第25話「アイスクリーム・パラダイス」
「……ヴェロキラプトルという恐竜を知っているだろうか?」
かつて白亜紀の生態系の頂点近くにいた彼らが、現代において「冬に暖房をガンガンに焚いて、Tシャツ一枚でアイスを食う」という北海道特有の退廃的な文化に、こうも容易く染まるとは誰も予想していなかっただろう。
カレンダーは4月。ニュースでは、本州で桜が散り始めていると報じている。
だが、この札幌市南区の山悟荘周辺は、狂ったように降り続いた雪によって完全に埋没し、分厚い「雪のドーム」の中に封じ込められていた。全北海道規模の気候変動がもたらした、終わらない冬。
しかし、この家の内側はといえば――設定温度25度。
大家さんが設置した「地熱循環システム」を、私が組んだ環境制御で絶妙にコントロールし、家中どこにいても初夏のような熱気が満ちている。
「Vamoose!(クゥ〜ッ、たまんねぇ〜! 僕ちゃん、とろけちゃうぜ!)」
ビリー君が、板の間の上にデーンと大の字に寝そべり、冷たいアイスのコーンを前脚で器用に抱え込んでいた。
食べているのは、オレンジ色の果肉が練り込まれた「セイコーマートの北海道メロンソフト」だ。
彼のアンズ色の羽毛には、白い毛玉――シマエナガが埋まり、溶けかけたメロンソフトの雫を狙って「ジュルッ!」と騒いでいる。ハエトリグモのアダンソン先輩も、ソフトクリームの渦巻き状の山を登頂(制圧)しようと、前脚をこまめに動かして索敵している。
「……おわかりですか!? アキラさん。私が提供したシステムを、こんな非効率な設定で運用するなんて!」
雪をかきわけて勝手口から入ってきた大家さんが、計測機器を片手に憤慨していた。
彼は半袖Tシャツ一枚の私と、お腹を出して寝ている恐竜を見て、エンジニアとしての理性が限界に達したらしい。
「設定温度を25度まで上げて、わざわざ体温を奪うアイスを摂取するなんて、熱力学への冒涜だとは思いませんか! 真冬の推奨値は20度だと言ったはずですよ!」
「まあまあ大家さん。ビリー君は南国仕様の体質ですし、冬のアイスは脳のクーリングに最適なんですよ」
「その鳥もそうです。高気密環境で基礎代謝が上がっているのに、メロン果汁のおこぼれをもらうなんて、カロリーの過剰摂取ですよ!」大家さんの怒号が轟く。(基礎代謝が上がっているなら、多少のカロリーオーバーは問題ないのでは?と思うけど)
大家さんと私の議論は平行線だ。「効率と物理」を愛する大家さんと、「スローライフとロマン」を愛する私。
その時、ビリー君が満足そうにカップを舐め終え、傍らにあった「真鍮の鍵」を自分の顎の下に差し込んだ。床暖房で温まった金属の感触を楽しみ、喉をグリグリとマッサージしている。
「あ、それ私の共鳴調整用治具じゃありませんか……!」
(お??? 鍵は大家さんの所有物だったのか!?)
「大家さん、それ、今はビリー君がアイスを食べるための『スプーン置き』兼『肩たたき』に使っているんですよ……」
「スプーン置き!? バカな、あれは地中パイプの共鳴周波数を整えるための超精密機器なんですよ――」
「Vamoose(僕ちゃんの道具だ。爺さん、お説教はよそでやってくれよ)」
と言わんばかりに、ビリー君は大家さんをジロリと見る。
「……ダメだ。私の最強のシェルターが、甘い南国リゾートになっていく……」
大家さんは天を仰ぎ、そして作業着のポケットから黒い円筒形の機械を取り出した。
「せめて、脳の処理に悪影響を与える『外の吹雪の低周波振動』だけでもカットしましょう。この『完全静寂モジュール』で、あらゆるノイズを物理的に相殺するんですよ」
大家さんがスイッチを入れた瞬間、効果は劇的だった。
配管の唸りも、雪が板塀を叩く振動も、すべてが吸い込まれるように消滅した。
だが、それは「静かになった」というより、世界から「音という次元」が欠落したような、不気味な真空状態だった。すべての電源が落ちた直後のような、死の静けさ。
シマエナガはさえずるのをやめて硬直し、先輩も葉の上で、まるで動作不良を起こしたドローンのようにピタリと動かなくなった。
ビリー君は慌てて真鍮の鍵を振り上げ、地熱パイプを強く叩いた。
――(無音)。
キィィンと響くはずの共鳴音がしない。金属がぶつかった衝撃だけがあり、音だけが神隠しに遭っている。
ビリー君の瞳が驚愕に見開かれ、ゆっくりと後ずさりした。
「Namoose!(なんだこれ!? 気持ち悪い、音が死んでる! やめろ!)」と、沈黙の中で叫んでいた。
私も限界だった。無音が精神を蝕んでいくような不気味な感覚だ。大家さんはスイッチを入れた格好のまま凍りついている。
私は渾身の力を込めて全身を奮い立たせた。縁側に走り、凍りついたサッシのロックを力任せに引き剥がし、さらに凍りついている外側のサッシを勢いよくこじ開けた。
バリバリバリッ!
氷の砕ける音と共に、窓を塞ぐように積もっている雪と共に4月の吹雪が「ヒュオオオオ!」と雪崩れ込んできた。
不快な「ノイズ(風の音)」が流れ込んだ瞬間、世界に色が戻った。
シマエナガが飛び立ち、ビリー君が「Vamoose(ぷはぁっ! 助かったぜ!)」と傲慢で生命力に溢れた肯定の声を上げる。
「おや、安全装置(私のこと?)が作動しましたか。やりすぎてしまいましたね」
大家さんは悪びれもせずモジュールを回収し、私は大きく息を吐いて茶の間の座布団に沈み込んだ。
すると、隣でモサッ……モサッ……と乾いた音が響いた。
ビリー君が、ストレスを紛らわすように非常食の『ミルクカステーラ』(札幌・島川製菓)と『ビタミンカステーラ』(旭川・高橋製菓)の袋を開け、口いっぱいに頬張っていた。
口の中の水分をすべて奪われる感覚に白目をむきながら、必死に咀嚼している。
どっちもこっちもパサパサだ。
「Vamoose(僕ちゃんの口の中が砂漠みたいになっちゃうけど、このチープな甘さがクセになるんだよねぇ)」
笑う彼を見て、私は冷蔵庫を開けたが、不運にも牛乳は切れていた。カステラに牛乳がないのは死活問題だ。
「よし、飲み物を調達するぞ」
私たちは勝手口の外、雪のドームと化したトンネル空間へと出た。
ビリー君が第一ゴムの長靴で雪壁を掘り進むと、かつて道端に立っていた一台の自動販売機が姿を現した。4メートル近い雪に押し潰されそうになりながらも、取り出し口の隙間からは、かすかに赤い電源ランプが瞬いている。
ビリー君は、その金属の塊に顔を寄せ、両腕の羽根を広げて自販機を力強く抱きしめた。まるで生き別れた恋人に再会したかのような情熱だ。
だが、動機はロマンスではない。彼が鋭敏な感覚で感じ取っているのは、氷漬けになった箱の中に眠る「大量の加糖練乳入りコーヒー」の気配だ。
彼はダウンの保温力で機械を温めようとモフモフの体を押し付けるが、表面の氷がわずかに濡れるだけで、分厚い氷の膜はびくともしない。
ビリー君は不満げに眉間にシワを寄せ、鼻を鳴らした。
「……Namoose(開かねぇ! ガードが固すぎるぜ、このジハンキ!)」
私がカチカチに凍りついたコイン投入口を見つめて途方に暮れていると、いつの間にか同行していた大家さんが、地熱システムのバイパスホースを引き出してきた。
「力技で掘り起こすのではなく、熱を閉じ込めればいいんですよ。『地熱かまくら』を作りましょう」
大家さんがバルブを開くと、雪の下から水蒸気が上がり、自販機の周りに半透明の氷の殻が形成された。
ポゥッと浮かび上がるラインナップ。北海道限定の「リボンナポリン」、そして我々世代にはたまらない「ジョージア・サントスプレミアム」。
ビリー君は私の財布から小銭を抜き取り、迷わず激甘の練乳カフェオレのボタンを叩いた。
ガコンッ。
静まり返った雪のドーム内に、文明の音が響き渡る。
地熱で解凍されたばかりの缶は、せいぜい「ぬるい」としか言いようのない中途半端な温度だった。だが、ビリー君はピンセットのような爪で器用にプルタブを開け、甘ったるい液体を一気に流し込んで「Vamoose(これだよこれ! 乾いた脳みそに糖分が染み渡るぜ!)」と歓喜した。
私もサントスプレミアムを買い、一口飲む。
独特の甘さと苦味。20代の頃に初めて飲んだ記憶が蘇る。あの頃も寒かったが、今よりは少し、未来が明るく見えていた気がする。
外は4月だというのに氷河期の吹雪。
だが、ここには頼もしい仲間と、ぬるい缶コーヒーがある。
それだけで、この途方もない大冒険の続きを歩いていける気がした。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ビリーと過ごす北海道の冬の情景が、少しでも皆様の心に届けば幸いです。
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次話も、山悟荘でお待ちしております。




