第81話「石ころの隠れ蓑と、帰ってきた精鋭たち」
地下40mのビリー君の聖域、通称『白亜紀ジオ・フロント』。
その床には、以前のリフォームで敷き詰めた鉱物(ゼオライト、オリビンサンドなど)が広がっている。
特に、北海道の上ノ国町という限られた場所でしか採掘されない貴重な天然鉱石『ブラックシリカ』は、強力な遠赤外線を放射するため、大家さん特製の地熱システムと相まって、まるで極上の床暖房のようにポカポカと暖かい。
無機質で、乾いた石の匂いがするこの場所は、白亜紀の荒野を故郷とするビリー君にとって、最高の縄張りだ。
ある日、私が新しい小さな鉢を持って地下へ降りると、ビリー君が床の砂利に這いつくばって、血眼になって何かを探していた。
「Namoose……( ない……どこだ……)」
彼は鼻をヒクヒクさせ、さっき私が「新しい植物を持ってきたよ」と置いて見せたはずの鉢を探しているようだ。
無理もない。今回この地下の仲間に加わったのは、多肉植物の『リトープス(イシコロギク)』なのだから。
「ふふ、ビリー君。君の目の前にあるんだよ」
私が太い指で指差した先。
オリビンサンドとゼオライトの砂利の上に置かれた鉢の中に、『真ん中に1本の割れ目が入った奇妙な石』が数個、半分土に埋もれるように鎮座している。
色はくすんだ灰色、茶色、そして薄緑。表面の細かい模様まで、周囲に散らばる小石と完全に同化している。
「Vamoose?( これか? ただの石じゃんか)」
ビリー君は、その「石」をピンセットのように器用な鉤爪の先でツンと突いた。
パンッと張った硬い感触。彼は「騙された」という不満顔で私を見上げた。『植物を持ってくるって言ったじゃないか、食えない石ころに用はねぇぞ』と。
「これはね、石に完全に擬態して、敵の目を欺いているんだ。彼らの自生地であるアフリカの過酷な砂漠では、こうして背景に溶け込んで隠れないと、喉の渇いた動物たちに水分ごと食べられちゃうからな」
「……Vamoose( ……ほう)」
「擬態」や「隠密行動」という言葉は、生粋のハンターであるビリー君の琴線に深く触れるらしい。
彼は急に敬意を表したような目つきに変わり、その「生きた石」を腹ばいになってじっくりと観察し始めた。
パカッ。
よく見ると、真ん中の割れ目の奥から、みずみずしい「新しい中身(新葉)」が少しだけ覗いている。
石が割れて、中から新しい石が出てくる。静かだが、間違いなく生きている。自ら脱皮して成長する植物なのだ。
「忍者みたいだろ?」
私が言うと、ビリー君は「Kururu( 悪くない。なかなかの曲者だぜ)」と感心したように喉を鳴らした。
派手で美味しい花や実もいいが、こういう厳しい自然を生き抜く「実力派」の植物も、彼の好みには合うようだ。
それからというもの、ビリー君は時々、わざとリトープスの鉢の土の上に、私がクリーニングしたコレクションである本物の「綺麗な石(瑪瑙やジャスパーの欠片)」を紛れ込ませて並べて置くようになった。
どれが植物で、どれがただの石か。
あえて紛らわしい配置にして、私が霧吹きで水やりをする時に「おっと、石に水をやっちまった」と間違えるのを見て、物陰で「ケケケ」と笑って楽しんでいるのだ。
石の床、石の植物、そして悪戯好きな恐竜。
地下の白亜紀ジオ・フロントは、静かで愉快な『石の庭』になっていた。
◇
だが、地下で石に擬態してのんびり遊んでいる間に、地上の畑は「戦場」と化していた。
季節は進み、札幌にも短くも強烈な、本格的な夏がやってきた。
春に種を蒔いてからというもの、ビリー君が毎日血走った目で睨みつけて守り抜いた『とうきび』が、ついに大収穫の時を迎えていたのだ。
「……それにしても、これは奇跡的だと思いませんか?」
麦わら帽子を被った大家さんが、収穫したばかりのずっしりと重いとうきびの皮を剥きながら、驚きと感嘆の声を上げた。
緑の皮を剥いたその中身は、アブラムシ1匹、そしてトウモロコシの最大の天敵であるアワノメイガの食害跡がひとつもない、まるで真珠を敷き詰めたような芸術的なまでの美しさだったからだ。
「ええ、無農薬の露地栽培で、ここまで無傷で美しい粒が揃うなんて、普通はありえませんよ。一体どういう魔法を使ったんだい、ビリー君?」
「Vamooooose!( ふふん、僕ちゃんの実力さ)」
ビリー君が得意げに鼻を鳴らし、とうきびの根元を爪先でチョンと示した。
そこには、害虫ども(アワノメイガの幼虫やアブラムシ)のカラカラに干からびた無惨な死骸が山のように積まれており、その周囲を数ミリほどの小さなタキシード柄の影が、軍隊のように整然とした陣形でサササッとパトロールしていた。
アダンソン先輩の子供たち、小さなハエトリグモだ。
「あれ? でも彼らは、春の風に乗って遠くへ旅立ったはずじゃ……」
私が驚いて振り返ると、とうきびの支柱の一番てっぺんで、小さな腕を組み、偉そうに仁王立ちしているアダンソン先輩の姿があった。
私の脳内フィルターを通した彼女の姿は、まるで植民地海兵隊のタフな女性兵士、バスケスそのものだった。
「Let's rock!( やってやるぜ!)」
彼女のそんな雄叫びが聞こえた気がした。先輩は不可視のスマートガン(おそらくは強靭な蜘蛛の糸)を猛烈な勢いで掃射し、迫り来るアワノメイガの軍勢を次々と薙ぎ払っていく。血湧き肉躍る、ロックでハードボイルドな無双の立ち回り。これは単なる虫の捕食ではない。愛する仲間の「食卓」を守るための、プロフェッショナルとしての誇り高き防衛戦だ。
そう、彼女は知っていたのだ。
ビリー君がどれほどこのとうきびの収穫を、よだれを垂らして楽しみにしていたかを。
だからこそ、彼女は独自のネットワークを使い、各地へ旅立った精鋭の子供たちに「緊急招集」をかけていたのだ。
(総員、速やかに帰還せよ! 腹ペコビリーの畑を、害虫どもから死守するのだ!)
偉大なる母の呼びかけに応じ、一時的な里帰りを果たした精鋭部隊。彼らによる24時間体制の徹底した対空・対地パトロールがあったからこそ、この「奇跡の無農薬とうきび」は守り抜かれたのである。
最強の援軍に心からの感謝を捧げつつ、いざ実食といこう。
まずは、傷一つない純白の品種『ピュアホワイト』だ。
「ビリー君、これは茹でずに、そのままガブリといきなさい」
「Vamoose?( 生で食うのか?)」
「そう。とうきびの糖度っていうのは、枝から収穫したその瞬間から、ものすごいスピードで落ちていくんだ。だから、もいだその場で生のまま齧り付く『もぎたての生食』なんて贅沢は、北海道民ですら滅多に経験できない。自分の畑を持った者だけの、最高の特権なんだよ」
シャクッ!
ビリー君が鋭い牙で豪快に噛み付く。
皮が弾ける音と共に、溢れ出したのは野菜の青臭さではない。まるで極上の完熟フルーツのように濃厚で甘いジュースだ。
「Vamooooose!?( なんだこれ!? マジであっめぇ!!)」
ビリー君は目をまん丸にして驚愕した。茹でたとうきびしか食べたことのない彼にとって、この甘さは彼の常識を覆す衝撃だったらしい。
続いては、王道の鮮やかな黄色、『ゴールドラッシュ』だ。
こちらは大家さんが庭に持ち出したカセットコンロと大鍋で、たっぷりの湯を沸かして茹で上げる。
茹で上がった熱々の黄金色をザルにあげ、まだ表面に水分が残っている一瞬の隙を絶対に逃さず、上からパラパラと『追い塩』をする。そしてすぐさま、ザルを両手でバンバンと振って返す! この「振る」動作で、余分な塩をしっかりとはたき落とすのが、私の譲れないこだわりだ。
そう。おはぎの「あんこ」と同じで、とうきびの甘みというのは、うっすらとした絶妙な塩気があってこそ、極限まで引き立つものなのだ。
ハフッ、ハフッ。
立ち昇る湯気と共に齧り付けば、プリプリの薄皮が弾け、絶妙な塩気と穀物本来の強烈な甘みが、口の中で一気に爆発する。
ビリー君も、両手で熱々のトウキビを持ち、ハフハフと言いながら、芯まで食い尽くす勢いで夢中でかぶりついている。
そして最後は、ビリー君からのサプライズだ。
大きな葉の下に隠すように育てられていた、立派な大玉スイカ。その名も、北海道共和町が誇る特産品『らいでんスイカ』の苗から育った、見事な果実だ。
いつの間にスイカまで栽培する能力を身に着けたのか? 大家さんの影響力はすごいもんだな、と私は驚きを隠せなかった。
パバリッ!
包丁を入れると、夏の青空に映えるような鮮やかな赤色が顔を出す。
ここにも、パラリと軽く塩を振る。
シャリシャリとした最高の食感と、塩によって際立った強烈な甘み。
ビリー君は、誰にも取られないよう、一番甘いスイカの中心部分を器用な爪でほじくり出し、ハムスターのように頬をパンパンに膨らませて隠し込んだ。そして口の周りを赤く染めながら残りを豪快に頬張り、黒い種を機関銃のようにプププッ!と吹き飛ばした。
その飛んでいった種を、過酷な防衛任務を終えてリラックスモードに入ったチビアダンソンたちが、サッカーボール遊びのように8本の脚で器用に転がして遊んでいる。
輝く真珠と黄金のとうきび。そして、雷( らいでん)のスイカ。
春に別れた家族が、この日のために再集結してくれた絆。
そこに絶妙な塩加減が加わって、今年の夏野菜は、時空を超えてとびきり美味しかった。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




