第45話「瞬殺の地下迷宮」
神の湖・摩周湖を後にした私たちは、北海道の屋根と呼ばれる大雪山系の石北峠を越え、広大な上川盆地へと降りてきた。
長時間のドライブを経て、たどり着いたのは当麻町。
のどかな田園風景が広がる中、私はふと、ある一軒の立派な農家の前でブレーキを踏んだ。
「おっ……! ビリー君、あれを見ろ」
「Kuru? (なに? 僕ちゃんの獲物かい?)」
私が太い指で指差したのは、木造の日本家屋の屋根だ。
北海道の家の屋根といえば、冬場に積もった雪を滑り落としやすくするため、赤や青、緑に塗られたトタン屋根が相場だ。
だが、その家は違った。黒く鈍く光る重厚な瓦が、波のように美しく敷き詰められている。
「あれが『瓦屋根』だよ」
「Piruru? (それがどうした? 僕ちゃんにはただの黒い石にしか見えないぜ)」
ビリー君はピンと来ていないようだが、私は懐かしそうに目を細めた。
「本州じゃ当たり前かもしれんが、ここ北海道じゃ滅多にお目にかかれないんだよ。昔、じいちゃんが言ってた。『北海道で瓦屋根の家に住めるのは、金持ちか、よっぽどの数寄者だけだ』ってな」
雪国の頑丈な山悟荘も、屋根の造りはやはり理にかなったトタン屋根だ。子供の頃の私にとって、あの黒い波模様は、特別な「勝者の証」のような強い憧れがあった。
「……まあ、でも雪下ろしがたいへんだもんな!」
私はあっけらかんと笑い飛ばした。憧れは憧れだが、現実の雪国の厳しさを知る道民としては、結局そこに行き着くのだ。
「Namoose」
ビリー君は「ふーん、そんな重い石より、僕ちゃんの特注ダウンジャケットの方が高機能で高級だぜ」と言いたげな顔をしている。私は満足して再びアクセルを踏んだ。
さて、次に見せるのは「人類の先輩の偉業」だ。
私たちは山間の緑豊かな場所にある「当麻鐘乳洞」に到着した。固有名詞の『当麻鐘乳洞』は鍾乳洞と書かないのがお決まりだ。
「ビリー君、覚悟しろ。ここは昭和30年代に発見された伝説の洞窟だ。その起源はジュラ紀と言われている。1億5千万年という途方もない歳月が作り出した、地底の巨大迷宮……。我々の地下秘密基地など足元にも及ばない、恐るべきダンジョンが待っているぞ! もしかすると、地底湖の底から古代のドラゴンが顔を出すかもしれん!」
「Vamoose……! (ゴクリ……! 僕ちゃん、やってやるぜ!)」
私がチケット売り場の前でもったいぶって熱弁を振るうと、ビリー君もすっかりその言葉に呑まれ、神妙な面持ちで「ダンジョン攻略」の構えを見せている。
いざ、入洞。
入り口を一歩くぐると、空気は一変した。外は初夏の陽気だが、洞内の気温は年間を通じて約10度。
冷蔵庫の中のようなひんやりとした寒さに、ビリー君は「ピギッ!」と情けない悲鳴を上げ、車から持ってきた私のチェック柄のブランケットを頭からすっぽりと被った。凶悪なラプトルが、ただのテルテル坊主スタイルである。
洞内は幻想的だった。
頭上からは、世界的にも珍しいストロー状の「マカロニ鍾乳石」が無数に垂れ下がり、ライトアップされた岩肌が黄金色にキラキラと輝いている。ビリー君も寒さに震えながら、その神秘的な光景に見とれている。
「よし、進むぞビリー君! 冒険はまだ始まったばかりだ!」
「Namoose! (おうよ! 僕ちゃんの敵はどこだ!)」
私たちは意気揚々と、狭い通路を奥へ進んだ。
……そして、約10分後。
「……あれ?」
私の目の前に、眩しい外の光が差し込んだ。
出口だった。
「…………Kuru? (は? )」
ビリー君が、ブランケットを被ったまま出口の前に立ち尽くしている。
ポカンと口を開け、出口の看板と私を交互に見ている。その黄金色の目は、明らかにこう抗議していた。
(もう終わりかよ!!)
「い、いや、全長は135メートルだからな……。コンパクトにまとまっているのが魅力というか……安全第一だし……」
「Piruruッ! (僕ちゃんのカップラーメンも出来てないぞ!)」
ビリー君は完全に呆気に取られていた。私が「巨大迷宮」だの「ドラゴン」だのと煽りすぎたせいで、彼は「これから中ボス戦か!?」と身構えていたのに、準備運動が終わる前にゴールテープを切ってしまったのだ。
「Namoose…… (不完全燃焼すぎるぜ……ブラザー……)」
彼は不満げに鼻を鳴らし、明るい地上へと出てきた。まあ、そのおかげで体が冷え切る前に外に出られたのだが。
気を取り直して、私たちは次の目的地へ向かった。
不完全燃焼のビリー君を満足させるには、「驚き」と「食」しかない。
直売所に並んでいたのは、当麻町が世界に誇るブランド品。「でんすけすいか」だ。
そこにあるのは、青果コーナーとしては異様な光景だった。
スイカ特有の緑の縞模様が見えないほど真っ黒で、丁寧に磨き上げられた大砲の弾のようにツヤツヤと鈍く輝く巨大な球体。それが、スーパーの陳列棚ではなく、高級メロンのように立派な箱や、座布団の上に恭しく鎮座しているのだ。
「Kururu!? (なにこの巨大な黒い卵は!? もしや、あのタルボサウルスの卵!? )」
タルボサウルスとは、アジアにおいてのティラノサウルス的な大型恐竜である。ビリー君のいた地域での実質的頂点捕食者と言えるだろう。
警戒モード(というより、ビビりモード)のビリー君が恐る恐る鼻先を近づけようとするが、私は慌てて止めた。
「待てビリー君! 気安く触るんじゃない!」
「Pi!? (ひぃっ!? なんだよ、やっぱりタルボかい!?)」
「値札を見ろ。……いいか、過去の初競りでは、このスイカ1玉に75万円の値がついたこともあるんだぞ!」
「Piruru!? (スイカ!?コレがスイカ!?)」
ビリー君がビクッと飛び上がって後ずさりした。75万円。ただの果物1個の値段とは到底信じられない金額だ。通常のものでも1玉数千円から1万円は下らない。まさに「黒い宝石」であり、スイカ界のタルボサウルスなのだ。
「こいつはな、ただの水分補給じゃない。『富』を食うんだ」
お持ち帰り用とは別に、私たちは直売所で売られているカットスイカも購入し、外のベンチで豪快にかぶりついた。
シャリッ!
心地よい音と共に、強烈な甘みが口いっぱいに広がる。果肉の密度が違う。シャクシャクと噛むたびに溢れ出す赤いジュースは、ただの砂糖水よりも遥かに上品で、濃厚だ。
「Gyauッ!! (うまい! 金の味がするぜ! ブラザー!)」
ビリー君の目がパァッと丸くなる。さっきの洞窟の短さへの不満など、完全に吹き飛んでしまったようだ。
彼は無我夢中でスイカにかぶりつき、口の中に残った黒い種を「ププププププッ!!」と、まるでガトリングガンのような勢いで地面へ向かって連射している。
「おい、行儀が悪いぞ……ん?」
私はビリー君が種を連射した先の地面を見て、目を疑った。
地面に落ちた大量の黒い種の一つが、ササササッと素早く起ち上がり、私の靴の上によじ登ってきたのだ。
「せ、先輩!?」
よく見ると、それは種ではない。全身をスイカの甘い赤い果汁でベタベタにした、ハエトリグモのアダンソン先輩だった。
どうやら、ビリー君が種を吐き出す際、ポケットから身を乗り出してスイカを狙っていた先輩ごと、口に含んで味わって(そして吐き出して)しまったらしい。
先輩は私の膝の上でブルブルッと身震いをして果汁を振り払うと、前脚を上げてビシッと敬礼した。その八つの目玉は、心なしか恍惚としてトロけている。
(……報告します。ターゲットの糖度、極めて高し。最高品質と認定します)
「お前も食ったのか……75万円の味を」
アダンソン先輩のハードボイルドな海兵隊魂も、この高級な甘みには抗えなかったようだ。
ビリー君も「Kuru? (種じゃなかったのか、僕ちゃんテヘペロ)」と首を傾げつつ、先輩に最後の一欠片を「おひとつどうぞ」と、そっと差し出した。先輩は嬉々として赤い果肉に飛びついていく。
「Namoose…… (ありえない甘さだ……これがセレブってやつだぜ)」
黒い屋根への純粋な憧れから始まり、黒いダイヤ(スイカ)で終わる。
富の味を知った私たちは、心もお腹も満たされ、いよいよ帰路につく。
「よし、札幌に帰るぞ。……その前に、最後のミッションだ」
「Kururu? (まだ何かあるのかい? 僕ちゃんのATM (パパ))」
「あるさ。北海道の旅の締めくくりといえば、ジンギスカンだろう」
私は車のエンジンをかけた。
帰り道、旭川で最高の「味付きジンギスカン」を買い込んで帰るのだ。地下秘密基地での豪快な打ち上げパーティーが、私たちを待っている。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次回も、男と恐竜と蜘蛛の気ままな漂泊にお付き合いください。




