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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第6章:恐竜的、あまりに人間的
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第71話「ラプトル、サンプル失格」

 地下40メートル。壱拾六軒環状網じゅうろっけんかんじょうもうの要であり、この巨大な地下空間を支える『サッポロカイギュウ』の化石柱が荘厳に鎮座する広場。


 天北の砂金によって安定した時空通信モニターの向こうで、未来のオペレーターは申し訳なさそうにハの字に眉を下げていた。

 無機質な画面の端には、『生体サンプル B-1107 輸送事故報告書』という堅苦しいタイトルのデータが明滅している。


『……当時の輸送記録をサルベージした結果、彼がこの時代に落下したのは、不可抗力による事故だったことが判明しました』


 オペレーターは翻訳機越しに、静かな声で語り始めた。


『そちらの時間で約1年前、白亜紀からサンプルを移送する途中、輸送機が想定外の大規模な磁気嵐に遭遇したもようです。その衝撃で貨物室のロックが破損し、コンテナの1つが、開いた亜空間の亀裂へと滑り落ちてしまった……と報告されています。輸送機のAIも一部破損したため、あくまで推測の域を出ない部分もありますが』


「……なるほど。つまりビリー君は、不要になって捨てられたわけじゃなくて、時空の『迷子』だったというわけですね」


 大家さんが、張り詰めていた空気を解きほぐすように、穏やかに深く頷いた。

 私も、ドウェイン・ジョンソンのような極太の腕を組んだまま、静かに息を吐いた。


 未来の彼らは、決して冷酷に命をゴミのように捨てたわけではなかったのだ。突然の磁気嵐の揺れで船外へ放り出され、時空の激流に流された1匹の恐竜。それが奇跡的に、現代の札幌――『16の一族』の末裔がいるこの壱拾六軒町内会じゅうろっけんちょうないかいの庭先へと漂着した、ということか。


『我々も長らく彼の行方を捜索していましたが、まさか過去の時代で生存しているとは……先日の回収時も、まさか彼が人間に飼育されているとは思わず、船内でのあまりの暴れっぷりに、AIが慌てて放出したようです』


 オペレーターの視線が、モニター越しに私の足元へと注がれた。


 そこには、例の第一ゴム特注『山吹色の長靴( 極限チューンナップ版)』を履き、地熱暖房の効いたポカポカの床に寝そべって、私が与えた「ニジマスの燻製」を幸せそうに頬張っているビリー君の姿があった。


 私が庭の燻製器で、桜のチップを使って3日3晩じっくりと冷燻(れいくん)にかけた自家製の逸品である。ニジマスの濃厚な脂と、スモーキーな香りが絶妙に絡み合う、ニッカウヰスキーにぴったりな冬の北海道スローライフのおつまみだ。


Pikobabool(ピコバブール)……( このスモークは極上だぜ、世話焼きなATM( パパ)……もっと僕ちゃんに与え給え……)」


 ビリー君は金色の瞳をとろんとさせ、燻製の脂でテカテカになった口元を器用に舌で舐め回している。


『……しかし、彼を再び回収し、我々の管理下に戻すことは断念せざるを得ません』


「どうしてですか? あなたたちにとって、彼は喉から手が出るほど欲しい、貴重な白亜紀の生体サンプルなんでしょう?」


 私が尋ねると、オペレーターは複雑な表情で、ゆっくりと首を横に振った。


『見てください、今の彼を。……調理され、香り付けされた嗜好品( 食事)を好み、あまつさえ自分の足に合わせた特注の靴を履きこなし、人間に対して警戒心を持つどころか、完全に家族として甘え切っている』


 オペレーターは、科学者としての見解を淡々と、しかしどこか温かい眼差しで告げた。


『彼は、あまりにも人間社会に適応しすぎてしまいました。野生の獰猛さや、群れで狩りをする本来の生態データは、この現代での「のうのうとした暮らし」によって完全に上書きされています。……はっきり言えば、彼はもう白亜紀の恐竜( サンプル)ではありません。ただの「愛すべきペット」です』


「……」


 私は思わず絶句した。

 ヒグマをも撃退する毒ガス( オナラ)を放ち、未来のアンドロイドを物理的に噛み砕く怪獣を指して「愛すべきペット」とは、未来人もなかなか大胆な解釈をする。だが、言わんとしていることは痛いほど分かった。


「……サンプルとしては失格、ということですか」


『ええ。今の彼を、元の群れもいない過酷な白亜紀の荒野に戻しても、もう生きてはいけないでしょう。それに……』


 オペレーターはモニター越しに、少しだけ柔らかく微笑んだ。


『彼自身、野生に戻ることなど一切望んでいないように見えます』


 私は足元で寝転がるビリー君を見下ろした。

 彼は私の視線に気づくと、「ん? まだ魚あるのか?」と言わんばかりに、つぶらな「黒( シマエナガ風)」の瞳で私を見上げ、短い前脚で私のズボンの裾をツンツンと引っ張った。


 ……確かに。

 今の彼を、弱肉強食の白亜紀に戻すのはあまりにも残酷だろう。

 彼はもう、床暖と、美味しい手料理、そして雪道でも滑らないお洒落な山吹色の長靴の快適さを知ってしまったのだから。


「……そうですか。なら、仕方ないですね」


 私はわざとらしく、やれやれといった風に広い肩をすくめてみせた。大家さんも、私の横でニッコリと満面の笑みを浮かべた。


「ええ。サンプルとして使い物にならない不良品なら、私たちがこの壱拾六軒町内会じゅうろっけんちょうないかいで、最後まで責任を持って引き取るしかありませんね。そう思いませんか?」


『……ええ、お願いします。それがきっと、彼にとって一番の幸せでしょうから』


 オペレーターはモニターの向こうで、深く、敬意を込めて頭を下げた。


 こうして、ビリー君の「所有権」は正式に、そして完全に、未来の管理者たちから現代の私たちへと移譲された。


 彼はもう、空から降ってきた落し物でも、管理されるべきサンプルでもない。

 人間の世界で美味しいものを食べ、温かい布団で眠ることを自ら選んだ、世界で1匹だけの『壱拾六軒町内会じゅうろっけんちょうないかいのビリー君』になったのだ。


「よかったな、ビリー君。お前はもう、今日から正真正銘、うちの子だぞ」


 私がしゃがみ込み、彼の硬い鱗に覆われた頭を大きな手でわしゃわしゃと撫でてやると、彼は燻製のいい匂いがする口で、私の極太の指先を嬉しそうに甘噛みした。


Vamoose(ヴァムース)!( 当たり前だろ! ここは最高にクールな僕ちゃんのスイートホームだからな!)」


 通信が切れ、モニターが静かに暗転する。

 地上では、雪がまだしんしんと降り続いているはずだ。だが、サッポロカイギュウが見守るこの地下室には、まるで春が訪れたかのような、どうしようもなく温かい空気が満ちていた。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

もしよろしければ、ブックマークや評価をいただけますと、執筆の大きな励みになります。

次話も、山悟荘でお待ちしております。

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