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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第7章:永遠の抜け殻とアナムネーシス
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第76話「白亜紀の美酒」

 最近のビリー君は、目が回るほど忙しい。


 朝起きると、まずは茶の間(ちゃのま)の窓辺へと直行する。「熱帯エリア」と化した我が家で巨大化しつつあるモンステラの葉を1枚ずつ丁寧にチェックし、水槽に沈めた阿寒湖土産の「マリモ」が水面に浮いていないか( 光合成で気泡がたくさん付くと浮くのだ)を、野生の真剣な目で確認する。


 地上のパトロールが終わると、今度はドタドタと階段を駆け下りて、地下40メートルの『サッポロカイギュウ広場』へと向かう。


 運動不足の55歳の私は、大家さんお手製、鉄格子と蛇腹の扉付きの「手動式エレベーター」で優雅に直行させてもらうのだが、有り余る体力を持つ彼は、自慢の強靭な脚力で階段ルートを弾丸のように駆け下りていくのだ。


 彼の目的は、広場の一角にある個室『白亜紀ジオ・フロント』である。そこで先日小さくなってしまった『古代ハオルチア・コア』に「Vamoose(ヴァムース)( グッモーニン、ベイベ〜。僕ちゃんのお出ましだぜ)」と挨拶し、自分の羽毛でこしらえたお掃除モップで埃をはらい、そっと霧吹きで葉水を与えるのが彼の日課なのだ。

 地上は24度の湿潤なジャングル、地下は地熱を利用したドライな岩盤浴気候。

 2つの全く異なる気候帯の植物を几帳面に管理するその姿は、まるで北大植物園の敏腕チーフ・ガーデナーだ。


「……で、今の彼は何をしているかというと……」


 私は朝のコーヒーを片手に、壁際で張り込み調査をしている恐竜の背中を呆れ顔で眺めていた。


 ビリー君は、茶の間(ちゃのま)の本棚のわずかな隙間を、息を殺してじーっと凝視している。その視線の先には、我が家の頼れる影の女司令塔・ハエトリグモのアダンソン先輩の姿があった。


 あの日、ハオルチアの種が先輩の古い巣から見つかって以来、ビリー君は確信してしまったのだ。

『このタキシード柄の小さなクモは、僕ちゃんの故郷の種( お宝)を家のあちこちに隠し持っている』と。


 カサカサ……。

 先輩が見回りを終え、本棚の裏から出てきた。


 ビリー君は、白亜紀の密林で狩りをするヴェロキラプトルのように音もなく忍び寄り、先輩が去った後のわずかな隙間に、ピンセットのように器用な鉤爪を差し込んだ。


Gyau(ギャウ)?( どうだ? 僕ちゃんのお宝はあったか?)」


 彼が爪の先で慎重に掻き出したのは、綿埃にまみれた、小さな黒い粒だった。

 ハオルチアの時の琥珀色とは違う。硬くてゴツゴツとした、まるで小さな隕石のような真っ黒な種だ。


Vamooooose(ヴァムォォォォス)!!( 僕ちゃんのお宝、あったぜビンゴ!!)」


 ビリー君は歓喜の声を上げ、その種を大事そうにベロの上に乗せると、脱兎のごとく地下室へと走っていった。


「おっと、待ちなさい! 誤飲するぞ!」


 私も慌ててコーヒーカップを置き、手動エレベーターに飛び乗って後を追った。


 サッポロカイギュウ広場に降り立つと、ビリー君の個室では、彼がすでに空っぽの新しい信楽焼の鉢の前でスタンバイしていた。彼は私を見て、顎で鉢をしゃくり、「早く土を入れろ」と偉そうに催促する。


「はいはい、ただいま。……まったく、君のおかげで私も大忙しだよ」


 私は苦笑しながら、タフブネで作っておいた地下専用の配合土を鉢に入れる。水はけを最優先した特製ブレンドだ。

 ビリー君は、私の手元を現場監督のような真剣な眼差しで監修し、種が植え終わると、満足げに尻尾を1回「バン!」と床に打ち付けた。


「やあ、アキラさん。今日も朝から精が出ますねぇ」


 そこへ、地熱システムの点検に来ていた大家さんが顔を出した。

 部屋の棚には、すでにいくつか「正体不明の鉢」が並んでいる。どれもアダンソン先輩の隠し場所から回収された白亜紀のコレクションだ。


「蜘蛛の巣から出てくる太古の種を、恐竜がせっせと育てる……。なんだか、エリック・カールの不思議な絵本みたいですね」


 大家さんは、並んだ鉢を愛おしそうに眺めた。


「ええ。地上は熱帯ジャングル、地下は白亜紀の砂漠。この家はどんどん時代も気候もごちゃ混ぜになっていきますよ」


「ふふ、良いではありませんか。多様性こそが進化の源ですしね」


 ビリー君は、植えたばかりの鉢に「早く出ろよ」とばかりに温かい鼻息を吹きかける。

 そしてふと、大家さんの作業着のポケットから覗いている『メブキ・マックス( 改良版)』のスプレーボトルを、金色の瞳でチラリと一瞥したのを、私は見逃さなかった。


 その後、ビリー君は壁の時計を見てハッとした顔をし、「Vamoose(ヴァムース)!( そろそろ上のマリモの時間だ! お日さんの角度が変わるぜ、僕ちゃん忙しい!)」と、慌ただしく階段を駆け登っていった。


 上へ下へと大忙しの小さな庭師。

 アダンソン先輩の「隠し財産」はまだ家のあちこちに眠っているらしい。私たちの発掘作業と育成の日々は、外の雪解けのスピードよりもずっと早く進んでいきそうだった。


 ――そして、数日後。


 私とビリー君、そしてアダンソン先輩は、地下の『白亜紀ジオ・フロント』にて見回りを行っていた。お目当ては、先日先輩の巣から発掘された、あの「隕石のような種」の成長具合だ。


「……咲いてるな」


 私はビリー君をジロリと見つめた。数日しか経っていないのに、あの種はすでに巨大な植物へと変貌を遂げていたのだ。あの朝、大家さんのポケットからこっそりスプレーをくすねたに違いない。

 私の視線に対し、ビリー君はあからさまに目を逸らし、「僕ちゃん何も知りませ〜ん」とばかりに口笛を吹くような顔をしている。まったく、このふてぶてしい態度も少し微笑ましいと感じてしまうのだから、親心とは恐ろしい。


 鉢からは、捻じれた太い(つる)が支柱に複雑に絡みつき、その先端に巨大なラッパ状の花が1つ、妖しく開いていた。

 色は鮮烈な黄色と、毒々しい紫のストライプ模様。まるで熱帯雨林の奥深くで虫を待ち構える、巨大な食虫植物のようだ。


Vamoose(ヴァムース)?( ん〜? なんだか凄くいい匂いがするじゃん、僕ちゃん好みだぜ)」


 ビリー君が興味深そうに鼻を近づけ、クンクンと匂いを嗅いだ。

 私も釣られて顔を近づける。


 ……芳醇だ。地下特有の地熱の暖かさの中に、熟しきった夕張メロンの甘さと、オーク樽で何十年も寝かせた極上のブランデーを混ぜ合わせたような、濃厚で暴力的な甘い香りが漂っている。

 まるで、ニッカウヰスキー余市蒸溜所の原酒庫に迷い込んだかのようだ。


 次の瞬間だった。


「……ヒック!」


 ビリー君の金色の瞳が、突然トロンとだらしなく垂れ下がり、足元が激しくおぼつかなくなった。金曜日のすすきのを歩く千鳥足のサラリーマンのように、その場でふらふらと謎のステップを踏み始めたのだ。


「おいおい、ビリー君。どうしたんだ……って、あれ?」


 巨体を支えようと手を伸ばした私の視界も、急にグニャリと歪んだ。

 膝からカクンと力が抜け、その場にへたり込む。


 おかしい。気分は悪くない。いや、悪くないどころか、とてつもなく『気分が良い』のだ。脳内のセロトニンとドーパミンが、蛇口全開でドバドバと溢れ出しているような無敵の多幸感。


 この異常事態に、唯一冷静に反応できたのがアダンソン先輩だった。


 先輩は、私がヘラヘラ笑いながら床に崩れ落ちる寸前に私の肩から飛び降り、8本の脚をフル回転させて、スタコラサッサと階段を駆け上がっていった。

 その小さな背中は、『まったく、世話が焼ける大馬鹿野郎どもだよ!』と雄弁に語っていた。


 数分後。

 分厚い不織布マスクをした大家さんが、アダンソン先輩に先導されて地下に降りてきた。


「やあやあ、アダンソン君が必死に手招きするから急いで来てみましたが……うわあ、これはすごい匂いですね。私はシラカバ花粉症で完全に鼻が詰まっていて助かりましたよ」


 大家さんは、床でへべれけになっている私たちを見ても全く動じず、手元の小型分析器でラッパ状の花が放つ成分を冷静に解析し始めた。

 その横で、アダンソン先輩が前脚を必死に振り上げている。


『おい老眼眼鏡! 解毒剤だ! こいつらを早く正気に戻す薬を作れ!』とでも訴えているのだろう。


「ふむふむ……揮発性の高い特殊なアルカロイドと、エタノール類似成分が大量に含まれていますね。要するに、密閉空間に『度数96%のスピリタスの蒸気』を充満させているようなものですよ」


 大家さんは分析器を閉じると、焦る先輩に向かってニッコリと笑った。


「大丈夫、解毒剤なんていりませんよ。放っておけばそのうち抜けて治りますから」


 視界がぐるぐる回る中で、私は大家さんがハエトリグモと会話をしているのを見て、だらしなく口角を上げた。

 あはは、大家さんがクモと喋ってるよ。愉快だねぇ、傑作だ。

 

『マジかお前!? 見殺しか!?』と先輩が仰け反る。


「だってお酒みたいなものですし。無理に化学的な薬を使うより、お水をたっぷり飲ませて、一晩寝かせておくのが一番の良薬です。とりあえず、揮発成分が薄まる広場の方に引きずり出しましょうかね」


 そんな大家さんと先輩の緊迫した攻防など、今の私にはどうでもよかった。

 私の目には、世界が万華鏡のようにキラキラと輝いて見えていたからだ。


「あはは……すごいよビリー君。天井のサッポロカイギュウが、骨のまま泳いでるよ」


 普段の薄暗い地下室が、極彩色のネオンライトに満ち溢れている。

 紫外線帯まで見えるという鳥類や恐竜の視界は、もしかすると普段からこんなにも鮮やかな世界なのだろうか。


「|Vamooooose〜《ヴァムォォォォス〜》♪( 世界が回るぜ〜♪ 肉が踊るぜヒャッハー〜♪ 僕ちゃん最高〜♪)」


「そうだねぇ、回るねぇ。楽しいねぇ。……大家さーん! あと生ビールもう1杯!」


 私はビリー君の太い首に極太の腕を回し、1人と1匹でヘラヘラとだらしなく笑い合っていた。普段のハードボイルドで几帳面な私なら絶対にありえない、陽気すぎる泥酔状態だ。


「そういえば昔、ダイバーの潜水病の一種で『窒素酔い』というのがありましたっけねぇ……。深海で高圧の空気を吸うと、異常な多幸感を覚えてハイになってしまうっていう」


 大家さんが呆れ顔で呟く。

 隣の部屋にある古代ハオルチアが放出する「高濃度酸素」と、この謎の花の「アルコール蒸気」の相乗効果か。

 ここはまさに、時空を超えた白亜紀の竜宮城だ。


 結局、その夜はずっと地下で狂乱の宴( ただの泥酔)が続いた。

 何故か被害に遭わなかったアダンソン先輩だけが、小さな体で甲斐甲斐しく働いていた。


 ふらついて水入れをひっくり返すビリー君の口元をティッシュの切れ端で拭き、意味不明な昭和の演歌を大声で歌って寝落ちした私に、器用に糸を吐いてタオルケットをズリズリと引きずってかけ( 実際は大家さんがかけてくれたものと思われる)、2人が変な寝相で窒息しないように、カイギュウの肋骨の高いところから徹夜で見張り続ける。


 小さなタキシード柄のハエトリグモの背中が、この時ばかりはとても大きく、そして哀愁を帯びて疲れ切って見えたことだろう。


 翌朝、私とビリー君が頭の割れるような酷い二日酔いで目覚めたとき。私たちの枕元には、先輩からの「冷ややかな8つの視線」という名の、何よりも恐ろしいプレゼントが置かれていたのだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次話も、山悟荘でお待ちしております。

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