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ラプトルの鉤爪  作者: 紫紅葉
第3章:山悟荘の創造
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第26話「黄金の液体と、白亜紀の流しひやむぎ」

 雪のドームから救出した自販機には、コーヒー以外にも「生き残り」がいた。

 私はビリー君と共に、戦利品である栄養ドリンク(タウリン3000mg配合、1本100円くらいのやつ)を抱えて帰還した。

 

「土産だ。留守番のご褒美だぞ」

 小皿に黄金色の液体を数滴垂らすと、ビリー君から孫認定されている白い毛玉のシマエナガと、ハエトリグモのアダンソン先輩が即座に反応した。

 特に先輩は、液面に触れた瞬間に覚醒したらしい。もともと高い身体能力を持つ彼女は、カフェインとタウリンのブーストにより、漆黒のボディに白い三日月模様が怪しく輝き始めた。

 

 シュバッ!

 彼女が板の間(いたのま)を蹴った瞬間、その姿は消えた。いや、速すぎて目視できない。障子から天井へ、残像だけを置き去りにして駆け抜けるその姿は、まさに「黒い稲妻」。通常の3倍――いや、高濃度酸素とタウリンがキメた植民地海兵隊のごとき、限界突破のオーバードライブだ。

 

 一方、シマエナガは違った。縁側の手すりにとまったまま、じっと外の雪を見つめ、「……ジュル」と低く鳴いた。まるで自分の体がどこまで“自分”なのかを確かめているような、妙に思索的で哲学的な沈黙だ。

 

「おや、元気そうですね。では、実験を始めましょうか」と、勝手口から大家さんが大掛かりな機材を抱えて現れた。茶の間(ちゃのま)を一周するように設置された、透明な樹脂製チューブと複雑なポンプの集合体。中はキンキンに冷えた氷水で満たされている。

「大家さん、これ……どう見ても流しそうめんのセットですよね」

 

「ノンノン。これは単なる食事の道具じゃありません。地熱流動の慣性モーメントを応用した、次世代型・流体搬送ユニットのプロトタイプなんですよ。そして今日は『そうめん』ではなく、より太く流体力学的な抵抗値が高いこれを使います」


 大家さんが取り出したのは、北海道民には馴染み深い「冷麦(ひやむぎ)」の束だった。そうめんより少し太く、そして何より、我々(おっさん世代)の心をくすぐる「アレ」が入っているやつだ。

 

「今回は、この中に含まれる『カラー麺』を、流速測定用の視認性トレーサーとして利用します」

 大家さんがスイッチを入れると、不穏な重低音と共にポンプが稼働し、超高速で水が循環し始めた。そこへ茹でた冷麦(ひやむぎ)が投入される。

 

 シュバッ!

 目にも止まらぬ速さで、白い麺がチューブの中を駆け抜けた。

「……Vamoose(ヴァムース)(なになになに!? 獲物か!?)」

 床暖房の上で丸まっていたビリー君が弾かれたように顔を上げた。

 だが、本番はここからだ。白い麺の群れの中に、稀に混ざる「ピンク」と「緑」の麺。子供の頃、兄弟で奪い合いになったレアアイテム。

 

「行きますよ、トレーサー投入!」

 ピンク色の麺が流れた瞬間、ビリー君の目の色が変わった。ラプトルの色彩感覚において、あの鮮やかなピンクは「肉」、緑は「虫」として、強烈な捕食シグナルとして認識されたのだろう。

 

Gururururu(グルルルルッ)(いただきまんぼー!)」

 ビリー君はカーブ部分に陣取り、驚異的な反射神経でピンクの麺だけを狙い始めた。だが、ピンク色の麺は彼の鼻先をかすめていく。

 

「甘い! 恐竜さん、迎撃角度が0.5度ズレていますよ! 流速をさらに上げますからね!」

 大家さんは楽しそうに出力を上げた。冷麦(ひやむぎ)は音を立てて加速し、部屋の中にシュゴォォッ! という風切り音が響き渡る。加速器の実験か何かだ。

 

 その時、鴨居(かもい)の隅から、黄金の液体で覚醒した「黒い稲妻」が動いた。

 彼女が狙うのは、緑色の麺。

 ズキューン!

 神速でダイブした先輩は、空中で糸を射出し、チューブの継ぎ目から遠心力で飛び出した緑色の麺を、空中で正確にキャッチした。着地することなく、そのまま鴨居(かもい)へと戻るアクロバティックな帰還。

 

 王者のプライドを刺激されたビリー君は、細かい狙い撃ちをやめた。チューブの最終地点、水がザルへと放出されるポイントで口を大きく開け、飛び出した冷麦の塊を空中で見事に一呑みにした。

 バシャアッ!

 大量の水しぶきが舞い、ビリー君は満足げな咆哮を上げた。口の端からは、勝ち誇ったようにピンク色の麺が垂れている。

 

 結局、一時間後には茶の間(ちゃのま)中が水浸しになり、冷麦が至る所に飛び散るという惨状になった。

「ふむ。冷麦の空力特性は確認できました。……ところで」

 機材を撤収しかけた大家さんの視線が、茶の間(ちゃのま)の座卓の上に置かれた栄養ドリンクの空き瓶で止まった。その目は、不発弾でも見るような鋭さだった。

 

「……アキラさん。この瓶、捨て方は決めていますか?」

 私が「町内会長の逆鱗」に触れた瞬間だった。大家さんは、札幌市のゴミ分別ルールを聖書のごとく遵守する男だ。

 

「キャップは金属、ラベルはプラ、本体はガラス瓶。この美しい素材たちが、分別の不備で『ただの埋め立てゴミ』になるなんて、私には耐えられない……! 特にこのラベルの強力な糊! これが残っていると――」

 タブレットを抱きしめながら始まる「分別の美学」。

 

 その瞬間、天井の空気が変わった。覚醒状態の「黒い稲妻」が、イライラと前脚を震わせた。

(……うるさいな。ここは私のシマなんだよ)

 彼女にとって、ここは自分が内部監査する城だ。そこへ外から来た管理者が「市役所のルール」を押し付けるのが我慢ならないのだ。

 

 ビリー君が不器用な爪でラベルを剥がそうとして失敗し、大家さんが「ひぃっ! リサイクル等級が下がります!」と悲鳴を上げた、その時だ。

 天井から黒い稲妻が急降下した。

 彼女は空中で糸を射出し、座卓の上の瓶に巻きつけると、遠心力を利用して瓶の周りを高速回転した。ズキューン! という音と共に黒い残像が瓶を包囲し、白い触肢がラベルの隙間に潜り込む。

 

 着地と同時に、パラリ……と、一枚のラベルが糊の跡ひとつ残さず綺麗に剥がれ落ちた。さらに、キャップの下のプラスチックリングまでもが、鋭利な牙による一閃で切断され、ポロリと外れた。

 札幌市環境局の職員ですら涙するであろう、完全なる分別の神業。

 

「…………す、素晴らしい」

 大家さんは震える手で、宝石のように磨き上げられた空き瓶を拾い上げた。

 先輩は前脚をピシッと上げ、ビリー君とハイタッチを交わした。


「……分かりましたよ! もう、君たちの野生には勝てません……。私はガレージに避難しますからね! 雪鯨号(ユキクジラ)の整備でもして心を落ち着かせます!」

 

 大家さんは「瓶は軽く水洗いして黄色のカゴに!」と言い残し、悔しそうに、だがどこか満足そうに去っていった。

 静寂が戻る。哲学に沈黙するシマエナガ。クールダウンする黒い稲妻。そして、流しひやむぎで腹を満たし、シャドーボクシングを始めたビリー君。

 

 私も、妙に元気だ。サントスプレミアムのカフェインと、栄養ドリンクの余韻が効いているのだろう。

 ガレージには、大家さんが整備中の万能雪上車「雪鯨号(ユキクジラ)」がある。この過剰なエネルギーと、あのマシンがあれば――。

 

「ビリー君、そんなに元気なら、一つ提案がある」

 私は窓の外、4月の雪雲の向こうにそびえる山並みを指差した。

「明日は、山登りに行こう」

 ビリー君は、ニヤリと笑って鋭い鉤爪を突き出した。

Vamoose(ヴァムース)(いいねぇ! 僕ちゃんの腕が鳴るぜ!)」


最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ビリーと過ごす北海道の冬の情景が、少しでも皆様の心に届けば幸いです。

もし作品を気に入っていただけましたら、ページ下部のブックマークや評価などで応援をいただけますと、執筆の大きな励みになります。

次話も、山悟荘でお待ちしております。

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