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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第6章:恐竜的、あまりに人間的
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第62話「脱獄の記録」

 ビリー君が『公式返品』されてきた翌日のこと。

 私たちは茶の間(ちゃのま)の大型テレビの前に、深刻な顔をして集まっていた。


 目的は一つ。ビリー君の首にぶら下がっていたアクションカメラ(GoProもどき)の映像確認だ。

 彼がはるか未来の宇宙船の中で一体何をしていたのか。そして、あの屈辱的なホログラムの「返品理由書」に書かれていた『極めて凶暴な破壊活動』と『制御不能』の真相を確かめるためである。


 ちゃぶ台の上に置かれた、私の愛機である黒いThinkPad。キーボード中央の赤いトラックポイント(ジョイスティック)を弾くように操作し、復号化したばかりの動画ファイルをフルスクリーンで立ち上げる。実は精密画家になる前、私は少しばかりこういう情報処理やコーディングを本職にしていた時期があるのだ。


「よし、アキラさん。再生しましょうか」


 大家さんが、自分で淹れた熱い緑茶を啜りながら言った。私がエンターキーを叩く。

 画面に一瞬ノイズが走り、やがてブレブレの映像が映し出された。


 映像は、ぐるぐると回る星空から始まった。

 トラクタービームで回収され、フランクフルトのように水平回転しながら空へ吸い上げられていった時の映像だ。ドローンが捉えた客観視点も交じり、画面が回りすぎて見ているこちらの三半規管まで酔いそうになる。


 やがて、強烈な白い光に包まれ、映像がピタリと安定した。


『場所:未来の宇宙船内・隔離ラボ』


 無機質で、一切の装飾がない真っ白で清潔な部屋。

 現在、カメラのアングルはビリー君の首元から前方を捉える形になっている。ドローンのデータの補足が加わり、テレビに映っているのは非常に安定したカメラワークを保ち、完全に「彼の主観映像(FPS視点)」だった。FPS( ファースト・パーソン・シューター)――つまり、映画『DOOM』やガンシューティングゲームのように、主人公の視界そのものを画面越しに疑似体験する、没入感MAXのアングルである。


 その視界の目の前に立っていたのは、生身の人間でも宇宙人でもなかった。

 つるりとした白いのっぺらぼうの顔に、華奢な流線型の金属ボディ。関節部分が青く光る、「自律型作業アンドロイド」だ。どうやら彼らが、あの返品理由書にあった『クルー3名』らしい。


 人間そっくりになりきれていない、「不気味の谷」手前の微妙に気味が悪いフォルムである。


『サンプルB-1107、身体スキャンを開始せよ』


 優しげな人間の女性の声だ。姿は見えない。おそらく、未来の船を統括する人工知能(AI)のアナウンスだろう。


「宇宙人ではなく、我々の未来から来た宇宙船のようですね、大家さん。オマケに日本語ですよ」


 日本の文明がここまで発展しているとは。私は驚きと喜び、そして己が享受することの叶わない未来の高度なテクノロジーに対し、少しばかり嫉妬心が湧いていた。


『サンプルB-1107、スキャン開始』


 感情のない合成音声が響いた直後、アンドロイドの1体が、冷たい金属の手をビリー君の顔面へと伸ばしてきた。


 ガギンッ!!


 カメラが激しく揺れた。

 ビリー君が一切の躊躇なく、その伸びてきた腕に凄まじい速度で喰らいついたのだ。


『ビ、ビガガガッ!?損害発生! 右アーム致命的破損!』


 アンドロイドの腕からは火花が散り、白い液体が噴き出している。まるで映画『エイリアン』のアッシュか、『エイリアン2』のビショップの断末魔を彷彿とさせる素晴らしいヴィジュアルではないか。


 白亜紀の頂点捕食者の強靭な顎と牙は、未来の未知の合金すらも、いともたやすく「ガリッ」と噛み砕いてしまったようだ。


 映像の中で、ビリー君は散る火花に驚くこともなく、アンドロイドたちが怯んだ隙を見て、ラボのドアの脇のダクトらしき隙間へと猛ダッシュで逃げ込んだ。


「……なるほど。相手が冷たいロボットだから、生物としての慈愛が一切ないんですね」


 大家さんが腕を組んで感心したように頷く。生身の人間相手でなくて本当によかった。


 ダクトを抜けた先。場面が変わり、どこかの巨大な倉庫のような場所に出た。

 そこには、生体サンプル用の栄養ペーストが入った銀色のチューブが、壁一面に山積みになっていた。


 ビリー君は片っ端からチューブを鋭い爪で引き裂き、中身を啜っている。


Vamoose(ヴァムース)……(なんだこれ、味が薄いぞ……僕ちゃんが求める極上のスイーツが足りないじゃんか……)」


 文句を言いながらも、彼は棚にある食料を壊滅的な勢いで食い荒らしていく。

 これが返品理由のその2、『備蓄食料の消費』の瞬間だ。


「おっ、ここからですよアキラさん」


 大家さんが画面を指差した。

 食欲を満たしたビリー君が、ある奇妙な行動に出たのだ。


 彼は自分の首からぶら下げていた、あの私のクロムハーツの鎖に繋がれた「真鍮の鍵」を器用に前脚の爪で掴み、まるでダウジングロッドのように前へと突き出した。

 そして、手当たり次第に周囲の物を、その鍵で「叩き」始めたのだ。


 カァァァン!(倉庫の壁を叩く音)

 キンッ!(謎の計器類を叩く音)

 ガインッ!(追いかけてきたアンドロイドのツルツルな頭を叩く音)


「……これは、ただ暴れているわけじゃありませんね」


「ええ。共鳴音を確かめているんでしょうねぇ、きっと……」


 大家さんが、少し悲しげな声で言った。


「彼は知能が高い。うちの庭にあるあの灯籠が、この鍵の特定の周波数(音)に共鳴して開くことを、本能的に理解していたんでしょう。だから彼は、この見知らぬ宇宙船の中で『あのゲートが開く音』がする場所を、必死に探しているんですよ」


 映像の中のビリー君は、文字通り必死だった。


 カンッ!(違う、ここじゃない)

 コンッ!(ここも違う、扉が開かない)

 カィィィン!(開け! 早く世話焼きなパパのところへ繋がれ!)


 彼は真っ白な船内を走り回り、制御パネルだろうが、頑丈な隔壁だろうが、追手のアンドロイドのボディだろうが、構わずに真鍮の鍵でカンカンと叩きまくっている。


 特に、アンドロイドへの攻撃は予期せぬ効果を上げていた。

 オーパーツである鍵が金属ボディに当たるたびに、彼らの精密な聴覚センサーが「キィィィン」という強烈な共鳴音で狂わされ、システムに致命的なエラーを引き起こして動きが完全に停止してしまうのだ。


『警告! 聴覚センサー異常!』

『システムエラー! コノ未知ノ振動ハ 排除デキマセン!』


 アンドロイドたちが右往左往してぶつかり合い、次々と機能停止していく。

 超高度なAIを持つ未来の彼らも、物理的に音叉で殴りかかり、怪音波を撒き散らしながら走り回る原始の猛獣には、全く手も足も出ないようだった。


 そして、映像の最後。

 ボロボロになった(頭が凹んだり、回路がショートして白い煙を吹いたりしている)3体のアンドロイドたちが集まり、高速でデータを交換している。


『……サンプル管理コスト、算出不能』

『完全ニ 管理外ノ破壊神デス』

『クーリングオフヲ 強ク推奨シマス』


『サンプルB-1107を管理者へ返送する。シーケンス開始せよ』


 AIの声が優しげに響く。

 そして、ビリー君の首にあのホログラムの「返品タグ」が結びつけられ、彼は大人しく緊急排出シューターへと案内された。


 シューターの前に立ったビリー君は、もう一度だけ、シューターの壁を鍵で叩いた。


 カァァァン……。


 その音は、どこか寂しげで、悲痛な響きを持っていた。

 そして次の瞬間、彼は眩い光に包まれ、映像はそこでプツンと途切れた。


 テレビ画面が暗転し、茶の間(ちゃのま)に元の静寂が戻った。


「……あいつ、ただ凶暴に暴れていたわけじゃなかったんですねぇ」


 私は、自分の目頭が熱くなるのを感じた。

 彼はただ、帰りたかったのだ。

 あの鍵を叩けば、私たちがいる「家」への扉が必ず開くと信じて。

 たった1人で、冷たい金属だらけの得体の知れない宇宙船の中で、必死に鍵を鳴らし続けていたのだ。


「ええ。恐竜の、見事な『帰巣本能』だと思いますよ」


 大家さんが優しく微笑み、眠っているビリー君を覗き込んだ。

 彼は今、あぐらをかいて座っている私の足に重たい顎を乗せ、完全に安心しきった顔でスースーと寝息を立てている。


Vamoose(ヴァムース)……(ムニャムニャ……やっぱATMの飯が一番だぜ……)」


 私はしゃがみ込み、そっと彼の首にある「真鍮の鍵」に触れた。

 未来の合金でできた、世界を変えるかもしれないオーパーツ。

 でも彼にとっては、そんな理屈はどうでもいい。これはただの、大好きな家族の元へ帰るための「家の鍵」なのだ。


「おかえり。もう叩かなくても、ここは君の家だよ」


 私は彼の硬い鱗に覆われた頭を、何度も優しく撫でた。


 窓の外では、壱拾六軒町内会じゅうろっけんちょうないかいを包み込む真っ白な雪が、まだ静かに降り続いている。

 だが、55歳のおっさんと恐竜と大家さんがいるこの古民家の茶の間(ちゃのま)は、どんなハイテクな未来の宇宙船よりも、ずっと温かかった。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次回も、山悟荘でお待ちしています。

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