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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第8章:山悟荘のエピファニー
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第90話「螺旋の回廊と、黒い職人たちの帰還」

 地下100mの未開のフロンティアへ探検に出る前に、どうしてもやっておきたい大仕事が1つあった。


 地下40mにある『サッポロカイギュウ広場』は極上の快適空間だが、ビリー君にとっては地上との行き来が、とにかく大変すぎるようなのだ。


 大家さんが設置したケージ式エレベーターは、小型種とはいえ恐竜のビリー君が乗るにはいささか手狭であり、非常用の狭い螺旋階段は、前傾姿勢のラプトルの骨格には全く適していない。螺旋階段を転げ落ちて以来、ビリー君が地下へ降りるたびに、不満げに鼻を鳴らすようになっていた。


Namoose(ナムース)……( 僕ちゃん、この上り下り超ダルいんだけど……)」


 ビリー君が、太い尻尾を引きずりながら階段を見上げている。


 もっともだ。彼のような白亜紀を駆け抜けた俊敏なハンターには、自分の強靭な足で風を切って走れる『道』が必要なのだ。


「よし、作ろうか。ビリー君専用の地下ハイウェイを」


 私は、以前から温めていた計画を実行に移すことにした。大家さんが地下100m用の本格的なエレベーターを完成させるまでには、もう少し時間が掛かりそうだったし、何より私の言葉にビリー君がパッと顔を輝かせたからだ。


 計画はこうだ。地上の山悟荘(さんごそう)の中庭スペースから、地下40mの広場までを一気に繋ぐ、緩やかな『螺旋(らせん)スロープ』をぶち抜く。


 大家さんが倉庫から引っ張り出してきた試作品の掘削機『小穴掘名人メリハリくん』を借りることにした。

 こいつは、地盤をガリガリと削りながら、壁が崩れないように『支保工(しほこう)』と呼ばれるH鋼の骨組みを等間隔に設置し、さらに壁面に特殊な補強液体を吹き付けて弾力のあるトンネルを作り上げるスグレモノだ。


 ただし、それぞれの工程に人間の手動操作が必要なため「試作品」扱いらしい。まあ、ビリー君が全力で駆け抜けるのに十分な幅と高さが確保できればそれでいいのだ。


 今回も、問題は掘削によって大量に出る「残土」の処理だが、小さいながらも安定性のあるキャタピラ走行で残土を運んでくれる『運び屋名人半平太(はんぺいた)くん』が活躍してくれるだろう。名前の由来はよくわからないが、このマシンは「子犬のワルツ」を電子音で奏でながら自律走行する。せわしないメロディーだが位置関係が分かりやすく、非常に使い勝手がいい。


 だが、それでもまだ残土処理には不十分であった。私は、肩に乗っている頼れる現場監督を見やった。


「アダンソン先輩、また『彼ら』の力を借りなくてはなるまい……」


 アダンソン先輩は、私の意図を即座に理解した。直近の命がけの脱皮を経て、体長13mmというハエトリグモとしては異次元のサイズに成長した彼女は、横綱のような貫禄たっぷりに地面へと飛び移った。そして、リズミカルに太い脚を打ち付け、地盤を通じて複雑な振動信号(モールス信号)を送り始めた。


 数分後。


 どこからともなく、黒光りする強靭な大顎を持った影が、ワラワラと姿を現した。

 クロオオアリ部隊だ。かつての地下採掘でも大活躍した『黒い職人』たちが、再びここに集結したのだ。


 ――説明しよう!


 クロオオアリ( Camponotus japonicus)とは、日本最大級のサイズを誇る、まさに「黒い巨人」である。彼らはスズメバチのような猛毒の針を持たない代わりに、強靭な大顎での噛みつきと、敵の皮膚を溶かす蟻酸を武器に戦うパワーファイターだ。

 だが、彼らの真価は戦闘力ではない。地中や朽ち木の中に広大かつ複雑なコロニーを正確に掘り進める、超一級の「土木エンジニア」なのだ。北海道の厳しい凍土すら掘り抜く彼らのアゴにかかれば、この程度の泥岩など豆腐のように粉砕できることだろう。


 ここに、伝説の『異種族混成・地下開発チーム』が再結成された。


重機担当: ビリー君( 強靭な後脚とシックル・クローによる岩盤粉砕・掘削補助)

現場監督: アダンソン先輩( 全体指揮および労働時間管理)

運搬担当: クロオオアリ部隊( 大量の残土の搬出・分散廃棄)

設計監修: 大家さん( アリの巣構造の応用設計とマシン提供)

オペレーター: アキラ( メリハリくんの操縦、および支保工のボルト締めという重要任務)


Vamoose(ヴァムース)!( 僕ちゃんがんばるぜ!)」


 ビリー君が気合の雄叫びを上げ、山吹色のスパイク長靴を脱ぐと、いつものごとく几帳面な動作で傍らに揃えて置いた。そして、剥き出しになった巨大な爪を硬い岩盤に突き立てる。


 ただの真っ直ぐなトンネルではない。大家さんの緻密な計算により、私たちは『アリの巣』の構造を模倣した。直線ではなく、有機的な曲線を描く螺旋状のトンネル。これは空気の流れを自然に生み出し、深部まで新鮮な酸素を届ける「バイオ・ベンチレーション」の絶大な効果がある。


 彼らの連携は完璧だった。


 メリハリくんとビリー君が砕いた岩の破片を、町内会中から集まったアリたちが器用に咥えて地上へと運んでいく。バケツリレーはしない。完全な「個」の連続による圧倒的な物量作戦だ。

 そして壁の窪みでは、常に全体の2割のアリが触角の手入れをして休んでいる。


 これはサボりではない。アダンソン先輩が厳格に管理する『働きアリの法則(パレートの法則)』に基づく、疲労分散と緊急予備戦力の維持――いわゆる「超ホワイト労働」の徹底である。


 重機と野生が入り乱れて掘り進めること数時間。深度15m地点。

 螺旋のトンネルが、あるエリアの真横を通過しようとしていた。


 かつて私たちが偶然発見し、厳重にコンクリートで封印した、あの「黄金の鉱脈」だ。


 メリハリくんが打ち込んだ支保工の隙間から、相変わらず妖しく、人を狂わせる黄金の輝きがチラリと漏れている。

 私は一瞬、息を呑んで身構えた。


 だが、黒い職人たちは、その輝きを一瞥もしなかった。かつてアダンソン先輩から「持ち出し禁止」を厳命された彼らにとって、それはもはや「ただの黄色くて硬い石」であり、巣材にもならない無価値なものなのだ。


 ビリー君もまた、「食えない石には用がない」とばかりに、黄金を鼻先でフンとあしらって、黙々と岩盤を蹴り砕いている。


 ……やはり、人間という生き物が一番欲深いのかもしれないな。私は55歳の俗物っぷりに苦笑しながら、その黄金の壁に支保工のボルトを固く締め付けた。


 そして――。


 スポン! と小気味よい音が響き、最後の岩盤が貫通した。クロオオアリのおかげで、トンネル内の清掃も滞り無く完了し、我々は中庭に集結した。


 地上の山悟荘(さんごそう)から地下40mまでを滑らかに繋ぐ、優美な曲線のスロープ『ビリー・ハイウェイ』の完成だ。


「よし、試走だ! 行け、ビリー君!」


Vamoose(ヴァムース)!!( ヒャッハー! 僕ちゃんの専用道だぜ!)」


 ビリー君は弾丸のように飛び出した。


 メリハリくんが弾力を持たせた壁面を蹴り、遠心力を利用して螺旋の回廊を猛スピードで駆け下りていく。そのスピードと、風を切る爽快感に、ちょっとだけ野生を取り戻した彼の金色の瞳はキラキラと輝いていることだろう。


 あっという間に最下層のカイギュウ広場に到達した彼は、満足げに上を見上げ、再び風のように駆け上がってきた。


 広場には、螺旋構造による自然な空気の流れが生まれ、地上と同じような新鮮な初夏の風が吹き抜けている。大家さんの設計、アリたちの施工技術、ビリー君のパワー、そして私のボルト締め。全てが完璧に噛み合った、極上の仕事だった。


 私は、汗だくのビリー君と、13mmの巨体を誇る現場監督、そして足元を忙しく行き交う黒い職人たちに、とっておきのよく冷えた栄養ドリンクを大盤振る舞いすることにした。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次話も、山悟荘でお待ちしております。

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