第82話「収集家たちの秋と、六花亭のアーカイブ」
季節は足早に巡り、札幌にはもう冷たい秋がやってきた。
窓の外は、しとしとと降り続く鉛色の秋雨。手稲山の頂上付近には、早くも初冠雪の便りが届くかもしれないほどの底冷えだ。
だが、こんな日は、生粋のインドア派である私と、極度の寒がりであるビリー君にとって、最高の「趣味の時間」となる。
カリ、カリ、カリ……。
ウィィィィン……。
地下40mの白亜紀ジオ・フロントに、静かな削岩音が響いている。
私の作業机の上にあるのは、先日さっぽろテレビ塔の近くで開催されたミネラルショーで購入した、アンモナイトのノジュール(石塊)だ。
極細のエアチゼルとリューターを使い、石の中に眠る太古の時間を、コンマ数ミリ単位で少しずつ掘り出していく『クリーニング』作業。鍛え抜かれた極太の腕と指先を、精緻にコントロールして行う、ミクロの彫刻。これこそが、私の至福の時だ。
「よし、綺麗に出たぞ」
仕上げに柔らかい真鍮ブラシをかけると、黒い母岩の中から、七色の真珠光沢を鮮やかに残した美しいアンモナイトが顔を出した。
続いて、隣に置いてあった球状の岩石「ジオード」にタガネの先を当て、ハンマーで慎重に、しかし的確に叩く。
パカン!
小気味よい音と共に石が真っ二つに割れると、その内側には、純白の水晶の細かい結晶がビッシリと詰まっていて、デスクライトの光を受けてキラキラと神々しく輝いた。
「うん、極上の景色だ」
私は満足して息を吐き、磨き上げた標本を特製のアクリルケースに収めた。
ふと横を見ると、ビリー君が私の作業をじーっと熱心に見つめていた。
そして、「僕ちゃんもやるぞ」と言わんばかりに、部屋の隅のオリビンサンドの山の中から、彼が個人的に大切にしている袋をズルズルと引っ張り出してきた。中から出てきたのは、マルセイバターサンドでお馴染み、花柄が美しい『六花亭の空き缶』である。
「Vamooooose!( 見ろよ、僕ちゃんお気に入りのお宝だぜ)」
ビリー君が短い前脚で誇らしげに蓋を開ける。
中に入っていたのは、フワフワとした、白くて薄い、大小さまざまな『抜け殻』だった。
「これ……アダンソン先輩の脱皮殻じゃないか」
それは、ビリー君がこの壱拾六軒町内会にやって来てから今日に至るまで、家のあちこちからこっそりと回収し、集め続けてきた影の女司令塔・アダンソン先輩の抜け殻コレクション(アーカイブ)だった。
一番奥にあるのは、出会ったばかりの、まだ小さくて頼りなかった頃の抜け殻。
手前にあるのは、最近脱いだばかりの、ガッシリとして威厳すら感じる、タキシード柄の大きな抜け殻。
手足の細い感覚毛の1本1本、さらには8つの単眼のレンズの形までが綺麗に透き通って残っている。それらは、ある意味でどんな太古の化石よりも精巧な、相棒の「成長の記録」だった。
「すごいなビリー君。全部とってあったのか」
「Vamoose!( 当然だろ。姐御の分身だからな)」
ビリー君は得意げに鼻息を荒くして、私のアンモナイトが入ったアクリルケースを指差した。
どうやら、私の化石と同じように、自分の宝物も「展示」したいらしい。
私たちは並んで作業をした。
私は、数億年前の化石や鉱物を。
ビリー君は、そのピンセットのように器用な鉤爪を使い、息を止めながら、先輩の抜け殻を「小さい順(年代順)」に左から右へと几帳面に並べていく。
当のアダンソン先輩本人は、天井の梁からその様子を呆れたように、しかし8つの瞳を細めて少し照れくさそうに見下ろしている。
(私の古いパンツを、そんなに大事に並べてどうするんだい……)とでも思っているに違いない。
そして、夕暮れ時。
白亜紀ジオ・フロントの飾り棚の上には、2つのコレクションケースが誇らしげに並んだ。
左のケース:【太古の海の記憶( アンモナイトとジオード)】
右のケース:【令和の女司令塔の軌跡( アダンソン・クロニクル)】
数億年前の命と、この数年の命。
スケールは全く違うけれど、どちらも私たちにとって、他には代えがたい「時間の結晶」だ。
「Vamoose……( いい眺めだぜ)」
「ああ、いい仕事をしたね」
私たちは並んで革張りのソファに深く腰掛けた。
私は淹れたてのブラックコーヒーを、ビリー君は、お気に入りの巨大なマグカップになみなみと注がれた『白湯』をチビチビと飲みながら、ライトアップされた2つのケースを飽きもせずに眺め続けた。
美味そうに白湯を啜る恐竜の横顔を見ながら、私はふと、50代の少し恥ずかしい記憶を思い返していた。
私がまだ若かりし頃。『波動が違う』だの『奇跡のマイナスイオン』だのという怪しげな広告に踊らされ、ボーナスをはたいて高額な浄水器を買ってしまった苦い過去がある。
だが結局、そんな魔法の水など存在しなかった。豊平川の豊かな水源に恵まれたここ札幌では、蛇口を捻れば、全国でも稀有なほど安全で美味い水がいくらでも飲めるのだから。高い授業料を払った偽物の水より、ただ沸かしただけのこの水道水(白湯)の方が、冷え性のビリー君の体を優しく温め、よほど確かな価値をもたらしてくれている。
物の『本当の価値』は、値段や世間の評価で決まるものではない。
数億年前の化石も、他人から見ればただのゴミであるクモの抜け殻も、そしてただの白湯も。自分が心から愛おしいと思い、安らぎを感じられるものこそが、最高のお宝なのだ。
外は冷たい秋雨。手稲山には雪が降っているかもしれない。
でも、この地下40mの部屋の中は、嘘のない温かい空気と、静かな幸福感に満ちていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




