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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第6章:恐竜的、あまりに人間的
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第67話「最果てのウソタンナイ」

 旭川を抜け、名寄を越えたあたりから、景色は完全に「白」と「黒」だけの水墨画の世界へと変わった。

 ハヤテ君の宣言通り、雪鯨号(ユキクジラ)は地図上から消えた道へとその重厚なキャタピラを滑り込ませた。


「ここから先は、かつての『天北線(てんぽくせん)』の路盤跡です。一般の四駆車なら数メートルで腹がつかえて埋まりますが、大家さんのこのクローラーなら、雪の上のフリーパスっすね」


 ハヤテ君が巧みにステアリングとレバーを操ると、雪鯨号(ユキクジラ)は猛吹雪の原野をラッセルしながら力強く突き進む。

 左右の窓の外には、かつての鉄道橋の朽ちた橋脚や、雪にすっぽりと埋もれてわずかに頭だけを出している廃止駅のホームが、まるで開拓時代の墓標のようにゆっくりと後方へ流れていく。


 視界は最悪だ。『AKR-55 Gen2( エーケーアール ゴーゴー ジェンツー)』によるナビゲーションの自車位置は完全に「道なき道」の空白地帯をひた走っている。だが、ハヤテ君の頭の中には、かつてこの地を走っていた親父さんから教わった「鉄路の記憶」と地形の起伏が、鮮明な3Dマップとして刻まれているようだった。


 助手席のゲルクッションの上で、私は静かに息を吐いた。

 地下の岩盤浴で完全回復を遂げた私の腰椎( L4・L5)は、キャタピラ特有の激しい微振動をいともたやすく吸収し、まったく悲鳴を上げない。ドウェイン・ジョンソンのような強靭な肉体を取り戻した今、この過酷な道中すら心地よいマッサージのように感じられた。


「……見えてきましたよ、皆さん。あれが浜頓別(はまとんべつ)の山筋です」


 後部座席から身を乗り出し、大家さんがフロントガラスの向こうを指差した。


 数時間に及ぶ強行軍の末、雪鯨号(ユキクジラ)はついに、かつて明治の時代に日本中の山師たちが一攫千金の夢を見た伝説の地――「浜頓別(はまとんべつ)・ウソタンナイ」の砂金掘り場へと辿り着いた。


 あたりは、圧倒的なまでの銀世界と沈黙に支配されている。夏場であれば、砂金掘り体験を楽しむ観光客や家族連れで賑わう緑豊かな親水公園も、今は人を寄せ付けないマイナス25度の氷の世界だ。砂金を孕む川は分厚い氷と雪に完全に覆い隠され、その下を流れるはずの水音さえ、一切耳に届かない。


「……着きましたね。ここが、壱拾六軒町内会じゅうろっけんちょうないかいの運命を握る、黄金が眠る場所ですか」


 私は雪鯨号(ユキクジラ)の分厚いドアを押し開け、一歩外に踏み出した。


 その瞬間、肺の奥を直接素手で握り潰されるように冷気が全身を貫いた。鼻毛が一瞬で凍りつき、瞬きをするたびにまつ毛がくっつく。札幌の寒さとは次元が違う、道北の「痛い」寒さだ。


Namoose(ナムース)!?( さ、さぶー!? なんだよこの狂った寒さは!!)」


 私の足元から勢いよく飛び出したビリー君も、あまりの寒さに空中で一瞬ピタッと硬直した。彼は極度の寒がりだ。アンズ色(オレンジ)の特注ダウンを着込んでいるとはいえ、露出している顔や尻尾の鱗から急速に体温が奪われていくのだろう。彼は慌てて雪鯨号(ユキクジラ)の暖かいキャビンへとUターンしようとした。


「こらこら、ビリー君。仕事ですよ。君の鋭い野生の勘と嗅覚、そして私のこの探知機が頼りなんですからね」


 大家さんが優しく、しかし有無を言わせぬ満面の笑顔で、ビリー君の分厚い背中をグイと押し留めた。


 ハヤテ君がエンジンを止めると、辺りは完全な、耳鳴りがするほどの静寂に包まれた。大家さんは荷台から、三脚のついたパラボラアンテナのような奇妙な機械――特製の『電磁気式・重金属選別機』をよいしょと雪の上に下ろし、氷の張った川面を見つめた。


「さて、神主さんの回覧板にあった『時空の揺らぎを吸った黄金のナゲット』ですが……観光客がパンニング皿でさらうような浅い場所には、もう残っていないでしょうね。この極寒の川底の、さらに深い岩盤の隙間に隠れているはずですよ」


 アダンソン先輩は、ダッシュボードの上で凍りついた窓越しに、外の様子を鋭い8つの瞳で伺っている。

 雪鯨号(ユキクジラ)のヘッドライトが、静まり返った雪原を青白く照らし出す。


 マイナス25度の氷を割り、川底の泥をさらう。想像しただけで凍えそうな過酷な重労働だが、今の私には有り余る筋力がある。壱拾六軒町内会じゅうろっけんちょうないかいの未来を賭けた、最果ての砂金掘りが、今ここから始まろうとしていた。


 ――が、大家さんが重い選別機のスイッチを入れようとした、その時だった。


Vamoose(ヴァムース)!!( ぬぉ〜なんだこの匂い!!)」


 寒さにガタガタと震えていたはずのビリー君が、突然何かを嗅ぎつけたように鼻面を高く上げ、猛烈な勢いで雪原の奥へと走り出したのだ。山吹色のスパイク長靴が、パウダースノーを蹴り上げる。


 彼が向かった先には、鬱蒼と茂る巨大なエゾ松の合間にポッカリと口を開けた、不思議な岩の洞窟があった。


「あ! ちょっと待て、ビリー君! どこへ行くんだ!」


 私は慌てて荷台からスノーシューを引っ張り出して登山靴に装着し、彼のアンズ色(オレンジ)の背中を追いかけて雪の中へ飛び込んだ。


「アキラさん、あまり深追いしないでくださいね! 見守りAI『AKR-55 Gen2( エーケーアール ゴーゴー ジェンツー)』がついているから心配ありませんよ〜」


 背後から大家さんの声が聞こえる。


「私はここで選別機のセットアップと、ベースキャンプ用テントの設営をしておきますから! ハヤテ君、悪いけどそっちのポールを手伝ってくれませんか?」


「了解っす、大家さん! ……うおっ、重いっすねこの機材、一体何キロあるんすか!」


 ハヤテ君の威勢のいい声が、雪に吸い込まれて遠ざかっていく。

 私はスノーシューを履き、絶好調の極太の脚力で膝まである深雪をラッセルしながら、ゼーゼーと白い息を吐いて必死にビリー君を追いかけた。


「待てって……ッ! 熊でも出たらどうするんだ……!」


 私は洞窟の入り口へと滑り込んだ。

 中は薄暗い岩穴だ。だが、奥へ進むにつれて、刺すような外の冷気がふっと和らぎ、代わりにしっとりとした、硫黄の匂いが微かに混じる温かい湿気が顔を包み込んだ。


「……これ、湯気か?」


 私は防寒着のフードを外し、目を凝らした。

 洞窟の突き当たり。そこには、私の目を疑うような信じられない光景が広がっていた。


 ゴツゴツとした岩肌の裂け目から、滔々(とうとう)と溢れ出す無色透明の湯。それが自然の窪みにたっぷりと溜まり、大人数人が入れるほどの立派な天然の露天風呂を形作っているのだ。


 もうもうと立ち込める真っ白な湯気の向こうで、ビリー君はすでに首に下げていた防寒ゴーグルを放り投げ、特注のダウンも脱ぎ捨てて( 器用なものだ)、首までどっぷりとその「適温」の湯に浸かっていた。


Vamoose(ヴァムース)……( 極楽だぜ、ATM( パパ)……)」

Pikobabool(ピコバブール)……( くぅ〜沁みるねぇ……最高だ……)」


 彼は完全に目を閉じ、頭の上に手ぬぐいでも乗せているかのような、見事な「温泉親父」の顔になっている。


 極寒の天北の地に、なぜかここだけこんこんと湧き出す、豊かな温泉。

 浜頓別には市街地の近くに「浜頓別温泉」という美肌の湯があるが、こんなウソタンナイの山奥の洞窟にまで源泉が自噴しているとは聞いたことがない。


 凍え切った手足と冷気に晒された身体に、その温かさはあまりにも抗いがたい魅力を持っていた。


「……お前、これを見つけるために走ったのか」


 私は呆れながらも、じわじわと解けていく洞窟内の空気の温度に、思わずこわばった肩の力を抜いた。

 黄金を探す過酷なマイナス25度の強制労働の始まり。その直前に、この白亜紀の相棒が見つけたのは、黄金よりも価値のある「最高の休息場所」だった。


「まあ、いいだろう。……大家さんには内緒で、まずはここで少し温まってからだ」


 私はハードボイルドな口調でひとりごちると、そっと分厚い手袋を外し、湯に手を浸した。

 完璧な42度。


 私は、黄金探しを一旦後回しにし、分厚い防寒着のジッパーに静かに手をかけた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

無事に山悟荘へ帰るその日まで、もう少しだけ北の旅にお付き合いください。

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