたたましい赤い光の点滅を始めた。
続いて、私のヘルメットのレシーバーに電子音が響く。
「ピコーン! ピコーン!【アラート:侵入検知】」
私はビリー君を羽交い締めにしながら見上げた。頭上で「チュン! チュン!( ヒャッハー!)」という甲高い声が響く。
いつの間にか、螺旋のハイウェイと縦坑を降下してついてきていた、スズメの若鳥たちだ。彼らは地下湖の広大な上空で宙返りを決め、極度の興奮のあまり、鳥類特有の生理現象をもよおしたらしい。
1羽のスズメのお尻から、白い爆弾――『出してはいけないもの(フン)』が、プリッと投下された。
落下地点は、緑の球体文明のど真ん中。
あれが落ちれば、デリケートな球体文明は未知のウイルス(強烈なフン害)によって一瞬でパンデミックを起こし、滅亡する!
「あぁぁぁ!」
私が絶望の声を上げた、その瞬間だった。
水を飲んでいたはずのビリー君が、白亜紀のハンターの驚異的な反射速度で右腕を突き出した。
バシィッ!
ビリー君のハンド・クローが、水面スレスレの空中で、その『白い物体』を見事にキャッチしていた。
彼は真剣な顔でその手を固く握りしめ、フゥッと安堵の息を吐く。
「……Vamoose( 危なかったぜ……)」
自分の飲み水への執着か、それとも文明保護の崇高な精神か。
いずれにせよ、彼は自分のワガママ(水飲み)を完全に棚に上げつつ、スズメたちの保護者としての責任と、この惑星(湖)の平和をギリギリのところで守り抜いたのだ。
さて。
私たちは、この美しい「文明」をこれ以上乱さぬよう、先輩が作成した完璧な3Dマッピングデータと位置座標だけを記録して、静かに(そして大急ぎで)その場を後にした。
帰り道、ビリー君は何度も振り返り、名残惜しそうに緑の光を目に焼き付けていた。
ベースキャンプに戻った彼の手を、私が除菌シートで徹底的に拭いて洗わせたことは言うまでもない。
地底のフロンティアには、まだまだ私たちの知らない不思議が満ちている。
しかし、それをどう扱うかが、我々人類(と恐竜)の品格を問うているのだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




