第79話「先輩の隠し財産」
ある雨の日の午後。
私たちは茶の間で、大家さんが差し入れに買ってきてくれたおやつを囲み、のんびりとした時間を過ごしていた。
「はい、アキラさん。今日のお茶請けは『サザエ』ですよ」
「おっ! サザエですか。渋いお茶によく合いますねぇ」
本州の人がこの会話を聞けば、「昼間から貝の壺焼きで一杯やるのか?」と驚くかもしれない。だが、北海道民にとって「サザエ」といえば、決して海産物のことではない。おはぎ( またはおにぎり)のことである。
道内のスーパーやデパートの地下には必ずと言っていいほど入っている、緑の看板の老舗『サザエ食品』。ここの十勝産小豆をたっぷりと使った大きなおはぎは、道民のDNAに刻まれたソウルフードであり、定番のオヤツなのだ。
「Pikobabool……( 僕ちゃん、あんこ、きなこ、最高……極上……)」
こたつ布団を片付けたテーブルの横で、ビリー君も大好物の「きなこのおはぎ」を器用に短い両手( 前肢)で持ち、口の周りを粉だらけにしながら幸せそうに頬張っている。アンズ色の羽毛にきな粉がボロボロとこぼれているが、今日はお構いなしだ。
腹ごしらえが済むと、ビリー君は食後の運動とばかりに、またしても影の女司令塔・アダンソン先輩( ハエトリグモ)の「隠し財産( 古い巣)」をガサゴソと捜索し始めた。
彼はすっかり、この家でのトレジャーハント( 白亜紀の種の探索)に味を占めているのだ。
「……Vamoose?( さーて、何があるかな〜? 僕ちゃんのお宝……)」
本棚の奥、先輩が以前拠点にしていた隙間からビリー君がピンセットのように繊細な爪で引っ張り出してきたのは、ひらひらした薄茶色の物体だった。
薄くて、カサカサに乾いていて、蛍光灯の光に透かすと細かい網目模様が見える。
「これは……虫の羽か?」
私も10倍ルーペ越しに覗き込んだ。どう見ても、先輩が昔捕食した蛾( ガ)か何かの、乾燥した食べ残しの羽に見える。
「Namoose……( ちぇっ、ただのゴミかよ。僕ちゃんの宝物じゃないのか)」
ビリー君はガッカリして、その「羽」をフローリングの床にポイッと捨てようとした。
シュバッ!!
その瞬間、天井のカーテンレールの上から白い糸が一直線に伸び、捨てられそうになった「羽」を空中で見事にキャッチした。
黒い稲妻、アダンソン先輩だ。
彼女はそれを大切そうに8本の脚で抱きかかえると、スタッとビリー君の山吹色の長靴の前に着地し、太い触肢で床をバンバン! と激しく叩いた。
( ゴミ箱に捨てるとは何事だ、この大馬鹿垂れが! これは私の極上のコレクションだぞ! 節穴め!)と全身で怒っている。
「……え? いつもクールな先輩がそこまで必死になるってことは、ただのゴミじゃないのか?」
私はもう一度ルーペを覗き込み、その「羽」を極限まで拡大して見た。
……あ。
羽の中心に、ミリ単位の硬い膨らみがある。これは虫の死骸の胴体じゃない。
「ビリー君、これはゴミじゃない、種だよ、種! 風に乗って遠くへ飛んで繁殖するために、最初から翼がついている特殊な種だ」
「Vamooooose!?( 飛ぶ種!? マジで!? 僕ちゃん飛べないのに!?)」
ビリー君の黒い瞳がキラリと輝いた。
「飛ぶ」という響きは、かつて大空を飛ぶことに憧れ、進化の過程でそれを捨てた( かもしれない)恐竜のロマンに深く刺さったようだ。
私たちは早速、地下40メートルの白亜紀エリアへ向かった。
今回は「風に乗る種」ということで、深い土に埋めず、表面に浅く蒔いて風通しの良い岩盤の上に鉢を置いた。
「虫の羽みたいな種から、一体どんな太古の植物が生えるんでしょうねぇ。楽しみですね。」
大家さんも興味津々で眼鏡を光らせている。
それから数週間後。
土から顔を出したのは、私たちが想像していたような可憐な双葉ではなかった。
ゴリッ……。
土を力強く持ち上げて現れたのは、茶色くてゴツゴツした「岩石」のような塊だった。
表面は幾何学的に深くひび割れ、まるでミニチュアの「亀の甲羅」のようだ。
「うわぁ……渋いですねぇ! アキラさん、これは多分『亀甲竜』ですよ!」
大家さんが少年のように歓声を上げた。
「見てくださいビリー君。このヒビ割れた塊、これから長いツルが伸びて、ハート型の可愛い葉っぱをつけるんですよ。名前に『竜』がつく、とても長生きする植物なんですよ」
「Vamoose……( 僕ちゃんと同じ、竜……)」
ビリー君は、その岩のような塊に鼻を近づけた。
匂いはしない。でも、その硬くてゴツゴツした手触りは、自分の鱗や、故郷である白亜紀の荒野にあった乾いた岩肌を思い出させるのだろう。
彼はその「岩」がすっかり気に入ったらしい。
ツルが伸びてくるまでの間、彼はよくその鉢の横で、自分も「岩」になったつもりでじっと動かずに座禅を組むように座っていた。
アダンソン先輩の食べ残しだと思っていたゴミは、ビリー君にとって名前も姿も似ている、最高の「相棒( 岩石植物)」へと変貌を遂げたのだった。
数週間前の「とうきびの種まき」に続き、この亀甲竜の誕生を目の当たりにしたことで、ビリー君の「園芸」への興味は最高潮に達していた。
土をいじれば、美味いものや面白い相棒が現れる。その成功体験が、食いしん坊の彼をさらに突き動かしているのだ。
ある晴れた日。
ビリー君は、庭の手入れをしていた大家さんの作業着のズボンをくいっと引っ張り、期待に満ちた瞳で見上げていた。
「Vamooooose?( ねぇ、次は? 次は僕ちゃん何植えるんだよ?)」
「おや、ビリー君。もっと育てたいんですか? 勉強熱心ですねぇ」
大家さんがしゃがみ込むと、ビリー君は太い尻尾をブンブンと振って「Vamoose!( イエス! 僕ちゃんやるぜ!)」と答えた。
どうやら、もっと「すごいやつ」が欲しいらしい。できればキラキラしていて、あわよくば美味しいやつを。
「ふふ、分かりました。とっておきの苗がありますよ」
大家さんが温室から持ってきたのは、葉の表面がキラキラと輝く不思議な苗だった。
「これは『アイスプラント』。別名、クリスタルリーフですよ」
大家さんが鉢を差し出すと、部屋の照明を受けて、植物全体がダイヤモンドダストをまぶしたようにキラキラと乱反射した。
「……!」
私は思わず眼鏡の位置を直した。
それは植物というより、まるで精巧なガラス細工か、あるいは水晶の結晶が成長して葉の形になったかのような美しさだ。
「綺麗ですねぇ……。これを見ていると、小樽の『北一硝子』を思い出しますよ」
私は55歳の懐かしい記憶に目を細めた。
小樽の堺町通り。古い石造りの倉庫の中に無数に並ぶ、石油ランプの幻想的な灯りや、繊細なガラスの器たち。あの一帯には北一硝子以外にも小さなガラス工房が軒を連ねていて、バーナーでガラスを溶かして作る「トンボ玉製作体験」なんかができて、大人になってもちょっと楽しいのだ。
冷えたガラスのような透明感と、熱を帯びたような輝き。この植物には、あの小樽の工房で感じるワクワク感が詰まっている。
私が感嘆していると、ビリー君も「なんだなんだ」と鼻を近づけてきた。
ダウン越しに、クンクンと匂いを嗅ぐ。
……無臭だ。あのトラウマになった毒花のような、嫌な甘い匂いはしない。見た目は、彼の大好きな「光るお宝」にそっくりだ。
「Vamoose?( これ、僕ちゃんのコレクションにしていい?)」
彼がつぶらな黒い瞳で私を見上げる。
私が頷くより先に、大家さんが小さな葉を1枚ちぎって、パクリと口に入れた。
「ん、いい塩加減ですね。……さあ、ビリー君もどうぞ。これは『食べる宝石』ですから」
大家さんが差し出したキラキラの葉っぱ。
ビリー君は、「えっ、宝石って食えるの?」と驚きつつも、恐る恐る舌先で舐め……そして、カプリと噛んだ。
シャキッ。
瑞々しい音と共に、口の中に広がったのは、青臭さではなく、プチプチと弾ける食感と、しっかりとした『塩味』だった。
「Pikobabool!!( 僕ちゃん、美味い!! なんだこれ最高じゃんか!!)」
ビリー君の目がまん丸になった。
完全な肉食である彼にとって、普通の葉っぱは「味気ない草」だが、このミネラルたっぷりの塩味は、本本能に直接訴えかける美味さらしい。
まるで、上質な岩塩をまぶした極上のサラダだ。彼は「もっとよこせ!」とばかりに大家さんの手に頬擦りをした。
「よかった。これなら地下の乾燥エリアでもよく育つと思いますよ。苗を大事に育てて増やせば、いずれは焼肉の付け合わせとして山盛りのサラダが食べられますよ」
「山盛り」という言葉に、ビリー君の尻尾が千切れんばかりに振られた。
それ以来、ビリー君の地下室での日課がまた1つ増えた。
白亜紀エリアの薄暗がりで、小樽のガラスのように輝く「塩味の宝石」の苗にせっせと水をやり、増えるのを今か今かと待ちわびるのだ。
ビリー君の園芸ライフは、ロマンと食欲を同時に満たす、最高のものになったようだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次話も、山悟荘でお待ちしております。




