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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第5章:壱拾六軒の存在と時間
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第51話「事象の地平面(イベント・ホライズン)」

「まあ、そう腐らずに。アキラさんのこの見事な発掘と内装の功績は、この基地の歴史に永遠に残りますよ」


 大家さんのセリフが頭の中でこだまする。

 私は小さくため息をつきつつ、黄金色のパイライトが瞬く化石を見つめ返した。まあいい。名前と決め台詞は横取りされたが、この空間を作り上げたのは私だ (現場監督として)。


 800万年前の海の主が天井を支える、この地下40メートルの「サッポロカイギュウ広場」。こんな建築構造物が他にありえるだろうか? そびえ立つサッポロカイギュウの柱を見てみろ。まるで天空を支えるアトラスのようではないか。ここは間違いなく世界一ロマンに溢れた地下室なのだ。


「それよりアキラさん、ちょっとこっちへ来ていただけますか? さっきから気になっているんですが……このカイギュウの向こう側の壁ですよ」


 大家さんが、ヘッドライトの光をドーム広場の最深部へと向けた。

 私は気を取り直し、大家さんの後を追って巨大な肋骨の裏側へと回り込んだ。


「見てください。ここだけ、岩の質感が違うと思いませんか?」


 大家さんが太い指で指差した先を見て、私は眉をひそめた。確かに変だ。

 周囲の泥岩はザラザラとした粗い質感なのに、そこだけ、直径2メートルほどの範囲で岩肌が妙に滑らかで、水を打ったように黒光りしている。


 私は腰からタガネを抜き、その黒い岩の表面をコツンと叩いた。


 カィィィン……。


 泥岩を叩いた時の鈍い音ではない。まるで硬質なセラミックか、分厚い金属を叩いたような、高く澄んだ音が地下空間に反響した。


「硬い……! これはただの岩塊じゃありませんね」


 私はすぐさま指示を出した。


「大家さん、エボリューションは下がらせてください。ここからは平吉(へいきち)くんの出番です」


「了解しましたよ。平吉くん、精密クリーニングモードでお願いしますね!」


 大家さんの声に応え、小型サポートユニットの『平吉』10台が軽快な駆動音を立てて壁に取り付いた。

 平吉の多関節アームの先端についた歯科医用レベルのマイクロドリルが、黒い物質の周囲を覆う泥岩だけを細かく削り落とし、発生した粉塵をもう1本のアームの小型バキュームが瞬時に吸い込んでいく。


 数時間後。平吉の緻密な作業により、泥岩の中から「それ」が完全に姿を現した。

 現れたのは、岩盤の中に横たわって埋まった、巨大な「石の輪」だった。


 直径は約2メートル。人間1人がちょうど通れるくらいのサイズだ。材質は一見すると札幌軟石のような温かみのある灰色をしているが、800万年前の地層に埋まっていたとは思えないほど、全く風化していない。

 そして表面には、微細で規則的な、見たこともない幾何学模様の溝がびっしりと刻まれていた。


「おや……。これはまた、化石よりも遥かに厄介なものが出てきましたね」


 大家さんが眼鏡の位置を直しながら、愛おしそうに、そして畏れを抱くように石の表面を撫でる。


「完全な人工物ですよ。それも、この途方もなく古い地層の中に、あつらえたように埋まっている。……妙ですね。私が把握しているこの土地の由来や古文書にも、このような輪っかの記述は一切なかったはずですが」


 この壱拾六軒(じゅうろっけん)の地下を知り尽くしているはずの大家さんでさえ、その正体には全く見当がつかないらしい。


「多分その台座に乗せるのが本来の位置かもしれませんね」


 平吉たちが今まさにクリーニング中の台座と思われる物体は、その輪っかがすっぽりと収まるような形状をしていた。


「とりあえずセットしてみますか?」


 私はスーパーサンキチ・エボリューションの巨大なロボットアームの手を借りて、うんこらしょっと石の輪を持ち上げた。


(……石の輪。転移装置。まさか、あの『スターゲイト』か……?)


 石の輪を持ち上げながら、私の脳内は、完全にSFオタクとしての思考の迷宮に入り込んでいた。


 1994年の映画版『スターゲイト』におけるカート・ラッセルの渋い演技もさることながら、その後に続いたテレビシリーズ『SG-1』は最高に面白かった。リチャード・ディーン・アンダーソン演じるオニール大佐の軽口と、異星間ネットワークという壮大な世界観。私は深夜にあのドラマを見るのが大好きだった。


 予想通り石の輪は台座にきっちりと収まり、もう見るからに小さなスターゲイトそのものだ。

 まさか自分の家の地下40メートルで、あんなロマンチックなワームホールの扉を直に見る日が来るなんて。


 私が1人で胸を熱くしている最中だった。

 好奇心旺盛なビリー君が、警戒する様子も恐れる様子もなく、トコトコと石の輪に近づいていったのだ。


「おい、離れろビリー君! 危ないぞ、何が起こるか分からないんだ!」


 私が慌てて注意しようとした時、彼の首元でカチャン、と硬い音がした。

 彼が以前から首にぶら下げている、大家さんが地熱パイプの共鳴調整用として使い、ビリー君が自分の喉の肩たたき機にも使っていたあの古い「真鍮の鍵」が、身を乗り出した拍子に石の輪の縁にコツンとぶつかったのだ。


 キィィィィィン……!!!


 次の瞬間。地下空間全体を揺るがすような、澄んだ強烈な共鳴音が響き渡った。


「共振しましたよ……!? 素晴らしい、この石の輪は最初からその鍵を待っていたわけですか!」


 大家さんの目が、今まで見たこともないほどマッドサイエンティスト特有の光で爛々と輝いた。


 シュワシュワシュワ〜……


 石の輪の内側の空間が、文字通り「液状化」を始めた。

 何もない空間の真ん中に、青白く揺らめく、まるで水銀のような水面が立ち上がったのだ。


「見てくださいアキラさん、空間そのものが溶けているようです。物理学の教科書を根本から書き換えるべき歴史的瞬間だと思いませんか。この向こう側の座標は一体……」


 大家さんが興奮して作業着の胸ポケットから小型の計測器を取り出そうとした、まさにその瞬間だった。


Vamooooose(ヴァムォォォォス)!! (ヒャッハー!! 僕ちゃんの新しいアトラクションだぜ!!)」


 青白く光る水面を見たビリー君が、歓喜の咆哮を上げ、迷うことなくその光の中へと跳躍したのだ。

 新しい遊び場を見つけた子供のような、全く躊躇のないダイブだった。


「待て! ダメだビリー君!!」


 私は反射的に手を伸ばし、彼の太い尻尾を掴もうとした。だが、鍛え抜かれた白亜紀の恐竜の瞬発力に、私の腕は虚しく空を切った。


 ビリー君のアンズ色の羽毛が、青白い水面へと吸い込まれるように消えていく。


 シュゥゥゥ……。


 彼が完全に光の中へ消えた直後、液状化していた水面は霧のように一瞬で蒸発し、ただの冷たい石の輪に戻ってしまった。

 地下空間には、静寂と、少しの焦げたような匂いだけが残された。


「……消えましたね。質量保存の法則を置き去りにして、彼は全く別の空間へ行ってしまいましたよ」


 大家さんは呆然としながらも、その恐るべき消滅の余韻を楽しむかのように、ただの岩塊に戻った石の輪に聴診器のようなセンサーを当て始めた。


「ビリー君……」


 私は伸ばした手を宙に浮かせたまま、空っぽになった石の輪の前で、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 相棒が、目の前で次元の彼方へと消えてしまったのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次回も、山悟荘でお待ちしています。

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