第89話「秘密基地と、スチームパンクの風」
視界の隅の温度計が適温を示している。ここは地下10m。
札幌軟石と稚内珪藻土の壁を、鬱蒼と茂るモンステラやパンダガジュマルといった観葉植物が柔らかく覆い隠している、私専用の快適空間、秘密基地兼『管理室』だ。
ブラウン管風の無骨なモニターや、アナログな針が動く計器類がズラリと並び、地上から地下40mの広場に至るまで、敷地内のあらゆる場所の温度、湿度、そしてセキュリティを完璧に映し出している。
私はいつものように極太の腕を窮屈そうに曲げながら、デスクライトの下で化石のクリーニング作業に没頭していた。傍らでは、初夏に合わせてオレンジ迷彩のダウンを脱いだ身軽なビリー君が、腹ばいになって気持ちよさそうに昼寝をしている。
ズズズズズ……ッ!
不意に、床の底から重低音の微振動が伝わってきた。
地震か。私が身構えると同時に、ビリー君がガバッと飛び起きて警戒の唸り声を上げる。すぐさまモニター群に視線を走らせ、異常箇所を特定する。
地下40mの『サッポロカイギュウ広場』。隅にある分厚いメンテナンスハッチから這い出てくる、作業着を泥だらけにした大家さんの姿が映っていた。
私はマイクのスイッチを入れ、モニター越しの大家さんに呼びかけた。
「大家さん、何か問題でも起きたんですか?」
「おや、アキラさん。驚かせてしまってすみません」
スピーカーから大家さんの穏やかな声が返ってくる。彼はニコニコと笑いながら、背後のハッチの方を指さした。
ハッチの横には直径2mはありそうな真円の穴が開いており、そこから「ある機械」がムクムクと這い出てきたのだ。
円筒形の無骨なボディを持った、自走式の掘削マシン。
こいつの正体は知っている。大家さんが開発したトンデモ発明品、縦坑専用土竜の『三吉くん』だ。
掘った土砂を地上へ一切排出せず、凄まじい圧力で周囲の壁面へ優しく押し固める「残土ゼロ機構」を搭載している。さらに、装甲が左右に展開し、キャタピラと巨大ドリルが張り出す『スーパーサンキチ・エボリューション』へと変形する、我々昭和の男心をくすぐるギミックまで備えたオーバーテクノロジーの結晶だ。
この規格外の天才エンジニアがいてこその、我らが山悟荘である。
「……とにかく、今からそちらへ向かいます」
私は通信を切り、ビリー君を引き連れて非常用の狭い螺旋階段を駆け下りた。
広場に着くなり、大家さんは三吉くんの泥を拭いながら興奮気味に語った。
「地熱システム効率化の調査のために、この三吉くんに頼んで、ここからさらに下へ一直線に、地下100mまで縦穴を掘り進めていたんですよ」
「地下100mですか。いくら三吉くんでも、そこまでの深さとなれば有毒なメタンガスや酸欠の危険があるのでは……」
「それが、不思議なことに有毒ガスの反応はゼロなんですよ。……それどころか、これを見てください」
大家さんに促され、新たに開けられた直径2mほどの縦穴を覗き込む。奈落の底へと一直線に伸びる空間。そして脇には、真新しい頑丈な金属製のケージと、真鍮製の巨大な歯車のパーツが山積みになっていた。
「アキラさん、エレベーターの設置を手伝ってもらえませんか?」
「ええ、構いませんが……。随分とアナログな部品ですね。動力の電力ケーブルが見当たりませんけど」
嫌な予感がした。大家さんは鋭い眼光をパッと輝かせ、満面の笑みで答える。
「ええ、電気は引きませんでした」
「……はい?」
「だってアキラさん、そんなもの引き回さなくても、あなたのその丸太のような極太の腕力があれば、手動の巨大滑車でも余裕で昇降できるでしょう?」
「なるほど。私の筋肉が動力( マッスル・エンジン)というわけですか……」
私は軽く溜息をつきつつも、嫌いではない提案に口元を緩めた。
「さあ、まずはこのメインギアをあそこのシャフトへ」
「了解しました」
私は無言で、直径50cmはある分厚い真鍮製の歯車を持ち上げる。極太の腕の筋肉が微かに軋むが、悪くない重さだ。ガシャン、と小気味よい金属音を立ててシャフトに噛み合わせる。
大家さんの的確な指示のもと、大小の歯車が次々と組み上がった。
「後はケージとウインチの接続ですが、その前に非常用のハシゴの設置もしてきますね」
大家さんはそう言うと、作業着のベルトに仕込んでいた『小型ワイヤー射出機』をカチャリと壁面に固定した。そして、ビル20階建てに相当する60mの高低差をものともせず、特殊部隊のような軽快なラペリング降下で、あっという間に縦坑の底へと消えていった。
相変わらず、オーバースペックにも程がある老人だ。
「Namoose( 僕ちゃんをオリに閉じ込めるつもりかい?)」
残されたビリー君は、組み上がったばかりの金属ケージに出たり入ったりして遊んでいる。
シューッ……。
大家さんが降りて行った縦坑から、ひんやりと湿った、しかし信じられないほど澄んだ『涼風』が吹き上げてきた。
「風が下から吹き上げてくるということは、地下深くで別の巨大な空間――自然の通気口や、地下水脈のある空洞と繋がっている証拠だと思いませんかー?」
縦坑の底から、大家さんの声が反響して聞こえてくる。
その言葉に、化石マニアとしての私の熱い血が騒ぎ始める。
暗闇に目が利くビリー君が下の暗闇を凝視した。鼻がヒクヒクと動き、黒かった瞳孔がハンターの鋭い『金色』へとスッと細くなる。
「Vamoose……( 水の音がするぜ……それに、嗅いだことのないイイ〜匂いがするぞ)」
風に乗って微かに漂ってくるのは、雨上がりのような石灰岩の匂いと、未知の生物の気配。そして、底知れぬ縦穴の奥から、ポチャン……という微かな水音が響いてくる。
「これは……世紀の大発見かもしれませんよ、大家さん……」
私は穴の中に向かってつぶやいた。
そして、ケージの横に取り付けた、巨大で重々しい手動ウインチのハンドルをガシッと握りしめる。
まだワイヤーは繋がっていないが、試しに回してみることにした。50代の筋肉痛を覚悟して力を込めたそのハンドルは、大家さんが計算し尽くしたギアの絶妙な組み合わせのおかげで、拍子抜けするほど滑らかに回った。丁寧に研磨された金属の感触が、極太の腕に心地よく伝わってくる。
むき出しの歯車が噛み合い、機能美に溢れたその姿は、まるで映画から飛び出してきたような見事なスチームパンク風のエレベーターだ。
未知の地底湖と広大なフロンティアへ向かうための、ロマンに満ちた地下探検の扉が、今ここに静かに開かれた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




