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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第5章:壱拾六軒の存在と時間
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第56話「地下岩盤浴とカバノアナタケ」

「うぅ〜む……」


 私は数日間、パソコンの画面に映し出された3Dマップの「強烈な違和感」に釘付けだった。

 小さな神社を中心とした16軒の家の配置。トップビューから見下ろすと、これはただのランダムな建物の配置ではない。点と点を線で結べば、まるで何かの明確な意図を持って大地に描かれた、巨大な幾何学模様のよう――。私はその図形になにか意味があるのではないかといろんなアプローチで解明に取り組んでいた。


 映画なんかでもよくあるだろう、数値を音階に変換してみるとか、それは人間のDNA配列だった、とか。実は立体構造にすることで出てくる何かしらの設計図だった、とか。考えればきりがない。しかし、これといった成果は得られなかった。しかし、もしかしたら……。


「おやおや。今日はそこまでですよ、アキラさん」


 私がこの壱拾六軒町内会じゅうろっけんちょうないかいの核心たる『図形の謎』に触れようとした瞬間、大家さんがパンパン! と軽く手を叩いて、優しい笑顔で私の視線をモニターから遮った。


「今日はもう店じまいです。せっかくの引きこもりホリデーに、そんな小難しい顔をしてはいけませんよ」


「え、でも大家さん、この家の配置、すごく重要じゃ……」


「重要だからこそ、頭が冴え渡っている時に検証するべきだと思いませんか。今の君は連日の重労働な雪かきと穴掘りで、脳が完全に酸欠状態ですよ」


 大家さんは強引にモニターの主電源をパチンと落とし、悪戯っぽく笑った。


「それよりアキラさん、もっと大事な『検証実験』が残っているのを忘れていませんか?」


「検証?」


「完成したばかりの『白亜紀三和土(たたき)ブラックシリカ散布仕上げ』の性能テストですよ。つまり、『地下岩盤浴パーティー』です!」


 数分後。

 私たちは首からタオルを下げ、Tシャツと短パンというラフな服装に着替えて、再び地下40メートルのサッポロカイギュウ広場に降り立っていた。


 そして、広場の脇のトンネルをくぐると、洞穴のような4畳半ほどのちょいと無骨な小部屋がある。私とビリー君が手作業で掘った空間だ。壁はあえて岩肌を残したままだが、その『床』にはこだわりの仕上げが施されているのだ。サッポロカイギュウ広場や地下トンネル網に施工した『白亜紀三和土(たたき)ブラックシリカ散布工法ライト仕上げ』ではなく、この小部屋だけは『白亜紀三和土(たたき)ブラックシリカ散布仕上げ』と名付けた、ちょいと贅沢な仕様となっている。


 北海道産のオリビンサンド、ゼオライトを練り込んでブラックシリカをたっぷり散布して叩き締めた床は、地下の安定した地熱と相まってポカポカと温かい。足元からの強力な床暖房効果により、体感温度はもっとずっと高く感じられた。


「さて、極上の入浴の作法として、まずはこれを飲んでみてください」


 大家さんが保温ポットから湯呑みに注いだのは、まるでコーヒーのように真っ黒な色をしたお茶だった。独特の土っぽい、森の奥深くを思わせる香りが鼻をくすぐる。


「……大家さん。これ、もしかして『カバノアナタケ茶』ですか?」


 北海道の白樺の木に寄生する、黒いコブのようなキノコ、カバノアナタケ( 別名チャーガ)。抗酸化作用が極めて高く、免疫力を高めて万病に効くとされる幻のキノコだが、私はこれに少しばかり苦い思い出があるのだ。


「あの、これ濃さは大丈夫ですか? 昔、親戚のおじさんが山で採ってきたやつを『濃い方が体に効くんだ!』ってヤカンで真っ黒になるまで煮出しすぎて、飲んだ後に胃を壊して3日ほど寝込んだことがあるんですよ……」


「あはは! 素人の方がやりがちな典型的なミスですね。天然のカバノアナタケは成分が強力すぎますから」


 大家さんは私のトラウマを楽しそうに笑い飛ばした。


「安心してください。これは私が成分分析を精密に行い、人体に最適な濃度に調整して抽出した『オオヤ・スペシャル・ブレンド』です。55歳の疲れた胃にも非常に優しいですよ」


 促されるまま、恐る恐る口をつける。

 ……美味い。少しほろ苦いが、全くクセのないまろやかな味で、温かい液体がスッと五臓六腑に染み渡っていくのが分かった。これで発汗と代謝アップの準備は完璧だ。


 私たちは大判のバスタオルを敷き、広場の床に大の字になって寝転がった。


「……あぁ〜、極楽……」


 背中からじんわりと、だが確かな熱が伝わってくる。

 ブラックシリカが放つ遠赤外線が、除雪作業の『ママさんダンプ』で凝り固まった腰椎や肩甲骨の筋肉を、芯からトロトロにほぐしていくようだ。太古の静寂の中、アクアポニックスの涼やかな水音だけがBGMとして響いている。


Vamoose(ヴァムース)……( あー……僕ちゃん、このまま溶けて床の一部になるぜ……)」


 私の横では、ビリー君がタオルも敷かずに直に床へへばりついていた。

 手足をだらんと投げ出し、完全に液状化している。現代の古生物学において、かつて変温動物( 冷血動物)とされていた恐竜――特にヴェロキラプトルのような獣脚類は、鳥類と同じように自ら熱を生み出す『恒温動物( 温血動物)』であったという説が主流だ。


 だからこそ常に高いエネルギーと体温を必要とする彼にとって、極寒の猛吹雪から逃れ、腹の底から無尽蔵に温められるこの岩盤浴の環境は、まさに天国そのものなのだろう。


「いやあ、良い汗が出てきましたね。デトックス効果は抜群ですよ」


「ええ。地上は視界ゼロの暴風雪警報だというのに、地下40メートルで岩盤浴とは……なんて背徳的で贅沢なんでしょう」


 私たちはそのまま30分ほど、無言で心地よい汗を流した。

 町内会の図形の謎も、トロゲートの異次元の恐怖も、老廃物と共に毛穴から全て流れ出ていくようだった。


「さて、汗を流してサッパリした後は……極上の仕上げといきましょうか」


 休憩タイム。大家さんが傍らのクーラーボックスから取り出したのは、ご褒美の色とりどりのカップアイスと、透明な液体の入った小さなガラス瓶だった。


「まずは失われた水分と糖分の補給です。ビリー君には大盛りのバニラですよ」


Vamoose(ヴァムース)!!( 白くて甘いやつだ!! 最高!!)」


 ビリー君は弾かれたように飛び起き、ピンセットのように器用な前脚の爪( ハンド・クロー)でカップを抱え込み、長い舌でペロペロと猛烈な勢いで舐め始めた。


 私たちもアイスを一口含む。岩盤浴で火照った体に、強烈に冷たいアイスの甘味が染み渡る。真冬に暖房をガンガンに効かせた部屋で食べるアイスクリーム。これこそが、道民にのみ許された至上の喜びにして様式美だ。


「……で、大家さん。その小瓶の液体はなんですか?」


「ああ、これですか? 『白樺の樹液、 ホワイトバーチ・ウォーター』ですよ。春先に裏山の白樺から採取して、不純物をろ過しただけの、完全な天然化粧水です」


「け、化粧水? 私のようなスキンヘッドで55歳のおっさんの肌にですか?」


「55歳だからこそ、ですよ、アキラさん。北海道の冬の乾燥と、除雪の紫外線は大敵です。騙されたと思って、手のひらに出して顔にパシャッといってみてください」


 私は言われるがまま、無色透明な液体を手に取り、火照った顔に叩き込んだ。


 ……驚いた。

 ただの水のようにサラサラしているのに、肌に吸い込まれるようにグングンと浸透していく。そして微かに、雪解けを待つ春の森の、ほのかに甘い香りがした。


「……おお、すごい。全くベタつかないのに、オヤジの肌が不気味なくらいモチモチしますよ」


「でしょう? アミノ酸とミネラルが豊富な、森の生命力そのものですからね」


 隣では、ビリー君がバニラアイスのついた口の周りを、大家さんに樹液を含ませたコットンで優しく拭いてもらい、目を細めてひどく気持ちよさそうにしている。


「……平和ですねえ、大家さん」


「ええ。小難しい謎解きなんて、明日でいいんですよ」


 外の世界がどんなに白く荒れ狂っていようと、ここには温かい太古の床と、美味いお茶と、森の恵みの極上スキンケアがある。

 それだけで十分じゃないか。


 私はしっとりと潤った自分の頬に触れながら、岩盤浴がもたらす心地よい眠気にゆっくりと身を委ねた。

 明日はきっと、また除雪と謎解きで忙しくなる。だから今だけは、この完璧な地下の休日に、心ゆくまで浸っていよう。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次回も、山悟荘でお待ちしています。

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