第91話「里帰りの翼と、クモのパイロット」
札幌に本格的な夏が来た。白亜紀ジオ・フロントでは、ビリー君が世話をしているザクロの木に咲いた花の実がほっこりと丸みを帯びてきた。
夏至の力強い光が、山悟荘のトタン屋根を眩しく照らし、庭の草木が爆発的に生い茂る生命の季節だ。
私はいよいよ本格化する地下100mの地底探検に向けた準備で、アレコレと忙しく動き回っていた。
そんなある日の午後。懐かしい甲高い鳴き声と共に、小さな訪問者たちが窓から舞い込んできた。
かつて、真冬の猛吹雪の日に凍死寸前でこの家の換気口に迷い込み、私たちが保護したメスのスズメ――通称『チュンちゃん』と、その家族だ。
あの時は私の掌の中で震えるだけの小さな命だった彼女が、すっかり立派な母親となり、春に育て上げた若鳥と、一回り小さい若鳥たちを引き連れて里帰りしてきたのである。
そして驚いたことに、彼女は自分がくつろぐ間、血の気モリモリな若鳥たちの教育係を、なぜかビリー君に丸投げしたのだ。
1階の茶の間では、奇妙な光景が繰り広げられていた。
夏仕様として袖を外した特注のオレンジ迷彩ベストを着こみ、自慢の鉤爪( シックル・クロー)を剥き出しにしたビリー君が、若鳥たちに向かって熱血実演指導を行っている。
「Vamoose!( 違う、こうやるんだ! 見てろよヒヨッコども!)」
ビリー君が長椅子の背もたれから跳躍し、空中で見事に体を捻って着地を決める。
自分は飛べない白亜紀のトカゲのくせに、彼はスズメたちに『空戦機動』を教えているらしい。急旋回の角度、着地時の爪の食い込ませ方、そして敵(主にカラス)への威嚇のポーズ。
若鳥たちは、普通のスズメならありえないほど統率の取れた動きで、チッチッと鳴きながらビリー君のドクトリン(戦闘教義)を吸収していく。
……あの子たちの目が、猛禽類のように据わっているのは気のせいだろうか。もしかして、以前ここで越冬した時に、大家さんから遺伝子レベルで強化されるような「謎のオーパーツ的エサ」でももらったのだろうか。などと、私はつい勘繰ってしまう。
一方、母親のチュンちゃんは、かつて避難生活を送っていた「我が家(古巣)」を探して、茶の間の太い梁の上をパタパタと飛び回っていた。
だが、あの日彼女が使っていた巣は、そこにはない。
(……あれ? 私の家はどこ?)
困り果てた彼女の前に、天井からツーッと1本の太い糸が垂れてきた。
先の脱皮で体長13mmの巨体へと変貌を遂げた、我が家の守護神・アダンソン先輩だ。
先輩は器用に空中で静止すると、中庭にぽっかりと口を開けた『地底への門』の方角を、触肢でビシッと指差してジェスチャーで伝えた。
『お前の古巣なら、ビリーが地下40mの広場に移設して守ってるよ』
チュンちゃんは即座に理解したようで、先輩にスッと背中を向けた。
先輩は躊躇なく、そのモフモフの茶色い背中に飛び乗った。
スズメの背中にしっかりと跨り、8つの単眼を高性能レーダーのように輝かせ、周囲360度を警戒する先輩のその姿は、完全に『戦闘機のパイロット』だった。
チュンちゃんは背中の指令に従い、地下への入り口へと急降下した。
そこには、アリたちと開通させたばかりの『ビリー・ハイウェイ(螺旋スロープ)』が口を開けている。チュンちゃんは翼を半ばたたみ、有機的な螺旋を描くトンネルの中を、弾丸のように滑空していく。
気流に乗って地下深くへと潜るその圧倒的なスピード感。私の脳内には、ケニー・ロギンスの『デンジャー・ゾーン』が爆音で鳴り響いた。F-14トムキャット(スズメ)を自在に操るアダンソン先輩。彼女の本日のコールサインは、間違いなく『マーヴェリック』だ。
するとそこへ、ビリー君の特訓で腕(翼)を上げた若鳥の1羽が、ピタリとチュンちゃんの横にフォーメーションを組んで並んだ。
よく見ると、その背中にも先輩の子供である一際大きなハエトリグモが跨り、8つの瞳を光らせているではないか。
ブレのない完璧な飛行姿勢。冷徹なまでに正確な空戦機動をこなすその若きパイロットのコールサインは、間違いなく『アイスマン』だ。
「いつでも俺のウイングマンになれ(You can be my wingman anytime)」
私の脳内で、そんな熱い名セリフまでもが再生されていく。
2機の戦闘機は、地下10m、20m……と瞬く間に通過し、最深部の光の中へ飛び出した。
地下40m。『サッポロカイギュウ広場』。
広場に隣接しているビリー君専用の個室『白亜紀ジオ・フロント』の入口付近に、1本の立派なオリーブの木が植えられている。大家さんが屋根に設置した集光器から光ファイバーケーブルで引き込んだ太陽光を浴びて、青々と葉を茂らせるその枝の又に、チュンちゃんの古巣はあった。
ビリー君がここに移し、誰も触れないよう大切に保管していたのだ。
だが、さすがに経年劣化で少しボロボロになっている。
アダンソン先輩はスズメの背中から飛び降りると、壁の岩肌をリズミカルに叩いて応援を呼んだ。
『101匹ハエトリグモ軍団( チビアダンソン)』と、清掃班から出向してきた『クロオオアリ工務店』の到着だ。
ここから、電光石火の巣作りリフォームが始まった。
チビクモたちが強靭な糸で巣の骨組みを補強し、アリたちが新しい苔や小枝を下から運んで隙間を埋めていく。
せっせと働くアリの横で、前回同様、全体の2割のアリがのんびりと触角を掃除して待機している。先輩の厳格な指揮による、疲労分散と緊急予備戦力を両立した完璧な労働システムだ。
夕方。
若鳥たちの特訓(という名の激しい遊び)を終えたビリー君が、ハイウェイを駆け下りて行った。
そこには、オリーブの枝の上で新築同然にリフォームされた巣と、そこにちょこんと座るチュンちゃんの姿があった。
ビリー君が背伸びをして中を覗き込むと、チュンちゃんは翼を少し持ち上げて見せてくれた。
そこには、新しい命――2回目の産卵による、小さな卵が温められていた。
「Vamoose……( おぉぉぉ〜、こいつはすげぇや……)」
ビリー君は、卵を驚かせないようつぶらな黒い瞳を丸くして、優しく喉を鳴らした。
そして、ベストのポケットから何かを取り出し、巣のすぐそばの枝に、不器用な手つきで紐でしっかりと結びつけた。
それは、小さな恐竜の人形だった。スーパーで買ったおまけ付きのお菓子に入っていた安物だが、ビリー君にとっては自分の分身だ。
(僕ちゃんが四六時中ここにはいられないけど、コイツが代わりにお前たちを見守ってやるからな)
そんな無言の約束を感じ取ったのか、チュンちゃんは嬉しそうに「チッ」と一声鳴き、再び大切に卵を温め始めた。
光ファイバーが地上の夕焼け色に染まる中、オリーブの葉が揺れ、太古の海牛が見守る中、新しい命が育まれていく。
スズメと恐竜とクモとアリ。
種を超えた大家族の夜が、地下深くで静かに更けていった。
――その一連の様子を、私は地下10mの管理室にある『地下監視モニター』で眺めていた。
みんな、実に楽しそうだ。
そこに自分が居ないことに、50代の独り身としては一抹の寂しさを感じつつも、私は苦笑してモニターの電源を切った。
「さて、腹を空かせた大勢の家族のために、夕食の支度でもしますか」
私はゆっくりと立ち上がり、地上にある山悟荘の台所へと向かう。
今日のメニューは、育ち盛りのスズメたちも、肉食恐竜も、そして私も美味しく腹いっぱい食べられる、特製の雑穀入り巨大パンケーキ(ベーコン添え)にしよう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




