第57話「オーパーツと、奪われたクロムハーツ」
地下岩盤浴と白樺樹液の天然化粧水で、50代の体に最高の英気を養った翌日。
猛吹雪はピークを越えたものの、窓の外は相変わらず重たい鉛色の空と、視界を遮る真っ白な雪景色だ。
私たちは地上の茶の間で、遅めの朝食――厚切りのバタートーストと固めのゆで卵、そして淹れたての濃いコーヒー――をとっていた。
「……ねえ、ビリー君。ちょっとその首に下げている『鍵』、見せてくれませんか」
大家さんが、食後のコーヒーをゆっくりと飲みながら、孫にねだるような優しい口調で手を差し出した。
しかし、ビリー君はトーストの耳を美味しそうにかじっていた手をピタリと止め、喉の奥でグルル……と低い音を鳴らしてジロリと大家さんを睨みつけた。
「Namoose!( 絶対ヤダね! 僕ちゃんの宝物だぜ!)」
彼は慌てて首元の鍵を両翼で隠し、プイッとそっぽを向いてしまった。いつの日からか知らないが、ビリー君は私のクロムハーツのチェーンネックレスを勝手に使って、あの鍵を身に着けていた。
あの地下での一件、トロゲートへダイブした事件以来、彼はこの鍵を以前にも増して執拗に大事にするようになっていた。自分の明確な所有権を主張するかのように、寝る時も肌身離さず身につけているのだ。
「困りましたねぇ。先日、あの地下のワープゲートを起動させた原因は、間違いなくそれの共振です。少しだけ、成分を調べたいんですよ」
大家さんが苦笑いしながら説得を試みるが、ビリー君は頑として首を縦に振らない。ついには警戒心丸出しの「フシャーッ!」という威嚇音まで漏れ始めている。
仕方がない。このままでは大家さんの腕が食いちぎられかねない。
私は立ち上がり、台所の冷蔵庫からとっておきの切り札を取り出した。
「ビリー君、これあげるから。鍵を少しだけ貸してくれ。な?」
私が皿に乗せて差し出したのは、昨日アクアポニックスの巨大水槽に入れる前に、こっそりと夕食のアテとしてキープしておいた「特大ニジマスの切り身 刺身用」だ。私のささやかな晩酌セットだが……。
「Vamoose!!( オッケーイ!)」
現金な恐竜は、一瞬の迷いもなく首からクロムハーツごと鍵を外し、それを大家さんの手に押し付けると、猛烈な勢いで冷たい刺身へと飛びついた。野性の誇りとは一体何なのだろうか。
「すみませんね、アキラさん。貴重な晩酌のおつまみをいただいてしまって」
「いえ、背に腹は代えられませんから。……泣いてなんかいませんよ」
大家さんは手に入れた「真鍮の鍵( 音叉の形をした金属片)」を持って、作業デスクへと向かった。
そこには、彼が一体どこから調達してきたのか、頑丈なケースに入った「ハンドヘルド蛍光X線分析装置」が鎮座している。物質に特殊なX線を当てて、非破壊でその構成元素を瞬時に特定する、何百万もするプロ用の分析機械だ。
「見た目は、どう見ても使い古されたただの真鍮( 銅と亜鉛の合金)なんですよ。ですが……」
大家さんは鍵をセットし、分析のトリガーを引いた。
モニターに複雑なスペクトル波形が表示される。
数分後。
大家さんの穏やかな目元が、すっと細められた。いつもの「好々爺」ではなく、紛れもない「天才科学者」の目だ。
「……おや。これは驚きましたね」
「どうしたんですか? やっぱり、ただの古い真鍮ですか?」
「いえ。……確かに、銅と亜鉛の反応は出ています。ですが、その比率が異常なんですよ。それに、現代の最新製錬技術をもってしても除去不可能なレベルで、不純物が完全にゼロなんです。さらに……」
大家さんがモニターの波形の一点を指差した。
「ここを見てください。極めて微量ですが、地球上の周期表には存在しない未知の元素の反応が出ています」
「……え?」
「つまりですね、アキラさん。こいつは真鍮に見せかけた、超高度な『未知の記憶形状合金』で、特定の周波数……あの地下のゲートに近づいた時だけ活性化し、分子構造を瞬時に組み替えて『鍵』として機能するように、原子レベルでプログラムされているのだと思います」
私は、分析台に乗っている古ぼけた鍵を見つめた。
ただの薄汚れた、U字型の金属片にしか見えない。
だが、それが現代科学を超越した「オーパーツ( 場違いな工芸品)」だというのか。
「でも大家さん。それって元々、大家さんの亡くなった親父さんの古い道具箱に入っていたっておっしゃっていましたよね?」
私が尋ねると、大家さんは腕を組み、懐かしそうに遠い目をした。
「ええ。父はこの山悟荘で、ピアノの調律師もやっていましたからね。私が子供の頃……そうですね、もう70年くらい前になりますか。ある猛吹雪の朝、父が庭の『灯籠のそば』で、これを拾ったんですよ」
「……灯籠のそばで?」
「ええ。『誰かが落としていった、随分と変な形の音叉だ。いい音が鳴る』と言って、自分の仕事道具箱に放り込んでいました。私もそれをずっと、父の商売道具の一つだと思って、疑いもせずに受け継いできたんですが……」
大家さんの言葉に、私は思わず息を呑んだ。
灯籠のそば。
そこはまさに、地下40メートルのゲートから繋がる「トロゲート」の出口だ。
「……不思議な符合ですねぇ。70年前の猛吹雪の日に父が拾った場所も、一昨日の夜、ビリー君が転送されて飛び出してきた場所も、同じ『あの灯籠』だなんて」
大家さんがポツリと漏らした言葉が、静かな部屋に重く響いた。
70年前のオーパーツと、現代に現れた白亜紀の恐竜。
時代も種類も全く違う二つの異物が、灯籠という同じ一点に引き寄せられている。
「……ビリー君。君は一体、なんでそんなにそれが大切なんだ?」
私が問いかけると、ニジマスの刺身を平らげた彼は「Vamoose?( なんだよ?)」と小首をかしげた。そして私の手から鍵をひったくると、再び大事そうにクロムハーツのチェーンごと、己の首へとぶら下げた。
ただキラキラしているから、カラスのように気に入っているだけなのか。
それとも、この未知の金属に、彼の恐竜としての本能――あるいは別の『何か』が惹かれているのか。
その古びた金属は、部屋の照明を反射して、一瞬だけ鈍く不気味に光った。
窓の外では、少し収まっていたはずの風が、再び唸り始めていた。
空の向こうから、何かが猛烈な勢いで近づいている気配を感じて、私はふと窓を見上げた。
「……アキラさん、今日の天気予報はどうなっていましたか?」
「いえ、午後からは完全に回復傾向のはずですが……」
胸騒ぎがする。
この雪に閉ざされた平穏な「壱拾六軒町内会」の空気が、見えない圧力で少しずつきしみ始めているような、不吉な予感がした。
足元では、ビリー君が「もう絶対に離さないぞ」と言わんばかりに、真鍮の鍵を首にぶら下げて胸を張っている。
( ……でもなぁ、ビリー君。君がその鍵を通している鎖、私のお気に入りのクロムハーツのネックレスなんだけどな……)
オーパーツの謎と迫り来る吹雪の脅威、そして奪われたクロムハーツ。
私の50代のハードボイルドな日常は、今日も休む暇がないようだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次回も、山悟荘でお待ちしています。




