第70話「共鳴するアンモナイト」
極寒の天北から札幌・壱拾六軒町内会へと帰還した私たちは、心地よい疲労感に包まれながら、山悟荘の地下40メートルの『サッポロカイギュウ広場』へと集まっていた。
ブラックシリカ仕上げの、オリビンサンド、そしてゼオライトを配合した「白亜紀三和土たたきブラックシリカ散布工法ライト仕上げ」の床は、地熱システムのおかげでポカポカと暖かい。
空間の中央には、この地下室を支える大黒柱として『サッポロカイギュウ』の巨大な化石が荘厳に鎮座しており、この空間自体が太古の海の底にある生き物の胎内のようだった。
作業机に向かう大家さんの手元では、天北の川底から持ち帰った「時空の揺らぎを吸った砂金」が、丁寧な手つきで高純度の黄金の導線へと精製されていた。
それは神主さんから預かった古文書の図解をなぞるように、広場にあるゲートと庭の灯籠( トロゲート・システムと呼ぼう)を制御する通信装置の基板へと、1本1本緻密に組み込まれていく。
「うーん……おかしいですね。どうも、ここの位相調整がうまくいきません」
大家さんははんだごてを置き、少し困ったように目頭を揉んで、私に微笑みかけた。
「アキラさん、悪いんですがちょっと手伝ってもらえませんか? 最近どうも、細かい数字や基板の線が霞んでしまって。歳のせいにはしたくないんですがね」
「お安い御用ですよ。どの部分ですか?」
私は極太の腕をまくり上げ、彼の隣に座った。絶好調の50代の肉体は、長旅の疲労など微塵も感じさせていない。
「このメイン回路の最終調整なんですよ。ゲートの不安定な波長をピタリと束ねる通信アンテナを作るには、自然界で最もエネルギーを効率よく収束させる『完璧な螺旋のカーブ』の数値が必要なんです」
「……不安定な波長を束ねる? 大家さん、それって……もしかして、アインシュタイン=ローゼン橋ってヤツですか!?」
私の隠れSFオタクとしての血が騒ぎ、思わず身を乗り出した。時空のトンネル、いわゆるワームホールを安定させるためのアンテナを自作しようとしているのか、この人は。
「ええ、その通りです」
大家さんはモニターの複雑な波形を指差し、楽しそうに言葉を続けた。
「そこで、アキラさんが天北で見つけたそのアンモナイトの出番なんですよ。何千万年もかけて自然が作り出した『対数螺旋』を描いているはずです。その巻きの比率が、私たちの探している黄金比と寸分違わず合致しているか、精密画家のあなたの目で見てくれませんか?」
大家さんは1人で抱え込まず、いつもこうして私を頼りにしてくれる。天才エンジニアでありながら、周囲を巻き込むこの人の「隙」こそが、好々爺たる彼の最大の魅力だ。
私はモニターの複雑な数値と、手元にあるメノウ化したミルキーなアンモナイトの美しい螺旋を交互に見比べた。
子供向け絵本の柔らかなタッチを描く一方で、ミリ単位の化石画を描き出す私の『精密画家』としての目が、その完璧な比率を瞬時に捉える。
「ええ、間違いありません。安定値は1.618――フィボナッチ数列の収束値と完全に一致していますよ、大家さん。この数値を係数として入力すれば、時空の波長と位相がピッタリ合うはず……です( SF的には)」
「おお、やっぱり! アキラさんのその目で見てもらうと、霧が晴れたみたいに安心しますよ。ありがとう、これでいけます!」
大家さんは少年のように顔を輝かせ、嬉しそうにキーボードを叩き始めた。
彼が楽しそうに装置の最終仕上げを行っている間、私は作業机の端に専用のルーペをセットし、のんきに例のアンモナイトのクリーニング作業を始めた。
極細のタガネとピンバイスを使い、母岩をコンマ数ミリずつ削っていく。カリカリ、という心地よい音が地下室に響き、真珠のような光沢を放つ乳白色の殻が少しずつ姿を現す。至福の時間だ。
すると私の横で、特注ダウンを脱いだビリー君が、器用に椅子に座って私の真似を始めた。
彼は天北でちゃっかり確保していた自分用のゴツゴツしたジオード( 晶洞石)を短い前脚で抱え込み、ピンセットのように繊細な鉤爪の先で、「カリ……カリ……」と懸命に石を削っているのだ。
「Vamoose……( なるほど、ここをこう削るんだな……ATM( パパ)みたいに上手くやるぜ……)」
「ビリー君、上手だね。でもそこは少し層が柔らかいから、力を抜いて優しく削るんだよ」
「Vamoose!( 分かった! 僕ちゃんに任せろ!)」
巨漢のスキンヘッドと、白亜紀の自称頂点捕食者のヴェロキラプトルが、カイギュウの化石柱の傍らで並んで机に向かってカリカリと石を削っている図。傍から見れば謎すぎる光景だが、私たちにとってはこれが平和の象徴だ。
アダンソン先輩も、一番暖かいWi-Fiルーターの上に陣取り、8つの瞳で私たちの作業をのんびりと見守っていた。
大家さんは時折はんだごてから顔を上げ、私たちを孫でも見るかのように目を細めて眺めながら、調整を続けていた。
深夜。ついに、その時が来た。
装置に組み込まれた黄金の回路が、脈打つように淡く発光し、モニターの数値が古文書の予言と完全に重なった。
「……できましたね。アキラさん、ビリー君。スイッチ、入れてもいいでしょうか?」
私たちが頷くと、大家さんがそっとメインレバーを倒した。
ブゥゥゥン……。
地下室の空気がふわりと温かくなり、気圧が微かに変化した。庭の灯籠( トロゲート)と連動した巨大な装置から、低く心地よい旋律のような起動音が流れ出す……シュトラウスの「美しき青きドナウ」だ……。
【双方向通信の確立・イベントホライズン安定】
大家さんによると「美しき青きドナウ」が流れたということは成功した、ということらしい。つまり、今まで「一方的にビリー君を吐き出すだけ」の非常脱出路だったゲートが、天北の砂金の共鳴によって、ついに未来の管理者と『声と映像』が通じる完全な窓になったのだ。
メインモニターが激しく瞬き、砂嵐が晴れる。
そこに映し出されたのは、あの屈辱的なホログラムの返品理由書を書き、ビリー君を追い出したであろう未来人のオペレーターの姿だった。
無機質なスーツに身を包んだオペレーターは、画面が繋がった瞬間、驚愕に目を見開いて絶句した。
無理もない。彼らのモニターに映っているのは、高度な知性を持つはずの自分たちの同胞( 大家さん)が、返品したはずの「極めて凶暴な破壊神( ビリー君)」と、丸太のような腕を持つ巨漢と一緒に並んで、のんきに化石を磨いている光景なのだから。
だが、オペレーターは私たちのその穏やかな様子を見て、ふと張り詰めていた表情を和らげた。
そして、自分の胸元にある紋章を指差したのだ。
そこには、『16』という数字を幾何学的に象ったエンブレムが輝いていた。それは、大家さんの家の蔵の扉や、神主さんの装束にひっそりと刻まれている意匠と全く同じものだった。
「……やっぱり、そうでしたか」
大家さんが、感極まったように、しかしどこか納得したように呟いた。
「あなたたちは、我々の遠い親戚……あるいは、同じ『時空のゲートを守る』という役割を持った同胞なんですね」
未来人のオペレーターはゆっくりと頷き、静かな声で語り始めた。
『その通りです。我々「16の一族」と呼ばれる部署は、サンプル収集と時空の安定を図る守り人として全時代に配置されました。……しかし、我々のいる時代では、効率的な「管理」が目的になりすぎてしまった。生命をただのデータやサンプルとして扱い、少しでも不都合があれば排除する。ヴェロキラプトルを即座に放棄したのも、その傲慢さゆえです』
オペレーターの視線は、私の隣で、見事に削り出したジオードの結晶を自慢げに掲げているビリー君へと注がれた。
『ですが、あなた方は違った。長い年月の間に「守り人」としての本来の役割を忘れ、ただの「隣人」として生きる中で……あなた方は我々が失った「心」を持ち続けていた。未知の生物をサンプルとしてではなく、家族として接する優しさを。あなたがたの先祖がその地に16軒の家を建てたのは、いつか冷たい管理を超えた「情」が育つことを期待していたからかもしれません』
大家さんはそれを聞き、照れくさそうに頭を掻いた。
「いやぁ、難しいことは分かりませんけどね。この町内会では、ビリー君がいないと冬の雪かきも楽しくないし、出前を取ったラーメンも美味しくないんですよ。彼を回収されては、ご近所付き合いに支障が出ますから」
その言葉に、画面の向こうで、無機質だった未来人たちが小さく、しかし温かく笑う声が聞こえた。
かつては世界の均衡を守るため、使命のためだけに集まったエージェントたち。しかし彼らは世代を重ねるうちに、自分たちが「組織の末裔」であることよりも、「結束の強い、温かい町内会」であることを無意識に選んでいたのだ。
「Vamoose!( 僕ちゃんはここがいいんだよ!)」
ビリー君が磨き上げた石を高く掲げて力強く吠えると、まるでそれに呼応するように、通信機は穏やかな黄金の光を放ちながら、完全に安定した。
「さあ、大家さん。これで正式に、ビリー君はうちの住人だと認めさせたわけですね」
「ええ。これからは厄介な監査役としてではなく、時空を超えた『親戚』として、のんびり付き合っていけそうですよ」
クリーニングを終えた私の手元で、メノウ化したミルキーなアンモナイトが、この奇跡を祝福するように淡く輝いていた。
壱拾六軒町内会。
そこは間違いなく、この時空で最も温かい、「役割を忘れた守り人たち」の帰るべき居場所になったのだった。
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次話も、山悟荘でお待ちしております。




