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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第7章:永遠の抜け殻とアナムネーシス
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第73話「白亜紀の種と、嫉妬のハオルチア」

 ヴェロキラプトルという恐竜を知っているだろうか?

 6600万年前の白亜紀後期、アジア大陸を支配していたとされる小型の獣脚類。発達した脳と群れで狩りをする高い知能を持ち、後肢には獲物を引き裂くための巨大な「鉤爪」を備えた、完全なる殺戮兵器――それが、古生物学における一般的な彼らの評価である。

 

 だが、事実は小説よりも奇なり、だ。


Vamoose(ヴァムース)……( スースー……こたつの温度、僕ちゃんにはチョー適温だぜ……)」


 現在、我が家の茶の間(ちゃのま)。その殺戮兵器は、オレンジ色迷彩の特注ダウンを着込み、こたつ布団に頭だけ突っ込んで、だらしない顔で幸せそうに爆睡している。

 彼こそが、我が壱拾六軒町内会じゅうろっけんちょうないかいの立派な住人にして、私の相棒で白亜紀のハンター、ヴェロキラプトルのビリー君だ。


 札幌の3月下旬は、太陽パワーハラスメントで幕を開けた。今年の春は予想に反して意外なほど早く訪れた。

 窓の外はまだ、泥と黒ずんだ残雪がせめぎ合う戦場だが、ガラス越しに差し込む陽光だけは真夏のように鋭く、そして白い。


 私がフローリングの掃除をしている最中、茶の間(ちゃのま)のカーテンレールの上で奇妙なものを見つけたのは、本当に偶然だった。

 我が家の頼れる影の女司令塔・アダンソン先輩( タキシード柄のハエトリグモ)が放棄した、古い巣だ。白い糸がテントのように張られている。


 掃除機で吸い込む前に何気なく中を確認して、私は「おや」と声を漏らした。

 糸のベッドの中に、琥珀色の小さな粒が、まるで宝物のように大切に包まれていたからだ。


「……宝石? いや、種か?」


 小指の爪ほどの大きさで、半透明の飴のような質感。

 おそらく、1年以上前にビリー君が未来の輸送機からこの庭へ落っこちてきた、というか、転移してきた際、彼の足の裏か羽毛に付着していたものが落ち、それを先輩がコレクションでもしていたのだろう。


「先輩もなかなか目利きだな。白亜紀の植物の種が、蜘蛛の巣のゆりかごで休眠していたとは」


 私の『植物オタク』の血が、静かに騒ぎ出した。

 北海道の住宅は、徹底した断熱気密のおかげで冬でも「常春(とこはる)」だ。

 私はガレージから、ストックしておいた土の袋を引っ張り出した。


『DCM キレイなサボテン・多肉植物の土( 室内用)』


 このパッケージの裏にデカデカと書かれている【堆肥不使用で虫が寄り付きにくい】という謳い文句こそが、私にとっての絶対的な正義なのだ。


 本来、種まきには保水性の高い「種まき用土」を使うのがセオリーである。このDCMの土は粒状の軽石ベースで水はけが良すぎるし、粒の隙間に種が落ちてしまうため、発芽には全く向かない。

 だが、有機質の土を使えば、暖房の効いた北海道の室内では高確率で「キノコバエ」という厄介な羽虫が発生する。あの土の上をもしょもしょと這い回る不快な虫を許容するくらいなら、私は発芽率の低下を甘んじて受け入れる男なのだ。


 私はお気に入りの信楽焼の小鉢に、その清潔な白い粒状土をサラサラと流し込み、ピンセットで慎重に琥珀色の種を置いた。


「ふむふむ。アキラさん、面白いものを拾いましたねえ」


 土の乾いた音を聞きつけたのか、大家さんがニコニコと部屋に入ってきた。その手には見慣れない、メカメカしいノズルがついたスプレーボトルを握っている。

 

「大家さん、その物騒なスプレーは一体……?」


「これですか? 地下プラントのバイオトイレから抽出した究極の有機成分を、分子レベルで再構築した植物活性剤『メブキ・マックス( 春一番カスタム)』ですよ」


 大家さんは、まるで孫に手作りの飴玉でもあげるような優しい好々爺(こうこうや)の口調で、とんでもないマッドサイエンスを口にした。


「成分が少し濃いので、ひと吹きでどんな古い種も文字通り『目を覚まし』ますよ。ちょっと便利だと思いませんか」


「あ、いえ、それは助かりますが、この土は水はけが良すぎるので加減を……」


「遠慮なさらず。さあ、春ですよ〜」


 止める間もなかった。

 大家さんは「シュッシュッ!」と、軽快なリズムで3回もトリガーを引いた。霧のような液体が、白い粒状土の隙間に吸い込まれていく。


「ああっ! 大家さん、多肉植物の種に過剰な水分と栄養は厳禁で……!」


 私が悲鳴を上げた、その時だ。


 ボコッ。


 鉢の中の土が、まるで内側から意思を持った生き物のように盛り上がった。

 琥珀色の種が「パカン!」と小気味よい音を立てて弾け割れる。


「……おぅっ?」


 そこからの光景は、生物学の常識を完全に置き去りにした「早送り動画」だった。


 双葉が出たコンマ数秒後には、肉厚な本葉がフラクタルな螺旋を描いて展開し、瑞々しい緑の塔が形成されていく。粒の粗い土などお構いなしに太い根が縦横無尽に張り巡らされ、本来なら半年、いや1年かけてじっくりと愛でるはずの成長過程が、わずか10秒で完結してしまったのだ。


「……育ちすぎです!!」


 私の50代の絶叫が響いた時には、そこには直径7センチほどの立派なロゼット( 葉の広がり)がどっしりと鎮座していた。


 先端が丸く、透き通るような「窓」を持つ、見たこともないハオルチアの一種だ。現代の園芸品種である「オブツーサ」によく似ているが、窓の透明度が段違いで、内側から青白い燐光のようなものを放っている。


「おやあ、少しサービスしすぎましたかね? でも、すぐに正体がわかって良かったじゃありませんか」


 大家さんは「てへっ」と舌を出しそうな顔で、のんきに笑っている。悪気はゼロだ。むしろ「良い仕事をした」という職人の顔をしている。


 私は、一瞬にして奪われた「毎朝の成長観察の楽しみ」への強烈な未練と、目の前にある未知の古代植物のあまりの美しさに、深い溜息をついた。


Vamoose(ヴァムース)……( ジュルリ……)」


「!!」


 背後で野性的な音がした。

 振り返ると、騒ぎを聞きつけてこたつから這い出してきたビリー君が、プルプルに育ったハオルチアの葉を至近距離で凝視している。その瞳は、獲物を狙う時の冷酷な「金色」になっていた。


Vamoose(ヴァムース)……( なんだこの極上のマスカットは……僕ちゃんの大好物じゃんか……)」


「だめだぞビリー! これは食べ物じゃない! うちの新しい同居人だ!」


 私は慌てて鉢を抱え、彼の口が絶対に届かない高い本棚の上へと避難させた。

 ビリー君は「Namoose(ナムース)( なんだよケチ、僕ちゃんにも一口くれよ)」と不満げに喉を鳴らし、大家さんの足元に擦り寄って慰めを求めている。


 窓の外を見れば、まだ白い雪山が残っている。だが、大家さんの発明のおかげで、私の部屋の鉢の上だけは季節を飛び越えてしまったようだ。

 DCMの清潔な土の上で青白く光る太古のハオルチアを見上げながら、私は極太の腕を組んだ。これからの世話( と、食いしん坊からの防衛戦)は、色々と骨が折れそうだ。


 その日の夜。


 大家さんの特製スプレーによって数ヶ月の時を飛ばして成体へと育ってしまった古代ハオルチア。私は、その透き通るような葉の美しさにすっかり魅了され、夕食の片付けもそこそこに観察を続けていた。地下の岩盤浴で無敵の肉体を取り戻しているとはいえ、身長190センチ以上の巨漢が前屈みの姿勢を2時間も維持して小さな鉢を見つめ続けているのだから、我ながらこれは相当な執着である。


「……すごい。現代のオブツーサやピリフェラよりも、窓の透明度が圧倒的だ。まるで上質な『水入り水晶』を見ているようだな」


 10倍ルーペ越しに見る葉の世界は、神秘的だった。

 ぷっくりと膨らんだ葉の内部には、幾何学的な葉脈が走り、それが水分をたっぷりと蓄えてプルプルと震えている。植物というよりは、大自然が作り出した精巧なガラス細工、あるいは生きている宝石だ。


「ごめんね、アキラさん。私が張り切ってスプレーしすぎちゃったせいで、一番楽しい『育てる過程』を奪ってしまいましたね」


 背後から、申し訳なさそうな声がした。

 大家さんが、お詫びの品としてセイコーマートの「苺のショートケーキ」( もちろん、値引きシールなしの定価品だ)を差し入れに持ってきてくれたのだ。


「いえ、大家さん。お気遣いなく。おかげですぐにこの美しい姿を拝めましたから。……それに見てください、この数値を」


 私がデスクに設置した『CO2モニター』の数値を指差すと、大家さんは「おや?」と眼鏡の位置を直して覗き込んだ。


「……二酸化炭素の数値が急激に下がっていますね。それに、部屋の空気がまるで森林浴をしているみたいに澄んでいるような気が」


「ええ。ハオルチアなどの多肉植物は、夜に気孔を開いて呼吸するCAM(カム)植物ですが、この古代種は酸素の放出量が桁違いみたいです。小さな空気清浄機以上のパワーですよ」


 日が沈み、部屋の照明を落として就寝の時間になると、さらなる異変が起きた。

 暗闇の中で、ハオルチアの透明な窓が、ぼんやりと青白く発光し始めたのだ。


「わあ……! 綺麗ですねぇ」


 大家さんが、少年のように目を輝かせた。


「微弱なバイオルミネセンス( 生物発光)ですかねぇ? 白亜紀の夜は暗かったから、こうして光ることで夜行性の昆虫をおびき寄せて、受粉の手伝いをさせていたのかもしれませんね」


 その幻想的な光は、部屋を優しく照らすナイトライトのようだ。

 すると、いつの間にかビリー君がトコトコと歩いてきて、私のベッド……ではなく、本棚から下ろしたハオルチアの鉢の横にドサリと横になった。


Vamoose(ヴァムース)……( スースー……ここ、僕ちゃん好みのいい匂いがするぜ……)」


 ビリー君は、ハオルチアから吹き出す高濃度の酸素を胸いっぱいに吸い込み、うっとりと目を閉じている。

 どうやら、この植物の出す清浄な空気は、彼にとっても懐かしい「故郷の成分」に近いのかもしれない。


「ふふ、ビリー君もすっかり気に入ったみたいですねぇ」


 大家さんが、ビリー君の迷彩ダウンの背中を優しく撫でた。


「地下の『白亜紀ジオ・フロント』もいいけれど、寝る時はこの『酸素バー』のそばが良いみたいですね」


「……そうですね」


 大家さんは「明日もまた、観察日記をつけに来てもいいですか?」と優しく微笑んで、そっとドアを閉めて帰っていった。


 部屋には静寂と、清浄な空気が残された。

 私が寝支度を整えてベッドに入ると、暗闇の中で青白く光るハオルチアが、ビリー君の寝息に合わせて、呼応するように明滅しているのが見えた。


 スーッ( 光が強くなる)

 ハーーッ( 光が弱まる)


 まるで、ビリー君に寄り添って一緒に呼吸をしているようだ。

 古代の植物と、古代の恐竜。2つの命が共鳴する美しい光景だ。


 だが、私はタオルケットを首元まで引き上げながら、言いようのない寒さを感じていた。

 いつもなら、私の足元に「ずしっ」と乗っかってくる約15キロの温かい重みがないのだ。私の足を湯たんぽ代わりに使う「俺様ラプトル」は、今夜はあの光る草の方を選んだのである。


「……おやすみ、ハオルチア。おやすみ、ビリー君」


 私は枕元で静かに輝くその「生きている宝石」を見つめながら、背中を丸めた。

 爆速で育ってしまった植物は、我が家に最高の「安眠」と、50代の独身男へのほんの少しの「嫉妬」をもたらしたようだった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次話も、山悟荘でお待ちしております。

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