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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第4章:漂泊のヘテロトピア
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第48話「消えたシンボルと、緑のゆりかご」

 長沼町(ながぬまちょう)で極上の「味付きジンギスカン」と「かりんとう饅頭」を仕込んだアンキロサウルス号は、オレンジ色に染まる夕空の下、一路札幌を目指して走っていた。


 江別市(えべつし)から国道12号線に入り、札幌の市境が近づいてきたあたりで、私はふと助手席の窓越しに空を見上げた。

 野幌森林公園のっぽろしんりんこうえんの木々の向こう。かつてそこには、天を突くような鋭い鉄塔――北海道開拓のシンボルである「百年記念塔」がそびえ立っていた。


 だが今、そこにはただ広い初夏の空があるだけだ。老朽化による解体工事が終わり、あの見慣れた巨大なシルエットは完全に消滅してしまったのだ。


「わかってはいたけど、いざ無くなると変な感じだよ。以前は、百年記念塔が見えると札幌に帰ってきたなぁって気分になったもんだ」


Namoose(ナムース)…… (形あるものはいつか消えるのだ……おちこむなよ、ブラザー)」


 ビリー君が低く沈んだ声で喉を鳴らし、何もない空を見上げた。彼はこういう「喪失」の気配には敏感だ。

 少しセンチメンタルな気分になりつつ、私たちは夕暮れの札幌市街地へと滑り込んだ。


 久しぶりの我が家。

 アンキロサウルス号をガレージに収め、私たちは地上の母屋 (山悟荘(さんごそう))へと戻った。


Vamoose(ヴァムース)…… (やっぱ僕ちゃん、ここが一番落ち着くぜ)」


 土間を抜け、茶の間に入った瞬間、濃密な緑の匂いが私たちを出迎えた。

 モンステラやシダ、そしてお気に入りのコパンダガジュマルといった大型の観葉植物が所狭しと並んでいる。この家は古き良き日本家屋だが、茶の間だけは私の趣味で完全にジャングル化している。植物に囲まれていないと落ち着かない私と、隠れる場所が多い方が本能的に安心するビリー君。我々の利害が完全に一致した結果である。


「よし、荷物を置いたら庭に出るぞ。夏といったら、外でジンギスカンだ!」


 道民にとって、ジンギスカンとは単なる焼肉ではない。

 親戚が集まればジンギスカン。花見の席でも桜の下でジンギスカン。海水浴場でも潮風を浴びながらジンギスカン。本社から偉い人が来たらもてなしのジンギスカン。晩ごはんのおかずに悩んだらとりあえずジンギスカン。そして、何でもない日曜日もジンギスカン。


 道民は自由意思で選んでいるようでいて、実は大いなる北海道の意志によってジンギスカンを食らわされているのだ。もはや逃れられない運命(さだめ)とも言えよう。


 私は庭に七輪と、中央がこんもりと盛り上がったスリット入りのジンギスカン鍋をセットした。


「ビリー君、先輩、準備はいいか?」


 縁側の前に陣取り、炭火を起こす。テーブルを囲むのは私とビリー君。そして端には、小皿を用意されたアダンソン先輩もちょこんと待機している。


 ジュウゥゥゥッ……!!


 タレにたっぷりと漬け込まれた長沼の羊肉を熱々の鉄板に乗せると、むせるような香ばしい煙と匂いが庭いっぱいに広がった。

 これだ。この匂いこそが、北海道のソウルフードだ。


Gyau(ギャウ)ッ!! (ヒャッハー! いただきまーす!)」


 ビリー君が待ちきれずに肉にかぶりつく。私も、よく冷えたアサヒスーパードライ『鮮度実感パック』のプルタブをプシュッと開け、炊きたての白飯と共に熱々の肉を頬張る。

 美味い。長旅の疲労が、羊肉の脂とタレの旨味、そしてビールの炭酸と共に溶けていくようだ。


 頭上には、都心では見られない満天の星。遠くで鳴く虫の声。

 最高だ。


「……ふぅ。食ったなぁ」


 満腹になった私たちは、旅の片付けに取り掛かった。

 今回の旅の戦利品――十勝の瑪瑙(めのう) (ジオード)やアポイ岳のかんらん岩、そして三笠で見つけたアンモナイトの群生などを抱えて、土蔵にある隠し扉を開ける。


 地下への階段を降り、広大な『第1基地』から更に下の『第2基地』へと向かった。物置とはいえ、ここには調湿効果のあるゼオライトが敷き詰められており、標本の保管には最適の環境だ。


 私は持ち帰った大量の石を、手早く棚へと収めた。


「よし、石の整理は完了だ。ビリー君、マリモの瓶もここに置いておくか?」


 地下なら温度も一定だし、光量もLEDで調整できる。そう思って私が瓶に手を伸ばすと、ビリー君が鋭く「待った」をかけた。


Kururu(クルル)ッ! (ストーップ! ダメだ!)」


「ん? どうした?」


Piruru……(ピルル……) (こいつは、僕ちゃんのそばに置くんだ)」


 ビリー君は、マリモの小瓶を大事そうに両脚で抱え直し、地上への階段を指差した。どうやら、冷たく暗い地下倉庫に「友達」を置いていくのは絶対に忍びないらしい。


 私たちは再び地上の茶の間へと戻った。

 ビリー君は、茶の間で一番日当たりのいい縁側寄り――大きく葉を広げたモンステラの木陰に、マリモの瓶をそっと置いた。ここなら直射日光も避けられるし、ビリー君が座布団からいつでも様子を見られる特等席だ。


Piruru……♪(ピルル……♪) (よろしくな、ちびすけ)」


 ビリー君はひどく嬉しそうに喉を鳴らし、瓶の前に顔を寄せた。

 水の中では、緑色で真ん丸なマリモが、静かに鎮座している。


 ビリー君は、そのフワフワした丸い友達を、飽きもせずじっと見つめている。まるで、孵化(ふか)を待つ親鳥のように。あるいは、生き別れた兄弟を優しく見守るように。

 その黄金色の眼差しは、猛獣のそれではなく、どこまでも愛おしげで、優しかった。


 北の大地の短くも熱い夏。

 庭に残るジンギスカンの煙の残り香と共に、私たちの長かった黄金の旅路は、静かに幕を閉じた。


最後までお読みいただき、ありがとうございます。


これにて、第4章「漂泊のヘテロトピア」は完結となります。男と恐竜と蜘蛛の気ままな漂泊にお付き合いくださりありがとうございまあした。


次回、第5章でまた皆様とお会いできるのを楽しみにしております。

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