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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第4章:漂泊のヘテロトピア
39/72

第39話「日高の白い雪崩(アバランチ)」

 むかわ町での化石発掘を終えたアンキロサウルス号は、国道235号線をさらに南東へと下っていた。


 右の車窓には太陽の光を反射して煌めく太平洋の青い海が広がり、左の車窓にはどこまでも続く緑の牧草地が流れていく。北海道ならではの爽快なシーサイド・ドライブだ。


 ここは日高地方。

 通称「サラブレッド銀座」と呼ばれるこの地域は、右を見ても左を見ても、牧場の白い柵が延々と続いている。手入れの行き届いた青々とした放牧地で、まるで磨き上げられた宝石のように美しい馬たちが草を()んでいる光景は、何度見ても圧巻だった。


 私たちは、とある牧場の前で車を停めた。

 ここは、私がかつて勤めていた会社の元同僚である斉藤が、親の後を継いで経営している牧場だ。


「よう! 久しぶりだな……って、なんだその装甲車みたいな車は!」


 日に焼けた顔に作業着姿の斉藤が、目を丸くして出迎えてくれた。彼とは現役の設計エンジニア時代、徹夜明けの朝活筋トレをした仲だ。

 相変わらずの快活な笑顔に、私も自然と口角が上がる。


「大家さんから借りた特製キャンピングカーさ。それより斉藤、車もすごいが、こっちの連れにも驚いてくれよ」


 私が助手席のドアを開けると、オレンジ色のダウンを着たビリー君が堂々と降りてきた。


Kururu(クルル)!( 僕ちゃん様のお通りだぜ、ブラザー)」


 だが、斉藤は驚くどころか、ニヤリと笑って指を差した。


「ははは! YouTubeで見たぞ。どこのショッピングモールだっけか、恐竜連れて堂々と歩いてる動画!『うわ、こんなアホなことするスキンヘッド、絶対あいつだ!』って腹抱えて笑っちまったよ。お前、密かな有名人だぞ」


 どうやら、以前街中に出かけた際の映像がネットで拡散されていたらしい。

 「精巧な着ぐるみ説」と「本物説」でざわついているようだが、斉藤は私の変態的なこだわりを知っているため、ひと目で私の仕業だと確信したようだ。


「まあ、細かいことは気にするな。よし、せっかくだから紹介したい奴がいる。ついて来な」


 私たちは斉藤の案内に従い、広大な厩舎(きゅうしゃ)の奥へと進んだ。


 途中、現役の若い競走馬たちの放牧エリアを通った。

 アスリートとして極限まで研ぎ澄まされ、ガラス細工のように神経質な彼らは、ビリー君の姿――白亜紀の頂点捕食者のオーラを本能で察知した瞬間、「ヒヒィィン!」と(いなな)いて一斉にパニックになりかけた。


「おいビリー君、姿勢を低くして。殺気を消せよ」


Kyu(キュウ)( ええ、僕ちゃんは恐竜じゃありませんよ? ただのキュートなでっかい鳥さんです)」


 ビリー君が両前脚を胸の前にピタリと畳み、内股で「ぶりっこ」をして歩く姿は結構愛らしい。しかしながら、やはり普通の草食動物にとって、ラプトルの存在自体が理不尽な恐怖の対象なのだ。


 だが、斉藤は「あいつは違うぞ」と言って、いちばん奥にある離れの広い放牧地を指差した。

 そこには、一頭の真っ白な馬がいた。


 現役時代はグレー( 芦毛)だったらしいが、歳を重ねて色素が抜け、今では神々しいほどの白さになっている。彼は草も食わず、ただ遠くの日高の山をボォーっと見ていた。

 そして時折、意味もなく「ベロ」を口の端からダラリと出し、誰も見ていないのに1人で変顔をして遊んでいる。


「あいつの名前は『ワイルド・アバランチ』。俺の牧場の功労馬であり、絶対的なボスだ」


 斉藤が苦笑いしながら解説する。

 現役時代は、ゲートで突然立ち上がってレースを放棄したり、気に入らない他の馬に噛みつきにいったりとやりたい放題。だが、本気で走る気になった時の強さは化け物級で、G1レースを圧勝したこともあるという伝説の「白い雪崩( アバランチ)」だ。


 引退した今はこうしてのんびりと隠居生活を送っているが、その太い首と隆起した筋肉、そして底知れない眼光は全く衰えていない。


「おい、アバランチ。お客さんだぞ」


 斉藤が声をかけると、白い暴君はゆっくりとこちらを向いた。

 その三日月型の黒い瞳が、ビリー君を真っ直ぐに捉える。

 普通の馬なら一目散に逃げ出す場面だ。だが――。


 ズシン、ズシン。


 アバランチは逃げるどころか、興味深そうに堂々とした足取りで柵まで近づいてきた。

 ビリー君が少し身構える。種族は違えど、歴戦の強者同士、オーラでわかるのだろう。「こいつは強い」と。


 アバランチは柵の上から長い首を伸ばし、ビリー君の顔の真ん前まで鼻先を近づけた。

 フンフン、と匂いを嗅ぐ。ビリー君も負けじと、相手の大きな鼻息を真正面から浴びながら睨み返す。


Guru(グルル)……?( なんだよう、こいつ。僕ちゃんのオーラが視えないのかい?)」


ピンと張り詰めた緊張が走る一瞬。一触即発か、と思われた次の瞬間だった。


 アバランチが突然、上唇をベロッと天井に向けてめくり上げ、立派な歯を剥き出しにする「フレーメン現象」を披露したのだ。

 それは威嚇というより、最高にマヌケでダイナミックな「変顔」だった。


 白亜紀のハンターは、その挑発 (?)を黙って見過ごすような男ではない。


 ビリー君は負けじと、黄金色の瞳の瞬膜(しゅんまく)をパチパチと高速で点滅させ、口を半開きにして舌をだらりと横に垂らすという、彼なりの全力のアホ面で応戦したのだ。

 白い暴君の強烈な変顔と、恐竜の渾身のアホ面。至近距離での、謎のコミュニケーションが繰り広げられている。


「……ブルルッ!( お前、なかなか面白い顔するじゃねえか)」


Vamoose(ヴァムース) ( そっちこそ、なかなかやるじゃん!)」


 お互いに「こいつ、やるな」と通じ合ったらしい。2匹の間にあった緊張感は嘘のように消え去り、アバランチはビリー君の頭に自分の顎を軽く乗せて親愛の情を示した。


「おいおい! 気難しいアバランチが、初対面の奴とこんなにすぐ打ち解けるなんて初めてだぞ!?」


 斉藤が驚愕している。


 ビリー君は何かを思いついたように、ゴソゴソとポシェットの中を探った。取り出したのは、彼が旅のおやつとして大事に持っていた、茨城県産紅はるかの干し芋だった。

 甘党の彼にとって、これは命の次に大事な宝物である。それを他者に譲るということは、最大の敬意の表れではないか。


Kururu(クルル) ( これ、僕ちゃんのお気に入りなんだけど、食うかいブラザー?)」


 ビリー君が、その黄金色の平たい芋を差し出した。

 アバランチが大きな鼻を近づけ、器用な柔らかい唇でパクリと干し芋をくわえ、ムシャムシャと食べ始めた。


「ブルルッ!( まいう~!)」


 馬の目が輝いた。それを見たビリー君も、嬉しそうに喉を鳴らした。


Pikobabool(ピコバブール) ( だろ! 極上だろ!)」


 かつてターフを沸かせた白い怪物と、現代に現れた白亜紀のハンター。

 二つの時代の暴れん坊同士、言葉はいらない。ただ静かに、初夏の日高の風の中で干し芋の甘さを共有し、寄り添っていた。


「……いい絵だな」


 私がスマホを取り出すと、アバランチはカメラに気づき、サービス精神たっぷりに再び唇をめくり上げて「変顔」を決めてくれた。やはり、ただ者ではない。


 私たちは牧場の柵に腰掛け、斉藤が淹れてくれたコーヒーを飲みながら昔話に花を咲かせた。

 目の前では、ビリー君とアバランチが、柵越しに並んで傾きかけた夕日を眺めている。時が止まったような、穏やかな日高の午後だった。


 明日はさらに海岸線を南下し、日高山脈(ひだかさんみゃく)が海へと落ち込む町、様似町(さまにちょう)を目指す。


 そこには、私の愛してやまない「石」の聖地が待っているのだ。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

次回も、男と恐竜と蜘蛛の気ままな漂泊にお付き合いください。

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