第42話「大空と、煮え立つ泥の誘惑」
十勝川温泉の極上トリートメント湯で、私のもちもち肌とビリー君のふわふわ羽毛を完成させたアンキロサウルス号は、十勝平野を北東へと進路を取った。
車は広大な田園風景を抜け、山間部へと入っていく。
ここは足寄町。
日本一広い「町」であり、北海道が生んだ大スター「松山千春」の故郷でもある。母の友人が往年の大ファンで、今でもコンサートがあると必ず足を運んでいると聞いている。
「♪フフ〜、フンフフ〜♪」
私はハンドルを握りながら、雄大な景色に後押しされて熱唱していた。
窓の外には、どこまでも続く牧草地と、初夏の風に揺れる白樺の林。まさに歌の世界そのものだ。
助手席のビリー君も、その伸びやかなメロディーが気に入ったのか、「ピルル〜♪」と独特な節回しでハモってくる。
当初の予定では、ここはただ通り過ぎて阿寒湖へ向かうはずだった。
だが、沿道に現れた茶色い看板が、私の石オタクとしての変態センサーを激しく刺激した。
『足寄動物化石博物館』
なんとも素敵な響きではないか。
「……ビリー君、ちょっと寄り道だ。ここを素通りしたら、私の名がすたる」
私は急ブレーキ気味にハンドルを切り、博物館の駐車場へと車を滑り込ませた。
館内に入ると、そこには度肝を抜く巨大な骨格標本がズラリと並んでいた。
「おおお……! 見ろビリー君、足寄が誇る謎の巨大海棲哺乳類、『デスモスチルス』と『アショロア』だ!」
「Kuru? (なんだいこのカバの化け物は? 僕ちゃんの獲物かい?)」
「カバじゃない。束柱類と言って、今はもう絶滅してしまった奇妙な哺乳類だ。北海道がはるか昔、豊かな海だった時代に生きていた海獣の仲間だな。最大の特徴は、この口の中だ!」
私は巨体を揺らして展示ケースにへばりつき、デスモスチルスの化石の歯を太い指で指差した。
「海苔巻きを何本も束ねたような、円柱形の奇妙な歯! これで海底の海草や貝をバリバリすり潰して食べていたと考えられている。そしてこの『アショロア』は、足寄で世界で初めて発見された、彼らの最も古い祖先なんだ。まさに足寄は、海獣たちのゆりかごだったんだよ!」
私の熱弁に、ビリー君は「Namoose…… (ふーん。海苔巻きで思い出したんだけど、僕ちゃんはもう腹が減ったんですけど〜)」と呑気な感想を漏らしている。
さらに私たちは、館内で開催されていた「化石発掘体験」に参加した。
ハンマーとタガネを使って、本物の化石が入っているかもしれないノジュールを割る体験だ。
私はゴーグルをして真剣に石と向き合っていたが、ビリー君はタガネなど使わない。
彼のご自慢の凶器、鉤爪 (シックルクロウ)を石の割れ目にスッと差し込み、軽くひねっただけで「パカッ」と見事に石を二つに割ってしまった。
中からは、数千万年前の美しい植物の化石が現れた。
「お見事! さすが私の相棒だ!」
「Kururu (あ〜ん、なんだよ、食えない葉っぱかよ。僕ちゃんがっかりだぜ)」
少しがっかりしているビリー君を撫でながら、私たちは太古のロマンを大いに満喫し、足寄を後にした。
さらに車を走らせること数時間。
私たちは阿寒国立公園のエリアに入り、神秘の湖、「オンネトー」へと立ち寄った。
見る角度や時間帯によって五色に変わると言われる、深い青色の湖面が静かに広がっている。
湖畔には綺麗に整備された国設野営場があり、色とりどりのテントが並んでいた。最近は管理棟もお洒落になり、Wi-Fiまで飛んでいるらしい。
「へぇ、今はこんなに綺麗なのか……」
私は湖畔を歩きながら、懐かしそうに目を細めた。
「昔はオートキャンプ場なんて洒落たものはなくてな。この辺りの適当な河原や空き地にテントを張って、その辺の石でカマドを作って寝たもんだ」
「Kururu? (野宿かい? 僕ちゃんにぴったりのサバイバルだな)」
「ああ。トイレもない、水場もない。不便極まりなかったけど、焚き火の明かりだけで過ごす夜は悪くなかったぞ。あの頃の星空は、今よりもずっと近くに見えた気がするな」
私がロマンチックに語ると、ビリー君は「ふーん」と風情を感じるように窓の外を眺めた。
「ま、今の私はアンキロサウルス号の屋根に『スターリンク』のアンテナを積んでるからな! 空さえ見えれば宇宙経由でどこでもネットが繋がる。不便さなんてクソ食らえだ、ははは!」
「Namoose (僕ちゃんのせっかくの雰囲気がぶち壊しなんですけど〜)」
ビリー君が呆れたようにため息をついた。
そして、私たちは深い森に囲まれたカルデラ湖、阿寒湖に到着した。
車を降りると、ツンと鼻を突く匂いがした。硫黄の匂いだ。森の奥から、白い湯気が立ち上っている。
「ビリー君、あれを見に行くぞ。ただし、絶対に私の側を離れるなよ」
「Vamoose! (アイアイサー! 僕ちゃんにお任せだぜ!)」
私たちは遊歩道を歩き、その発生源へと向かった。
「ボッケ (泥火山)」だ。
灰色の泥が溜まった沼地で、地下からの火山ガスと熱水が噴き出し、ボコッ、ボコッと不気味な音を立てて沸騰している。
「Vamoose……!」
それを見た瞬間、ビリー君の黄金色の目がカッと見開かれた。
むせ返るような熱気、湿気、硫黄の匂い、そして煮え立つ泥。それは彼にとって、故郷の白亜紀の火山帯の環境そのものだったのだろうか。
「Kururuaッ! (ヒャッハー! 僕ちゃん好みの最高にホットな泥風呂だぜ!)」
彼は叫ぶや否や、柵を乗り越えて泥沼にダイブしようとした。
――やはりやった!
「コラコラコラコラ! 待てぇぇッ!!」
私は襟裳岬での反省を活かし、瞬時に反応した。
飛び込もうとするビリー君の太い尻尾を、プロレスラー顔負けのタックルで必死に抱き止める。
「Kuru! (離せってば! 僕ちゃんはあの温かい泥で極上の泥パックをするんだ!)」
「バカ野郎、あれは100℃近くあるんだよ! 泥パックじゃなくてラプトルの泥煮込みになるぞ!」
泥へ向かって突進しようとする恐竜と、重たい尻尾に引きずられながら必死に止める人間。
遊歩道の観光客がギョッとして見ているが、構っていられない。これは命がけの制止だ。
「いいか、あれは見るだけだ! お湯に入りたいならこっちだ!」
私は不満げに暴れる彼を引きずって、温泉街の一角にある「手湯」のコーナーへと連行した。ここなら安全な40℃だ。
「ほら、ここに手を入れろ」
「……Kururu? (ちぇっ、僕ちゃんには狭いんですけど)」
ビリー君は不満げに、手湯の浴槽に前脚 (翼)を浸した。
「……Vamoose (ふぅ……まぁ、悪くないぜ)」
適温のお湯に触れた瞬間、彼の険しい表情がトロンと緩んだ。
ボッケの野性的な熱気を感じながら、安全な手湯で温まる。アダンソン先輩も、私の胸ポケットからヒョッコリと顔を出し、湯気の当たる温かい石の上で器用に暖を取っている。
やれやれ、油断も隙もありゃしない。
だが、この手のかかる友人たちとの旅は、やはり退屈とは無縁だ。
私たちは手湯でホッと一息ついた後、阿寒湖名物の「丸いアレ」を探しに、木彫りの土産物屋が並ぶアイヌコタンの通りへと歩き出した。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次回も、男と恐竜と蜘蛛の気ままな漂泊にお付き合いください。




