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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第5章:壱拾六軒の存在と時間
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第58話「天空からの回収者」

その夜、札幌の空は奇妙なほど静かだった。


 数日間吹き荒れた暴風雪が嘘のようにピタリと止み、強烈な「放射冷却」によってキンと冷え込んだ大気。分厚い雪雲の切れ間から、まるで冷凍庫の底から見上げるような、冷たく澄み切った星空が顔を覗かせている。マイナス15度の空気は、肺の奥まで凍りつくほど鋭い。


 深夜2時。

 私たちは地上の茶の間で、大家さんが急造した『キー・モニター (あの真鍮の鍵の周波数監視装置)』の波形を、睡魔と戦いながら眺めていた。

 ビリー君は私の足元で、新しいお気に入りである『ファッションセンターしまむら』のクッションを大切そうに抱き抱え、丸くなっている。


 その首には、例の「真鍮の鍵」と、さらにもう一つ。大家さんが「念の為、常時記録しておきましょう」と勝手に装着させた『小型アクションカメラ (GoProもどき)』が、クロムハーツの鎖に不格好にぶら下がっていた。


 私も大家さんも口には出さないものの、ある見解の一致を持っていたに違いない。ビリー君が持っている真鍮の鍵と地下のトロゲート。我々は触れてはならないものを起動させてしまったのではないのか?


「……静かすぎると思いませんか」


「ええ、本当に。嵐の前の静けさ、というやつですかね」


 大家さんが眠気覚ましのコーヒーを啜った、まさにその時だった。


 ブブブブブ……。


 モニターのスピーカーが、腹の底を揺らすような低いノイズを拾い始めた。

 同時に、ビリー君の首元で、クロムハーツの鎖に繋がれた真鍮の鍵が、蛍のように激しく明滅を始める。


Gyau(ギャウ)!? (な、なんだ!? 僕ちゃんの首が!)」


 ビリー君が飛び起きた。

 鍵は小刻みに振動し、まるで空に向かって「俺はここにいるぞ! ここだ!」と強制的に位置情報を送信しているようだ。


「来ましたね……!」


 大家さんが窓際に駆け寄った。私も重い体を起こして続く。

 窓の外、雪に深く埋もれた庭を見下ろした瞬間、私たちは言葉を失った。


「……嘘でしょう」


 夜空に、影が浮いていた。

 雲ではない。星が見えない真っ暗な領域が、明らかに人工的な幾何学的な八角形の巨大なシルエットを描いて、真上の空にピタリと静止しているのだ。


 音は全くしない。ジェット機の爆音も、ヘリコプターのローター音もない。

 ただ圧倒的な「質量」の存在がそこにある。


「高度な光学迷彩か……。ですが、あの圧倒的な質量による空間のわずかな歪みまでは消せていませんよ」


 大家さんが、寒さとは別の理由で震える声で言った。


「あれはUFO (未確認飛行物体)なんていう生易しいオカルトじゃありませんね。あんな巨大な構造物、現代のどの国家の軍事力でも作れませんよ。……あれは、『未来からの船』ですよ!」


 その時。

 上空の巨大な「影」の底から、一筋の光が真っ直ぐに射し込んだ。


 それはSF映画によくあるような攻撃的な赤いレーザー光線などではなく、病院の手術室にある無影灯のような、青白く、ある意味清潔で冷たい光だった。

 光の束はCTスキャンのように庭の雪面を舐めた。


 庭の雪に埋もれた石灯籠 (トロゲートの出口)を一瞬だけ照らし、そこから家の壁を透過するかのように、正確に私たちがいる茶の間を3往復した。


 カッ!!


 深夜の茶の間が、一瞬にして真昼のように明るくなった。

 強烈な光の中に、無機質な「データ」のような文字列 (ホログラム)が空中に浮かび上がった。私には全く読めない言語の羅列だったが、そのニュアンスだけは、なぜか脳の奥底に直接響いてきた。


【 生体サンプルNo. B-1107 「通称ビリー」ヲ 確認。遺失品回収シーケンスニ 移行シマス 】


「はぁ!? 回収だって?」


 事務的だ。あまりにも事務的すぎる。

 彼らにとって、白亜紀の誇り高きハンターであるビリー君は、侵略の尖兵でも何でもなく、ただの「配送ミスの荷物」なのか? Amazonの返品処理や、飛脚の再配達のような手軽さで、私の家族を連れ去ろうとしている。


「ふざけるな! ビリー君は生きた家族だ、モノじゃない!」


 私は反射的にビリー君の体を抱きかかえ、青白い光から必死に庇った。

 ビリー君も「Namoose(ナムース) (こ、怖いぜATM (パパ)……)」とガタガタ震えながら、私が着ているユニクロのフリースの腕にしがみついている。


「はなすもんか! 大家さん、何か手はありませんか!?」


「ありますよ! ガレージの『雪鯨号(ユキクジラ)』の荷台に積んでおいた、『対エゾシカ用・高周波音響砲』です! あれを最大出力でぶっ放して、連中のセンサーを撹乱するんですよ! よくわかりませんけど!!」


 大家さんが作業着のポケットから自作のリモコンを取り出し、操作ボタンを押そうとした瞬間だった。


 窓ガラスがガタガタと不気味に共鳴し、強烈な「重力異常」が部屋全体を襲った。


 グォォォン……!


 猛烈な引力光線が茶の間を包み込み、私たちの体は床からフワリと浮き上がった。三半規管が一瞬で狂い、強烈な吐き気に襲われる。


「くっ、だめだ! 向こうの出力が違いすぎます!」


「|Vamooooooseヴァムォォォォスーー!! (助けてくれーー!! 僕ちゃんまだ死にたくない!)」


 空からの「お迎え」の冷たい光は、こちらの感傷や事情などお構いなしに、無慈悲にその絶対的な輝きと引力を強めていったのだった。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次回も、山悟荘でお待ちしています。

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