第41話「北海道の中の北海道」
襟裳岬の強風から逃れるようにして北上したアンキロサウルス号は、広大な十勝平野へと入った。
窓の外には、北海道らしい雄大な農村風景が広がる。見渡す限り続いているのは、大きな葉を広げたビートの畑や、整然と並ぶ長芋のツル。まさに日本の「食」と「甘味」を支える大地だ。
私たちは海沿いの豊頃町に入った。
「よし、ちょっと寄り道しよう」
私はハンドルを切り、JR豊頃駅の裏手にある静かな公園に車を停めた。
「Kuru? (ここはなんだい、ブラザー?)」
ビリー君が窓の外の、水面が静かに揺れる沼を見て首を傾げる。
「ここは『佐々田沼』だ。ビリー君、上から見てみないとわからないが、この沼、実は見事な『北海道の形』をしてるんだぞ」
「Namoose…… (えー、そんな都合のいい話、僕ちゃん信じないね)」
自然にできた沼がそんな都合のいい形になるわけがないと、ビリー君は鼻を鳴らす。だが、本当なのだ。渡島半島から根室、宗谷地方まで、見事に北海道のシルエットを成している奇跡の沼である。
「実はな、私にはこの沼にちょっとした因縁があってね」
私は沼のほとりに立ち、遠い昔の記憶を呼び起こした。
「若い頃、私は本気で思ってたんだ。『マウンテンバイクさえあれば、この世界のどこまでも行ける』って。そしてある夏、ここで開かれたマウンテンバイクのクロスカントリーレースに出場したんだよ」
当時の私は、体力と無謀さだけが取り柄だった。
「レース中、この沼の周りのダートコースを走っていた時だ。私のすぐ前を走っていた選手が、ハンドルを取られて派手に沼へダイブしたんだよ。『バカだなぁ!』って後ろから大笑いしてよそ見してたら、私のタイヤも泥で滑って……気づいたら、私も頭から沼の中に突っ込んでた」
水草と泥にまみれ、愛車と共に沼の底を味わった苦い記憶。若さとは、無謀と万能感、そして圧倒的なマヌケさのセット販売だ。
「レースは散々だったが、終わった後に町の人たちが大鍋で『ちゃんちゃん焼き』を振る舞ってくれたんだ。冷えて泥だらけの身体に、味噌とバターの香りがたまらなくてな。……だが、配られた私の皿をいくら探しても、肝心な鮭の身が入ってなかったんだよ。ただのキャベツと玉ねぎの味噌炒めだった。あれは泣けたなぁ」
「Kururu…… (どんまい、僕ちゃんのATM (パパ))」
ビリー君が気の毒そうに私の肩をポンと叩いた。
「まあ、今となってはいい思い出だ」
思い出の佐々田沼を後にした私たちは、十勝川が太平洋に注ぐ河口付近、大津海岸へと向かった。
冬になればクリスタルのような「ジュエリーアイス」が打ち上がることで有名な海岸だが、今の季節は誰もいない。
「よし、着いたぞ。……ここからはバトルだ」
浜辺に降り立つなり、私は目つきを変えた。美しい水平線? 知ったことか。今の私に見えているのは、足元の砂利だけだ。
「Kururu? (何探してんの? 僕ちゃんの獲物かい?)」
ビリー君が不思議そうに首を傾げ、濡れて漆黒に輝く石を鼻先で転がした。
黒曜石 (十勝石)だ。天然のガラスであり、割れば鋭い刃物になる名石だ。
「いいかビリー君。黒曜石も素晴らしいが、今日の私の狙いはそれじゃない。『中身』のある石だ」
私は何かに憑かれたように、波打ち際を這い回った。狙うは「ジオード (晶洞石)」。
外見はただの丸い瑪瑙 だが、内部が空洞になっていて、そこに水晶の結晶がびっしりと成長している「当たり」の石だ。
私は次々と石を拾い上げては、太陽にかざす。
(……ダメだ、光が通らない。ただの石ころだ)
(……これは瑪瑙だが、重すぎる。中が詰まっている証拠だ)
傍から見れば、石を睨みつけては投げ捨てる不審者だろう。だが止まらない。
何百個目かの石を拾い上げた時、極太の指先に微かな「軽さ」を感じた。太陽にかざすと、乳白色の石の奥が、ぼんやりと明るく透けた。
「お〜ん?……こいつは、臭うぞ」
私は震える手でハンマーを取り出し、石の端を慎重にコンコンと叩いた。
パカッ。
石が二つに割れた瞬間、その断面が夕日を浴びてキラキラと輝いた。
「ビンゴォォォ!! ジオードだ!」
石の内側に、小さな水晶の洞窟が形成されている。まるで石の中に、手付かずの小宇宙が閉じ込められているようだ。この感動、何度味わってもたまらない。
「Vamoose! (すっげぇ! 僕ちゃん感動するくらい綺麗じゃん!)」
ビリー君もその輝きに興奮し、尻尾を振った。
一度「当たり」の感覚(重さと透け具合)を掴めば、こっちのものだ。
結局、アンキロサウルス号に戻る頃には、私のリュックはずっしりと重くなっていた。
夕方。
襟裳の強風と大津海岸の石拾いですっかり冷え切り、砂だらけになった身体を癒やすため、私たちは内陸へと車を走らせた。
そこは音更町にある十勝川温泉。
ここの温泉は、世界でも珍しい「モール温泉」のひとつ。太古の植物のエキスが地中に堆積し、それが溶け込んだ「美人の湯」である。
私たちが訪れたのは、十勝川のほとりにある開放的な露天風呂。
お湯の色は、深い琥珀色をしている。上質なウイスキーのような美しい色で、ほんのりと植物の甘い香りがする。
チャプン……。
「くぅぅ……染みる。そして、ヌルヌルだ」
植物性の有機成分がたっぷりと溶け込んだお湯は、まるで天然の化粧水のように肌にまとわりつく。55歳の乾燥した肌が、みるみるうちに若返っていくのがわかる。
ビリー君も、気持ちよさそうに肩まで浸かっている。ふと、湯船の縁から外を見ると、すぐそこの河川敷をウォーキングしている地元の人たちの姿が見えた。
(……こっちからは丸見えだけど、向こうからは見えてない……はずだよな?)
岩陰に隠れているとはいえ、なかなかのスリルだ。
だが、ビリー君はそんなことお構いなし。琥珀色のお湯を翼ですくい、自分の羽毛にパシャパシャとかけて念入りにケアをしている。この太古の植物エキスが溶け込んだお湯は、彼にとって最高の「コンディショナー」のようだ。
そして、湯上がり。
アンキロサウルス号に戻ってドライヤーで乾かすと、その効果は劇的だった。
「すごいなビリー君! 新品の高級クッションみたいだぞ」
普段は野性味あふれる彼の羽毛が、モール温泉の効果で柔らかく、ふわっふわに仕上がっている。触り心地は最高級のシルクかベルベットだ。
「Pikobabool…… (最高だ……僕ちゃんの羽毛が極上すぎるぜ……)」
ビリー君もまんざらでもない様子で、ツヤツヤになった自分の翼を毛繕いしている。
テーブルには、戦利品のジオードの山。
私たちは「もちもち肌」と「ふわふわ羽毛」、そして「重たいリュック」と共に、十勝の夜を迎えた。
明日はさらに東へ。いよいよ、海棲哺乳類の化石の宝庫、足寄町へと向かう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
次回も、男と恐竜と蜘蛛の気ままな漂泊にお付き合いください。




