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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第6章:恐竜的、あまりに人間的
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第66話「氷河期の生き残り、小さなモフモフ」

 大家さんの狂気的なカスタムが施された『雪鯨号(ユキクジラ)・天北エクストリーム』は、猛吹雪の国道をものともせず、北へ北へとキャタピラを進めていた。


『外気温マイナス22度。ビリー君モチベーション25パーセント。「ハイドロ・スノー・ドーザー」ト「ビリー君」ノメンテナンスヲ推奨シマス』


 雪鯨号(ユキクジラ)のスピーカーから『AKR-55 Gen2( エーケーアール ゴーゴー ジェンツー)』の淡々とした合成音声が告げた。

「この先、ドーザーに不具合が出ては困りますから、一旦メンテがてら休憩しましょうか。ビリー君もくたびれ気味のようですしね」と大家さんが、荷台に設置された温々カプセルの中で仰向けにひっくり返っているビリー君を見て優しげに言った。


 ビリー君はくたびれている訳では無い。

 窓の外の変化のない風景に飽きているだけだ。


「了解だ、Gen2(ジェンツー)。……ハヤテ君、少し先の風下にあたる岩陰で停車できるかい?」


「了解っす。ちょうどあそこの岩場なら、雪崩の心配もなさそうですね」


 ハヤテ君は巧みなハンドルさばきで、巨大なキャタピラを滑らかに操り、雪鯨号を巨大な岩の陰へと滑り込ませた。


 エンジンをアイドリング状態にしたまま、私とハヤテ君は分厚い防寒着を着込み、外へと出た。

 外に出た瞬間、刺すような冷気が顔を殴りつけてくる。私は極太の腕で専用のツルハシを振るい、ドーザー部分にへばりついた分厚い氷をガキン、ガキンと砕いていった。


「いやぁ、アキラさんのその腕力、マジで重機並みっすね……」


「いやいや、私なんかまだまだアマちゃんだよ」と、謙遜しつつ、ちょっと嬉しい気もする。


Vamoose(ヴァムース)!!( 外だヒャッハー! 広いぜ!)」


 荷台の特製カプセルから、オレンジ色の迷彩ダウンを着込んだビリー君が飛び出してきた。第一ゴム製の山吹色の長靴が、キュッキュッと硬い雪を鳴らす。

 彼は極度の寒がりなのだが、狭い車内から解放された喜びの方が勝ったらしい。鼻孔を大きく膨らませ、冷たい山の空気をスンスンと嗅いでいる。


 その時だった。

 ビリー君の瞳が、ふいに甘えるような丸い「黒( シマエナガ風)」から、冷酷なハンターの「金( 爬虫類風)」へとスッと細まった。


Gyau(ギャウ)?( ん? なんだこの匂いは……岩の下に何か隠れてるぞ?)」


 彼は岩場の一角に駆け寄ると、ピンセットのように器用な前脚の鉤爪を使い、雪に埋もれた岩の隙間をガサゴソと掘り始めた。鋼の筋肉を持つ巨体が、まるで時計職人のような繊細さで石をどかしていく。


「おいおい、ビリー君。こんな極寒の岩場に、生き物なんて……」


 私が言いかけたその時、岩の隙間から「チィッ!」という甲高い鳴き声と共に、丸っこい茶色い毛玉がポーンと飛び出してきた。

 耳の短い、ネズミとウサギを足して2で割ったような、手のひらサイズの小動物。


「うおっ!? なんだこいつ! ネズミっすか?」


 ハヤテ君が目を丸くする。

 だが、誰よりも驚いていたのは大家さんだった。


「こ、こ、これは……ッ! エゾナキウサギじゃないですか!!」


 好々爺(こうこうや)の目が、少年のようにカッと見開かれている。


「エゾナキウサギ? 大家さん、彼らは冬眠するんじゃなかったですか?」


「違うんですよ、アキラさん! ナキウサギは冬眠しないんです。彼らは秋の間に岩穴の中に葉っぱをため込む『貯食』をして、長い冬の間はずっと雪の下の暗い岩の隙間で、じっとそれを食べて春を待つんですよ」


 大家さんは熱っぽく語り出した。なんだ、大家さんもモフモフ好きだったのか。


「彼らはね、氷河期からその姿を変えていない『生きた化石』、氷河期の生き残りなんですよ。本来なら、こんな真冬の雪の上に姿を現すなんてあり得ない。……おそらく、雪鯨号(ユキクジラ)のエンジンの熱か振動で、春が来たと勘違いして顔を出してしまったんでしょうね。いやはや、それにしてもこんな間近で見られるなんて……奇跡だと思いませんか!?」


 1万年以上前の氷河期から命を繋いできた、小さな丸い命。

 そしてその目の前には、6600万年前の白亜紀からやってきた、アンズ色(オレンジ)の羽毛を持つ恐竜。

 時代を超えた『生きた化石』と『白亜紀の覇者』が、大雪山の雪の中でじっと見つめ合っていた。


「チィッ?」


 ナキウサギが小首を傾げる。

 その瞬間、ビリー君の金色の瞳が、一瞬にしてつぶらな「黒」へと戻った。

 猛獣のくせに、極度の『可愛いもの好き』である彼の琴線に、ナキウサギのまん丸なフォルムがクリティカルヒットしたのだ。


Pikobabool(ピコバブール)……( なんだお前、まん丸で……最高にキュートじゃないか……)」


 ビリー君はうっとりとした顔になり、鋭い鉤爪を丁寧に丸めて、ナキウサギの頭をそーっと、そーっと撫でた。ナキウサギも逃げることなく、その巨大な指先に目を細めてすり寄っている。なんともシュールで、愛おしい光景だ。


 だが次の瞬間、ビリー君の目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「えっ? ビ、ビリー君? どうしたんだい、急に泣き出して」


 私が慌てて近寄ると、彼はズビズビと鼻をすすりながら、悲しげな声で鳴いた。


Gyau(ギャウ)……Pikobabool(ピコバブール)……( こいつを見てたら……羊蹄山で別れた、あいつのことを思い出しちまったぜ……僕ちゃんの可愛い孫( シマエナガ)……元気にしてるかなぁ……ウッ、ウッ)」


 ああ、なるほど。

 この丸っこいフォルムと愛くるしい瞳が、彼の宝物である「シマエナガの羽根」の持ち主をフラッシュバックさせたらしい。

 白亜紀の頂点捕食者が、小動物を撫でながら雪山で号号している。傍から見れば情緒不安定な恐竜だが、この純粋さこそが彼の魅力なのだ、と思う。


「よしよし、大丈夫だよビリー君。その子もきっと、元気に冬を越しているさ」


 私が丸太のような腕で彼の背中をポンポンと叩いて慰めていると、ふいにビリー君がハッと顔を上げ、私のコートの胸ぐらをガシッと掴んだ。


Namoose(ナムース)!!( おいATM( パパ)! 待てよ、可愛いものといえば……家に置いてきた僕ちゃんの『マリモ』は大丈夫か!? 水が凍って死んでないだろうな!? おい!!)」


「ええっ!? 急にマリモ!?」


 シマエナガからのマリモ。彼の脳内の『可愛いものフォルダ』の連想ゲームが暴走している。


「だ、大丈夫だよ! 地下の『クジラの回廊』は大家さんの地熱システムで常に20度に保たれているし、アクアポニックスの水槽の横に置いてきたから凍るわけがないだろ」


Vamoose(ヴァムース)?( ほ、本当か? 僕ちゃんに嘘ついてないだろうな?)」ビリー君の左の眉尻が上る。


「嘘じゃないさ。ねえ、大家さん?」


「ええ、私の地熱インフラを舐めてもらっては困ります。マリモ君は今頃、ぬくぬくと光合成していますよ」


 大家さんが笑って太鼓判を押すと、ビリー君はホッと胸を撫で下ろした。

 そして、安心したのも束の間。彼は今度は「この可愛い毛玉も、誰にも取られないように安全な場所にしまわなくちゃ」という、彼なりの保護本能に駆られたのか、ナキウサギをポイッと自分の口の中へ放り込んだのである。


「……おい、ビリー君」


 私はハードボイルドな低い声で彼を呼んだ。


「お前、今、口の中に何を隠した。極寒の地で濡れたら、この子は凍りついてしまうんだぞ」


「……」


 ビリー君は露骨に目を逸らし、ズリ、ズリ、と後ずさりを始めた。

 そのあんず色の頬が不自然にパンパンに膨れ上がり、中で「チィッ、チィッ」と鳴き声がしている。


「出しなさい」


Namoose(ナムース)……( いやだね。こいつは僕ちゃんの新しい孫だ。絶対に出さないぞ)」


 彼が頑なに首を振ったその時、ハヤテ君のヘルメットからアダンソン先輩が飛び出した。

 彼女は映画『エイリアン2』のバスケスのように「Let's rock( やってやるぜ)!」とばかりに前脚を掲げ、見事な高速ジャンプでビリー君の鼻先へ着地すると、容赦なくその鼻の頭を前脚でビシッ! と小突いた。


Gyaun(ギャウン)!?( い、痛ぇ! 何するんだよ姐御!)」


 驚いて口を開けたビリー君の頬袋から、ナキウサギがポロリと雪の上へ転がり落ちた。

 驚くべきことに、そのナキウサギの毛並みは一点の濡れもなく、フワフワのままだった。白亜紀のハンターとしての本能か、あるいは「可愛いもの」への配慮か。ビリー君の頬袋の中は、奇跡的なまでのドライコンディションが保たれていたのだ。


「……ふう。お前、いつの間にそんな収納技術を身につけたんだ」


 ナキウサギは呆然とした後、ブルブルと身震いして雪を払い、岩の隙間へと逃げようとした。

 するとビリー君は、自分のダウンのポケットをゴソゴソと探り、大切にしまっていた「琥珀色の宝物」を1枚取り出した。宮城県産の最高級サツマイモ『紅はるか』を丁寧に天日干しした、ビリー君の大好物の干し芋だ。


Vamoose(ヴァムース)……( ほら、これでも食って元気出せよ。僕ちゃんの特別だぞ)」


 ビリー君は、そのしっとりと蜜の滴る黄金色の干し芋を、ナキウサギの前にそっと置いた。

 ナキウサギは足を止め、恐る恐るその「甘い太陽の香りがする贈り物」を口に咥えると、何度かこちらを振り返りながら、再び岩の隙間の奥深くへと消えていった。


「氷河期の隣人に、白亜紀のハンターが、現代の美食を分け与える……。いやはや、実にロマンチックじゃありませんか」


 大家さんの声で、私たちは再び雪鯨号(ユキクジラ)へと乗り込んだ。


「ハヤテ君、頼むよ」


「了解っす。次は一気に、北へ抜けますよ!」


 ズドドドド!!


 エンジンが唸りを上げ、キャタピラが再び雪を噛む。

 窓の外では、雪雲の切れ間から一瞬だけ冬の太陽が顔を出し、大雪山の岩肌を白銀に輝かせていた。


 ビリー君は少しだけ赤くした目で、ずっと後ろの岩場を見つめていた。

 北の最果て、天北(てんぽく)への道はまだまだ遠い。腰痛から完全復活した50代の巨漢と、愛にあふれた恐竜の珍道中は、吹雪を切り裂いて続いていく。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

無事に山悟荘へ帰るその日まで、もう少しだけ北の旅にお付き合いください。

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