第39話「日高の白い雪崩(アバランチ)」
むかわ町での化石発掘を終えたアンキロサウルス号は、国道235号線をさらに南東へと下っていた。
右の車窓には太陽の光を反射して煌めく太平洋の青い海が広がり、左の車窓にはどこまでも続く緑の牧草地が流れていく。北海道ならではの爽快なシーサイド・ドライブだ。
ここは日高地方。
新冠町に入ると、「サラブレッド銀座」と呼ばれる牧場地帯が広がっている。白い柵が延々と続き、手入れの行き届いた青々とした放牧地では、未来の名馬たちがのんびりと草を食んでいた。
私たちは、とある牧場の前で車を停めた。
ここは、私がかつて勤めていた会社の元同僚である斉藤が、親の後を継いで経営している牧場だ。
「よう! 久しぶりだな……って、なんだその装甲車みたいな車は!」
日に焼けた顔に作業着姿の斉藤が、目を丸くして出迎えてくれた。彼とは現役当時、徹夜明けの筋トレをした仲だ。相変わらずの快活な笑顔に、私も自然と口角が上がる。
「大家さんから借りた特製キャンピングカーさ。それより斉藤、車もすごいが、こっちの連れにも驚いてくれよ」
私が助手席のドアを開けると、オレンジ色のダウンを着たビリー君が堂々と降りてきた。
「Kururu!(僕ちゃん様のお通りだぜ、ブラザー)」
だが、斉藤は驚くどころか、ニヤリと笑って指を差した。
「ははは! YouTubeで見たぞ。どこのショッピングモールだっけか、恐竜連れて堂々と歩いてる動画! 『うわ、こんなアホなことするスキンヘッド、絶対あいつだ!』って腹抱えて笑っちまったよ。お前、密かな有名人だぞ」
どうやら、以前街中に出かけた際の映像がネットで拡散されていたらしい。
「精巧な着ぐるみ説」と「本物説」でざわついているようだが、斉藤は私の変態的なこだわりを知っているため、ひと目で私の仕業だと確信したようだ。
「まあ、細かいことは気にするな。よし、せっかくだから紹介したい奴がいる。ついて来な」
私たちは斉藤の案内に従い、広大な厩舎の向こうへと進んだ。
途中、若い馬たちの放牧地を通った。
アスリートとして研ぎ澄まされた彼らは、ビリー君オーラを本能で察知したのか、「ヒヒィィン!」と嘶いて一斉にパニックになりかけた。
「おいビリー君、姿勢を低くして。殺気を消せよ」
「Kyu(ええ、僕ちゃんは恐竜じゃありませんよ? ただのキュートなでっかい鳥さんです)」
ビリー君が両前脚を胸の前にピタリと畳み、内股で「ぶりっこ」をして歩く姿は結構愛らしい。しかしながら、やはり普通の草食動物にとって、正体不明のラプトルは理不尽な恐怖の対象なのだろう。
だが、斉藤は「あいつは違うぞ」と言って、いちばん奥にある離れの広い放牧地を指差した。
そこには、一頭の真っ白な馬がいた。
現役時代はグレー(芦毛)だったらしいが、歳を重ねて色素が抜け、今では神々しいほどの白さになっている。彼は草も食わず、ただ遠くの日高の山をボォーっと見ていた。
そして時折、意味もなく「ベロ」を口の端からダラリと出し、誰も見ていないのに一人で変顔をして遊んでいる。
「あいつの名前は『ワイルド・アバランチ』。俺の牧場の功労馬であり、絶対的なボスだ」
斉藤が苦笑いしながら解説する。
現役時代は、わがままで気難しく、気に入らない他の馬に噛みつきにいったりとやりたい放題。だが、本気で走る気になった時の強さは化け物級で、G1レースを圧勝したこともあるという、伝説の「白い雪崩」だ。
引退した今はこうしてのんびりと隠居生活を送っているが、その太い首と隆起した筋肉、そして底知れない眼光は全く衰えていない。
「おい、アバランチ。お客さんだぞ」
斉藤が声をかけると、白い暴君はゆっくりとこちらを向いた。
アバランチのやたらと人間くさい黒い瞳が、ビリー君を真っ直ぐに捉える。
普通の馬なら一目散に逃げ出す場面だ。だが……。
ズシン、ズシン。
アバランチは逃げるどころか、興味深そうに堂々とした足取りで柵まで近づいてきた。
ビリー君が少し身構える。種族は違えど、歴戦の強者同士、オーラでわかるのだろう。「こいつは強い」と。
アバランチは柵の上から長い首を伸ばし、ビリー君の顔の真ん前まで鼻先を近づけた。
フンフン、と匂いを嗅ぐ。
ビリー君も負けじと、相手の大きな鼻息を真正面から浴びながら睨み返す。
「Guru……?(なんだよう、こいつ。僕ちゃんのオーラが視えないのかい?)」
ピンと張り詰めた緊張が走る。
一触即発か、と思われた次の瞬間だった。
アバランチが突然、上唇をベロッと天に向けてめくり上げ、立派な歯を剥き出しにする「フレーメン現象」を披露したのだ。
それは威嚇というより、最高にマヌケでダイナミックな「変顔」だった。
白亜紀のハンターは、その挑発(?)を黙って見過ごすような男ではない。
ビリー君は負けじと、シマエナガ風のつぶらな黒い瞳をパチパチさせ、口を半開きにして舌をだらりと横に垂らすという、彼なりの全力のアホ面で応戦したのだ。
白い暴君の強烈な変顔と、恐竜の渾身のアホ面。
至近距離での、謎のコミュニケーションが繰り広げられている。
「……ブルルッ!(お前、なかなか面白い顔するじゃねえか)」
「Vamoose(そっちこそ、なかなかやるじゃん!)」
お互いに「こいつ、やるな」と通じ合ったらしい。二匹の間にあった緊張感は嘘のように消え去り、アバランチはビリー君の頭に自分の顎を軽く乗せて親愛の情を示した。
「おいおい! 気難しいアバランチが、初対面の奴とこんなにすぐ打ち解けるなんて初めてだぞ!?」
斉藤が驚愕している。
ビリー君は何かを思いついたように、ゴソゴソとポシェットの中を探った。取り出したのは、彼が旅のおやつとして大事に持っていた、茨城県産紅はるかの干し芋だった。
甘党の彼にとって、これは命の次に大事な宝物である。それを他者に譲るということは、最大の敬意の表れではないか。
「Kururu(これ、僕ちゃんのお気に入りなんだけど、食うかいブラザー?)」
ビリー君が、その黄金色の平たい芋を差し出した。
アバランチが大きな鼻を近づけ、器用な柔らかい唇でパクリと干し芋をくわえ、ムシャムシャと食べ始めた。
「ブルルッ!(まいう~!)」
馬の目が輝いた。それを見たビリー君も、嬉しそうに喉を鳴らした。
「Pikobabool(だろ! 極上だろ!)」
かつてターフを沸かせた白い怪物と、現代に現れた白亜紀の恐竜。
二つの時代の暴れん坊同士、言葉はいらない。ただ静かに、初夏の日高の風の中で干し芋の甘さを共有し、寄り添っていた。
「……いい絵だな」
私がスマホを取り出すと、アバランチはカメラに気づき、サービス精神たっぷりに再び唇をめくり上げて「変顔」を決めてくれた。
やはり、ただ者ではない。
私たちは牧場の柵に腰掛け、斉藤が淹れてくれたコーヒーを飲みながら昔話に花を咲かせた。
目の前では、ビリー君とアバランチが、柵越しに並んで傾きかけた夕日を眺めている。時が止まったような、穏やかな日高の午後だった。
明日はさらに海岸線を南下し、日高山脈が海へと落ち込む町、様似町を目指す。
そこには、私の愛してやまない「石」の聖地が待っているのだ。




